茨の刻印・50



 サンクリット大陸の中央に位置するイルアーナ。
 その白亜の宮殿には王族専用の大風呂がある。浴室内には南国を思わせる細長い大振りの葉を連ならせた植物が植えられ、湿度が高い場所で繁殖する色とりどりの綺麗な花が咲き乱れ、小さめの植物園のようになっている。
 姫は一日の疲れを取るためゆったりと身一つで湯に浸かり、どこを見るとも無くぼんやりと湯の温かさに身を委ねる。
 湯浴みの時だけは、愛用の武器である星読もリミッター(魔力制御装置)である指輪も外している。
 いつもは足元まで揺れる紫銀の長い髪は緩く頭の上で巻きあげている。
 湯の温かさでほんのり桜色に染まった全身は、以前よりいっそう女性らしさを増し魅力的な曲線を描き、瑞々しい弾力のある肌は水分を弾く。
 銀髪の賢者がこの場に居たなら理性のたががあっさり外れていることだろう。
「綺麗だな……」
 姫は高い高い天井を見上げ、円形の窓から見える夜空に目を奪われる。
 ふんわりと視界を霞ませる温かな湯気も肌をじんわりと暖めてくれるから、姫はしばしぼんやりと立ち上る湯気の行方を上空へ目で追っていた。
 体の芯まであったまると、ようやく姫は体を起こし温かな湯から上がる。
 体を丁寧に拭いて就寝用の衣装に着替えると自室へ向かい、柔らかな布団に潜り込む。
 時をおかず安らかな眠りに誘われ、やがて規則的な寝息が聞こえ始めた。
 しかし、姫はこの時ある重大な過ちを犯していることに気付いていなかったのだ。


 *・*・*


「いずれ、こうなることは解っていたのですが……」
 フォレストはベッドの上で高熱に浮かされている姫の額に、冷水を浸し絞った布をそっと置いた。
 今朝はいつもより仕度が遅いと思いながら、無礼を承知で寝室まで来て見れば愛しの姫君は額に汗の珠を浮かべ苦しそうに口で呼吸していたのだった。
 フォレストはことが大きくならないように口止めしたため、このことを知っているのはフォレストと侍女のリアフくらいだ。
 彼にはこの熱がほぼ一日で治まることが解るからそうしたのである。
 時刻は既に昼を過ぎ、フォレストは侍女のリアフがベッドに備え付けの机に置いていってくれた昼食を遅まきながら口にする。
「よこしま、なんですかね」
 賢者は苦笑する。熱に苦しんでいる様子さえ愛しく思えるのだ。このまま花弁のような唇に口付けて熱を吸い取ってしまえたらどんなに良いだろう。
 熱や病気は治癒魔法では癒すことができないから不憫だと思いつつ、フォレストはそっと姫の頭を撫でてやる。
 それからさらに数刻すぎ、日が暮れようと世界を茜色に染めたころ、ようやく姫は目を覚ました。
「お目覚めですか。お加減は如何です?」
 聞き覚えのある優しいテノールが耳に染み込んできて、姫は声の方へ顔を向ける。フォレストは安堵したようにそっと顔を覗き込む。
