白亜の宮殿の舞踏会場では、美しく着飾った貴婦人達が花弁のようにふわりひらりと互いの相手と優雅な舞を披露する。
その中には姫と彼女の相手のディルチェも勿論居る。
皆凄く楽しそうだな。私も楽しい。
練習の時は二人だけだったが、大勢で踊るのは更に楽しいな。
姫はダンスの師であるディルチェの滑らかなリードで教本に載っているかのような、正しい姿勢で軽やかにステップを刻んでいく。
それは一国の王女として申し分の無い、洗練されたものだ。
何十回、いや何百回も練習したのだ。目を閉じていても踊れるぞ。
この一週間、一生懸命練習を積み重ねてきた事が姫の中に確かな自信となって備わっている。
確かにその道の専門家には敵わないけれど、会場にいる人々の注目を集めるほどには上達していた。
ディルチェの姫へと注がれる視線は、まるで恋人を見つめるような黄金の蜜が滴るような甘さで。二人だけの世界へ誘うような雰囲気だ。
二人の事を全く知らない者が見たら恋人同士だと思うに違いない。
姫もダンスの師であるディルチェを深く信頼してその身を委ねるように落ち着いている。お互いの息もぴったりと合い、姫が先走りそうになるとディルチェが巧く抑えてくれる。
この一週間ずっとつきっきりだったからか、ディルチェ相手だと安心して踊っていられる。
ステップを踏むごとに、ターンを決めるごとにくるくると景色が移り行く。
姫は視線の端に、王と王妃の姿を見つけた。
二人はとても楽しそうに談笑しながら、互いの顔がつかずはなれずの距離を保ちつつ器用に踊っている。
姫と視線が会うと王は片目を閉じて見せた。
「父様ったら」
姫は喉の奥でくくっと笑う。とても温かな気持ちになる。
私も、幾つも年を重ねてもああいう風にしていたい。
いつまでも仲睦まじく。お互いを思いやって。
ずっとフォレストと共にそうしていけたらいいな……。
「姫君。今私以外の誰かの事を考えていますね」
「!」
ディルチェの言葉に姫ははっとした。
「解りますよ。ほんの一週間ほどしか共に過ごしてはいませんが。姫君はとても素直な踊り方をされますから」
悪びれた様子も無くディルチェは苔緑の瞳を細めて微笑する。
「す、すまぬ。今目の前で踊っている相手は貴殿だというのに。失礼した」
姫は少し照れくさくて僅かに俯いて謝罪を述べる。
「責めているのではありません。ただそのお相手が少々羨ましいと思っただけです」
ディルチェはくすくすと笑いながら、相変わらず姫を巧く先導していく。
そんな二人の様子を広間の片隅で内心穏やかでなく見つめている青年が居る事には全く気づいていないよう。
傍から見ればいつもどおりの蒼の賢者としての、相手を安心させてしまうような微笑を浮かべ、フォレストはそれとはなしに姫に視線を向けていた。
面白くない。
自分以外の誰かと姫が楽しそうにしているのは。
これが嫉妬などという醜い感情である事は解りきっている。
無理の無いよう、ゆっくりと慣らしながら見守ってきたのに。
私以外の男をあれほど信頼して身を任せるなど。
自分で巻いた種とは言え、こんな事なら触れぬなどと言うのではなかった。
内心、姫から根を上げて寄ってくるのを少しは期待していた。
それなのに、私の方が堪えられそうにも無い。莫迦な話だ。
姫はディルチェに心を見透かされた事にドキドキしつつ、フォレストは姫とディルチェのダンスに内心やきもきしつつ。
最後の一曲が鳴り終るまで互いに複雑な思いを抱いたまま、舞踏会の最後を迎える。
「ディルチェ殿、いや師匠。今宵は楽しいひと時を過ごさせてもらって感謝する」
姫は皆がそうするように、ドレスの両端を腰の高さで持ち感謝の意を込めて一礼する。
「いえ、私の方こそ素敵な時間を頂きました。一生の良き思い出となることでしょう」
そう言ってディルチェに額に軽く口付けられたものだから、姫は驚いて小さな悲鳴をあげてしまい、慌てて口を両手で塞いだ。
その様子に和みつつ「では私はこれで」と一礼し、ディルチェは会場を後にする。
前方の蒼の賢者に気付き軽く一例すると、ディルチェはふわりと笑い小声で囁く。
「他意はありませんからご安心ください」
「……貴方には隠しても無駄のようですね」
フォレストは苦笑する。
「本来ならば見過ごせない行為ですが、その殊勝さに免じて見なかったことにしましょう」
「お幸せに」