「……ああ、少し気だるいな……」
 ゆっくり身を起こすと、ちょうど良いタイミングでフォレストが水を差し出す。姫はそれを受け取りゆっくりと飲み干した。
「ふう……」
 姫は一息ついてあたりが暗くなっていることに気付く。
「私は、昨夜からずっと寝ていたのか……」
「ええ。高熱が続いていたようですね」
「そうか」
「今日はゆっくり静養なさってください。後で夕食をお持ちします。就寝前の紅茶も淹れましょうか?」
「そうだな。そうしてくれ。フォレストの淹れる紅茶は美味いからな」
「そう言って頂けると嬉しいですね」
 賢者は優しく微笑む。
「寝汗を沢山かかれておいでのようですから、食事をお持ちするまでに着替えておいてください。足元に置いておきましたので」
「ああ、ありがとう」
 答える姫の額に手を当てて自分のそれと比べ、彼女の容態が大丈夫なのを確認するとフォレストはすっと立ち上がる。
「ではまた後ほど」
 軽く頭を下げ、フォレストは姫の部屋を後にした。
 扉の閉まる音がすると姫はゆっくり布団に身を沈める。
 フォレストはずっと傍についててくれたんだな。
 いつも私のことを考えてくれて……姫と賢者という立場からすれば当然なのかもしれないけれど。
 それでもフォレストが居てくれたというだけで心がとても安心する。
 私は……本当に……どうしようもなくフォレストのことが好きなのだな。
 姫は一人得心したように目を伏せ静かな笑みを浮かべる。
「おっと、着替えなくては」
 もそもそと身を起こし用意してあった服を身にまとう。就寝用の寝巻きで薄い衣が幾重にも重なった羽のように軽いフリルたっぷりの長衣だ。
 こういう服は嫌いではないが、やはり魔狩人装束の方が動きやすいと姫は思った。
 脱いだ服はベッドの足元に置いてある洗濯用のかごに入れる。
 しかし何故風邪でもないのに熱がでたのだろうと姫は疑問に思いつつ、何気なく両手の指を組み合わせる。すると指はすんなり重なりいつもの異物感がないことに気付いた。
「あ……リミッター……」
 以前フォレストと一緒に作ってもらいに行ったそれが指に嵌っていなかった。
 そうか。湯浴みをしたときにそのまま付け忘れたのだな。
 それはベッドに備え付けのサイドテーブルに星読と共に置いてあった。
 姫はいつものようにそれを左手の中指にはめる。
「……」
 つけた瞬間にすうっと体が軽くなるような感覚がした。今まではこんなことはなかったから姫はまじまじとリミッターを見つめる。
 もう一度外すと逆に体が重くなったように感じられ、また装備しなおすといつもの状態に戻る。
 まさか。
 たった一度これを装備し損ねただけで……こんなことになった、のか?
 リミッターができるまでは普通に生活できていたのに、いつの間にこんなことに……。
 フォレストはきっと理由が解ってるんだろうな。聞いてみるか。

 暫くするとフォレストが夕食を運んできた。
 姫は食事をとりながら早速傍に控えている賢者に質問することにした。
「フォレスト、これはどういうことだ?」
「これと申しますと?」
「私が寝込む羽目になった原因は、何だ?」
「姫、あなたときたら本当に……食事の時くらいのんびりされてはいかがですか?」
 思わずフォレストは苦笑する。この生真面目な姫は早速自分の高熱の原因を突き止めたいのだ。
「これを指にはめた時ととった後では体の感じが違うんだ。今までは湯浴みの時しか取ったことがなかったから気づかなかったが……」
「それはそうでしょうね。何しろ魔力を制御する物ですし」
「それは解るが。でもこれを作るまでは普通に生活できてただろう? もしかして私はリミッターに頼りすぎているのか? 未だに魔力の制御が完全でないから一度つけ損ねただけでこんな……」
「それも一つの要因ではありますが。もう一つ」
「というと?」
「茨の刻印のせいです」
「刻印の?」
「刻印は莫大な魔力を蓄えることが出来るのですよ。倒した敵の分だけ」
「何……!?」
 そんなの聞いてないぞ。
 倒した敵の分だけ魔力が増えてるってことだろう?
 雑魚ならまだしも上位魔族なんか倒してしまえば大量の魔力が入り込んで来ることになる。
「以前にも言いましたでしょう? あなたは歩く魔力なのだと。以前より魔力が増した分、制御も難しくなるわけです。だから頃あいを見計らってリミッターを作りに行ったのですよ」
「そうだったのか……フォレストはいつもちゃんと考えて動いてくれているんだな……なのに……」
 私はわが身に宿る刻印のことを良く知らないのだ。自ら必要以上に知ろうともせず、いつもフォレストに尋ねてばかりだった。
 自分が一番知っておかねばならないことだったのに。
 今回の高熱はきっと知ろうとしなかった罰なのだ。
 ……私はもっと刻印について知らなければならない。
「私はあなたの守り手なのですからこれくらい当然です。あなたが自分を責める必要などどこにも」
 ありませんよ、とフォレストの青い瞳が優しく笑う。
 そうかも知れないけれど、それでもフォレストは私に甘いと思う。
 だってフォレストに怒られたことなんて数えるほどしかない。
「では少しだけ甘えてもいいか?」
「勿論です」
「刻印のことを詳しく知るにはやはり昔の文献に目を通すのが良いか? それとも持ち出し禁止の禁書の類が妥当か?」
「どちらも、と申し上げたいところですが刻印に関する昔の文献をお勧めします。禁書はおそらく保護の魔法がかかっているでしょうから」
「そうなのか? 禁書はそんなに知られては不味いことが書き連ねてあるのか?」
「ええ。あとはそうですねえ……上位古代語で書かれた文献が宜しいかと。あなたには既に読めるはずですから」
 聖地に訪れた折、姫は絶体絶命の危機に瀕したがエルディア神の加護により上位古代語魔法を授かった。そしてそれと同時にそれを読解する能力も得たらしい。
「うむ……では今日は……そなたに止められそうだし、明日から王立図書館で読み漁るとしよう」
「ふふ。では私もちょうど調べ物がありますからご一緒します」
「そうか。頼もしいな。それと感謝する」
「どういたしまして」
 賢者は柔らかな笑みを姫に向ける。彼は姫が自分から刻印について調べる気になったのがとても嬉しいのだ。 
 だから、今回の件もあえて黙っていた。リミッターを外せば増えた分の魔力に当てられて間違いなく高熱が出ると。
 しかし、これは改めて彼女が自分の力について識る良い機会になるはずだ。そしてフォレストの予想通り姫は自ら刻印について調べることを決めたのだった。
 そんな姫だからフォレストは彼女のことが可愛くて仕方ないのだった。
 ただ守られているだけでない、自ら刻印の力を得た時に魔狩人になる決心を固めた彼女だから好きになったのだ。
「文献を読み漁れば、回復魔法が使えない謎も解けるだろうか……」
「どうでしょうね。使えるに越したことはありませんが」
 ですが、姫が何でも出来てしまうと私の立場がありませんねと賢者は笑った。それにつられて姫も一緒に笑ったのだった。