短くそう言い残し春風のように微笑んだ青年は、長い金髪を揺らし優雅に歩いて行く。
彼の後ろ姿を暫し眺めた後、フォレストは姫の下へ歩み寄っていく。
「!」
こちらへ近づいてくるフォレストに気付いた姫はドキリとする。
踊りながらディルチェに自分の内心を見透かされた事の相手が、どんどん近づいてくるのだ。距離が縮まるにつれ胸の鼓動が激しくなってくる。
ど、ど、どうしよう。
ずっとフォレストのことばかり考えてたとばれそうで、思わず逃げたくなる。
「姫。お疲れ様でした。部屋まで送ります」
「っ……」
咄嗟に言葉が出ない姫はこくこくと精一杯頷く。
廊下へ出ると互いに無言のままで、姫は少々居心地悪い気持ちになった。
白亜の壁を照らす月光は冷たくない程度に透き通っている。
真珠をちりばめたような深藍の空は神秘的に煌いて。
夜風にあたり少し顔の火照りが取れてきた姫は、ほうと一息吐く。
あたりは静寂に包まれ二人の足音だけがこだまする。
と、視線の先に薔薇園が見えてきた。
「舞踏会は楽しかったですか、姫」
姫の前を歩いているフォレストは振り返らず落ち着いた声で問うた。
「ああ、楽しかったぞ。父様も母様もとても楽しそうだったし。私も久しぶりにちゃんと踊る事が出来たからな」
「それは良かった」
ふと、前を歩くフォレストが歩みを止めこちらを振り返る。
少し不思議そうに姫は小首を傾げる。
そして彼の次の動作に鼓動がどくんと大きく波打つ。
フォレストは片膝をつき、姫の右手を取りこう言った。
「一曲踊っていただけますか?」
月光の光を受けた薔薇がより甘い香りを漂わせ、一瞬吹き抜けた風がその花弁をさながら輪舞曲のように宙に舞わせる。
赤と白の花弁が二人を祝福するように、ひらひらと舞い降りていく。
自分を見上げる賢者の青い瞳は月の光を受けてか神秘的な色を纏い、銀の髪はその光を反射してか艶やかに煌いている。
「そ、そんなの当然だ!」
姫は嬉しくて、恥ずかしくて、ドキドキしすぎて少し怒ったような口調で応える。
「色気に欠ける返答ですが、よしとしましょう」
姫の気持ちが解り過ぎるから、フォレストは一気に上機嫌になっていた。
間髪入れず指を鳴らすと、使い魔のシロちゃんとクロちゃんが姿を現す。そして二匹が羽を羽ばたかせると、円舞曲が奏でられ始める。
「そんな事まで出来るのか!」
感激しつつシロちゃんとクロちゃんを見ていると。
「あっちじゃなくて、私を見てください」
とフォレストがいつの間にやら姫の腰に手を添え踊りの構えを取り、片方の手で顔を自分の方へ向けていた。
まともに視線が合い姫は一気に赤面する。
「何を今更赤くなってるんですか」
フォレストは嬉しそうに問う。
だって、一週間ぶりにまともにフォレストを間近に見るんだぞ!?
恥ずかしいに決まっているじゃないか!
「聞くなっ」
それでも瞳をそらす事さえ出来ない姫は苦し紛れに軽く目の前の賢者を睨みつける。
「ふふ。楽しいですね。やはりこうでなくては」
その手に触れて。
ぬくもりを感じて。
何よりも真っ直ぐに見つめる瞳の先に自分がいること。
その真っ直ぐな想いの先が自分にあること。
それがとても嬉しくて、幸せで。
「……後悔しています」
「ん?」
「つまらない意地を張った事を」
「それは……っ」
フォレストの言葉に姫も同じ気持ちを抱いていて。
「私の方こそ……」
『申し訳ありません』
『すまぬ』
「「!!」」
互いに謝罪が重なった事に一瞬驚き、次の瞬間それは即座に笑いへと転じる。
笑い終えると、フォレストは姫の頬へそっと口付ける。
「触れ合えない事が、これほど辛いとは思いませんでした。あなたが好きです。大好きです」
「!」
あまりにもフォレストが素直に本音を告げるから、姫は一瞬びっくりした。
「ティナ、あなたは?」
返事を促すフォレストに姫は恥ずかしくて。
「言わなくても解ってるだろうっ」
と口走ってしまう。
「それでも。あなたの口からはっきりと聞きたいのです」
フォレストは優しく微笑む。
「……わ、私も本当は寂しかった。ずっと心の中でそなたを求めていた」
「姫ってばほんっと可愛いっ」
フォレストは心底満足だとばかりに満面の笑みを浮かべる。
「それにしても、やっぱりというかフォレストはダンスも巧いのだな」
ディルチェとしかまともに踊った事は無いが、それ以上にフォレストが相手だと物凄く動きやすい。