 夜が更けて、愛用の星読の手入れをしているとドアを軽く叩く音がしてフォレストがティーセットを乗せた盆を運んで来た。
「あ……ほんのり甘い香り……」
 素敵な香りに思わず笑みが零れる。二人分のカップがあるところを見るとちゃっかり彼も一緒にお茶するつもりらしい。
「お疲れのようですから、よく眠れるようにカモミールにバニラを調合したミルクティーにしてみました」
 姫が座っている長椅子のある机に盆を置き、慣れた手つきでフォレストはカップに紅茶を注ぎ、最後にミルクを垂らす。きっとこの部屋に歩いて来る時間まで計算した上で、あらかじめ温めておいたティーポットにお湯と茶葉を入れてきたのだろう。
 程よく色づいた紅茶はミルクと混ざり優しい色合いになっている。
 口元にカップを持ってくるとカモミールとバニラの甘い香りがとても心を安らげてくれる。姫は幸せそうにカップに口を寄せ一口啜った。
「美味しい……フォレストは賢者を辞めても紅茶で食べていけそうだな」
 それほどに美味しくて姫は幸せ気分で微笑む。
 いつもフォレストが淹れてくれる紅茶は絶品で毎日飲んでも飽きが来ないから不思議だ。
 紅茶一杯で人を幸せに出来るなんてとても素敵なことだ。 
「気に入っていただけてなによりです。昼間でしたらお茶請けにクッキーやマドレーヌを用意したのですが」
「!」
 クッキーにマドレーヌという甘い響きにはっとする姫。
「明日のティータイムは、何をご所望ですか?」
 お菓子に反応する姫を楽しそうに眺めながらフォレストは問うた。
「……焼きたてが香ばしいアーモンドタルトなんてどうだ?」
「かしこまりました」
「明日のティータイムが楽しみだ……」
 既に心は明日のティータイムに飛んでいるらしい姫は実に幸せそうに、紅茶を口にしている。
 そしてそんな歳相応の姫をフォレストは愛しげに見つめている。
 本来彼女に似合うのはこういう場所なのだ。きっと茨の刻印が宿らなければ普通に王女として何不自由ない、平穏な人生を送っていたことだろう。
 同じ年頃の娘なら、普通に恋をし結婚をし子を授かり伴侶と共にその生涯を終えただろう。
 今でもフォレストは姫に戦場に出て欲しくないと思っている。一度賛成したものの、いつ弱音を吐くかと期待したのも束の間、守り続けてきた姫は逞しく成長してきている。
 確かにそれは喜ばしいことでもあるけれど、戦場に身をおく限り命の危機は無くならない。だからフォレストは自ら彼女を守る為に守り手として傍に居るのだ。
「フォレスト?」
 なにやら真摯な眼差しをこちらに向けているのを不思議に思った姫は彼の名を口にする。
 時折フォレストが見せる切ない表情に姫の胸はざわつく。
 この賢者は飄々としてるように見えてたまにこういう顔をするから困る。こんな時自分はいつも名前を呼ぶことしか出来ないから。
「姫があんまり可愛いので見蕩れてしまいました」
 先ほどとはうって変わった人懐っこい笑顔でフォレストはそう言った。
「なっ、何を言って……」
 心配して損した。いつもこんな調子だ。
 姫は恥ずかしさに少し頬を赤らめながら最後の一口を飲み干した。
「ふう。ごちそうさま」
「美味しく飲んでいただけてよかったです」
「美味しいに決まっている。何しろ、あ、愛情とやらが入っているらしいからな」
 照れながら姫は言う。以前フォレストに何でこんなに美味しく淹れられるか聞いたら返ってきた答えが愛情だったからだ。
「正解です♪ では私はそろそろ戻りますね。良い夢を」
「うむ。フォレ……んっ」
 フォレストもな、と答えようとしたら不意に抱き寄せられ唇を奪われた。
 紅茶を飲んでいたからだけではない熱が伝わって来て、その激しさに姫は徐々に脱力してフォレストにしがみ付く。
 唇を割ってするりと入ってきた舌が溢れる愛情のままに激しく絡められ、その心地よさに姫は頬を上気させて瞳を潤ませる。
 気持ちよさに自分を見失いそうになりながら姫も答えるようにフォレストの想いを優しく吸い取る。
 互いが蕩け合うように存分に味わいあってようやく顔を離す。
 姫はまだ気持ち良さそうに息を乱しながら濡れた瞳でフォレストを見上げている。これで切り上げようと思ったのに姫のそんな顔を見たフォレストは堪えきれずに、もう少しだけ、と自分に都合の良い言い訳をして、姫の小さな唇を自分のそれで優しく食んでそっと離れた。
「これ以上は……」
 もう少し幸せを味わっていたいけれど、理性を保てる自信がないと判断したフォレストは苦笑する。
「ん……」
 余韻が残っている姫はうっとりしながらフォレストに凭れている。
 暫く抱き合って互いの温もりを感じていた二人は名残惜しそうに体を離し就寝の言葉を紡いだ。

「おやすみ、愛しい人」

 きっと今夜は幸せな夢が見られるに違いないと、姫は少しドキドキしながら布団にもぐりこんだのだった。



TO BE CONTINUED...
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*ムードを壊されてもいい人のみ反転で↓
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いやぁ、もう、久々に小説メモ帳に書いて更新しようと思ったら、ビスタってばフロントページ使えないんだものorz(笑
ネット検索でVBをインストールしたけど使い方わからんし、結局某小説支援サイトにお世話になりました。ありがたや〜(´人`)

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