ディルチェは師匠だし踊るのは何度も練習したものだから、踊れて当然なのだ。彼と踊るのはとても楽しいものだった。でもそれだけだ。
フォレスト相手だと、楽しいだけじゃなくて妙に安心して身を預けられる。初めて一緒に踊るのに何故こうもしっくりくるのだろう。
それに表情がやけに艶っぽい気がして……ドキドキする。
フォレスト実は物凄くダンスが巧いのでは……。
「こんな事なら最初からフォレストに教えてもらえば良かった」
「これからは私が教えて差し上げますよ。色々と、ね」
「あー!!」
いきなり叫ぶ姫にフォレストは訝しげな表情になる。
「どうしました?」
「何故踊れているのだ!? この曲は初めて聞くしステップだって知らないはずなのにっ」
「気付くの遅すぎです」
苦笑交じりのフォレストの声。
「そんなの決まってるじゃないですか」
フォレストは得意げに笑ってこう告げる。
「愛の力ですよ♪」
「!! そなたはまたそんな事を恥ずかしげも無くっ」
真っ赤になって抗議する姫をフォレストはさも満足と言わんばかりにぎゅうと抱きしめる。
フォレストのぬくもり。
フォレストの香り。
フォレストの鼓動。
少し息苦しいけど、なんて幸せな心地なんだろう。
恥ずかしいのと嬉しいのと幸せなのと切ないのと。
この気持ちをどうしたらうまく伝えられるのだろう。
思えば私はいつも照れ隠しに怒鳴るような言い方ばかりで……。
ふと顔を上げれば、真上に青い瞳が自分を優しく見つめ返してきて。
「フォレスト……」
姫は自分の両手で彼の頬をそっと挟み込み、唇をそっと重ねる。
そんな姫の行為をフォレストはうっとりとした様子で、ひたすら受け入れる。
もっと。まだ足りない……。
姫は自分の両腕をフォレストの首に回し、更に深く口付ける。
息継ぎする間さえもどかしくて、姫はひたすらにフォレストの唇を貪り愛撫する。
「……っ……」
叶うならずっとフォレストとこうして居たい。
「……」
フォレストは熱心な姫をうっとりと目を細めて見つめている。
伏せられた目蓋の縁を彩る紫銀の睫がふるふると揺れる。息苦しいらしいのにそれでも離れない姫が愛しくて、少しでも彼女が楽なように抱き返す。
それでもやはり我慢できず、己の舌をそっと絡ませれば可憐な声が姫の喉から発せられる。
漸くお互いの顔が離れると、夜の外気で口元が少し寒く感じられた。
姫はもう少しこの幸せを感じていたくて、フォレストの胸に顔を埋めて暫く瞳を閉じている。
二人の甘いひと時を、月下の薔薇達がそっと見守っていた。
翌日。
姫は起きると同時に悲鳴を上げ……かけた。
「フ、フォレスト。何故ここに!」
口を覆った手を開放されて姫は声を荒げて問うた。隣では涼しい顔をした賢者が横たわっていた。
「今更何も恥ずかしがる事はありません。昨夜はあんなに激しいキ……」
「言うなー!」
姫は真っ赤になってフォレストの口を押さえる。朝からぜいぜいと肩で息をする羽目になった。
「そもそも、何故こんな事態に……」
「そんなに慌てなくとも」
笑いながら姫の手を口から離しフォレストは言う。
「昨夜、あれからどれくらいでしたかねえ。暫くあなたを抱きしめて居たら、寝息が聞こえ始めまして。そのまま抱きかかえて寝室まで運び、自室へ戻ろうとしたらこの通り」
と、フォレストは姫の手によってしっかりと掴まれている自分の服の裾を指差す。
「……それで、私が起きるまでここに居たのか?」
「ええ」
「無理やり離して戻れば良かっただろう」
「私が姫のそばに居たかったんです」
言いながらフォレストは姫の頬を優しく撫で、髪を梳くように手を差し入れた。
「な、ならもう十分だろう。ほら、手も離したから」
無性に恥ずかしくて姫はフォレストと視線を合わさないように俯いた。
「そうですねえ、まだまだ満足はしてませんが。もう一度あなたからキスしてくれたら部屋に戻らない事も無いですよ」
今度は姫の頬に口付けるフォレスト。
何度も何度も優しく口付ける。
「ちょ、フォレスト……」
気持ちは嬉しい。けれど、そんな風にされたら離れがたくなる……。
「心配しなくても、部屋の外はシロちゃんとクロちゃんに見張らせてるので大丈夫です」
「そうじゃないだろうっ」
心配とか大丈夫とか何に対してだ!
本当に、もう……なんでこんなのが賢者なんてやってられるんだ。
それでもこのひと時も楽しくて。
姫はフォレストに気付かれないようにくすりと笑った。