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茨の刻印・46



 ミストの屋敷に戻ると準備を終えた彼が書斎で待ち構えていた。
「二人ともご苦労だったな。では早速作業に取り掛かろう」
 ミストに促されてついたそこは、姫が初日に書斎から抜け出して辿り着いた実験室のような部屋だった。あいかわらず、試験管やアルコールランプ、そして訳の解らない器具が並んでいる。
 ミストは少し散らかった机の上の物をどかし、作業できる程度のスペースを作り、銀で出来た台座に浄化された指輪を置いた。
「姫君、人差し指を」
 言われたとおりに姫が人差し指を出すと、即座にミストが唱えた呪文で一筋の切り傷が白い指先に刻まれ、血が滲み玉を象る。
「んっ!」
 指先にちくりと痛みを感じた姫は思わず声を漏らす。はっとした顔でミストを見上げると。
「持ち主の血が必要なのでな」
 と返事が返ってきた。
 フォレストは黙って事の成り行きを見守っている。
 ミストは漆黒の瞳に静かな光を湛えたまま、魔晶石を手に取り再び呪文を唱える。純度の高いほぼ透明に近い淡い水色の魔晶石は、星砂のように彼の手の中で砂に変わる。青白くほんのりと燐光を放つそれを、ミストは姫の血液へ振りかける。
 すると姫の血液と反応して燐光を放つ砂は一際輝きを増し、すうっと宙に浮かぶと見たことも無い文字とも文様ともとれる物を形作っていく。
「これは……」
 宙に浮かぶ複雑な模様を目にしたミストの表情が少し曇る。
「まあいい。引き受けたのは私だ」
 ふっと溜息を吐き瞳を閉じる。そして姫とフォレストに目を向けて言った。
「少し時間がかかるな。出来たら呼ぶから適当に別の場所で時間を潰していてくれ」
「え?」
 思わず呆気にとられそうになり姫は瞳を瞬かせる。
「解りました。では後ほど」
 行きましょう、とフォレストはいつもの微笑を浮かべ姫を促し部屋を後にする。

*          *          *


 意外にも手入れの行き届いている庭で二人は当ても無く散策しながらお喋りをする。
 木々の間から零れる木漏れ日が優しくて心が穏やかになる。姫は咲き乱れる色とりどりの花にうっとりと魅入りながら、可愛い鼻先をそっと寄せ花の香りを楽しむ。
 その様子を眩しそうに青い瞳を細めて見つめながらフォレストが言った。
「このまま、ずっとここでこうしていられたら……」
「ん?」
 屈託の無い笑顔でフォレストに向き直る姫。振り向きざまに風に揺れる紫銀の髪が陽光に甘く煌き、心を許しきった優しい笑みは月光の様にほんのりと温かい。
 その何気ない仕草がとても愛しくて、切なくて、フォレストは目の前の少女を抱きしめる。そしてそっと、耳元で囁く様に心地良いしっとりとした声で言う。
「以前にも申し上げましたが……出来る事ならあなたを危険な目に遭わせたくは無い。あなたは魔物と戦うよりも、自然の中で穏やかに草花と戯れる方が相応しい。その気高い明け方の色を纏った瞳には綺麗なものしか映す事を許したくはない」
 そのまま唇で耳朶に触れフォレストは瞳を閉じた。
「!」
 耳に触れる柔らかな感触に姫は一瞬体をこわばらせた。それとは対称的に心臓は普段以上に早鐘を打つ。
 ただでさえ常時悶えそうな美声を聞かされているのに、耳元でそんな事を言われたらどうしていいか解らなくなる。
 フォレストが私の身を常に案じてくれているのは解りすぎるくらいに解っている。そこまで想われて嬉しくない訳がない。
 お陰で今にも立っていられなくなりそうだ。
 と思った時、都合良くフォレストの腕が抱き寄せるように姫の体を包み込んだ。
「本当は、誰よりもあなたが魔狩人になるのに反対だったのは……この私なのですよ?」
 言いながら姫の柔らかな頬に口付けるフォレスト。
「ん……」
 そうなのか、と答えようとして出た言葉は甘みを含んだ吐息だけで、そんな自分に少し驚き恥ずかしくなった姫は俯いた。
「その私が陛下を説得できない訳が無いのですよ。あなたは強情だから……一番近くに居て守ろうと決めたのです」
 苦笑交じりにフォレストはそう告げて、姫の頬を優しく撫でる。その行為が更に姫の頬を薔薇色に染め上げ熱を持たせる。
 頬を撫でられているだけなのに。
 恥ずかしいからやめて欲しい、けれどやめないで欲しい。何なのだこの矛盾した気持ちは。
 何より頬を触られた事でこんなに熱くなっているのがフォレストに伝わっているのが恥ずかしすぎて仕方がない。
 このまま腕を振り解いて逃げたいような、逃げたくないような。
 ああもう! どうしたらいいんだ!?
 は、恥ずかしすぎて身動きひとつ出来ん……。
 ふいに顎を軽く上向かせられ、ひんやりと心地良い感触が唇を覆う。
 吃驚して見開いた視線の先には、閉ざされた瞳を縁取る銀の睫。
 何度も優しく啄ばむ様に唇を重ねられ、姫は自然に力が抜けて瞳を閉じる。
 自分よりも少し温度の低いフォレストの唇が火照った体にとても気持ちよくて。
 甘い吐息が零れた瞬間、唇の間をするりと割って何かが侵入してきた。
「!?」
 覚えのあるような無いような感触に姫は一瞬驚いたが、口内を優しく蹂躙されて成すすべも無く、フォレストにその身を委ねざるを得なかった――――。

 どれ程の時が経ったのか、気がつけばフォレストの腕の中にしんなりと凭れている自分が居た。その感触が心地良くて思わず姫はフォレストの胸に頬を摺り寄せる。
 するとフォレストが優しく髪を撫でてきて、それがまた堪らなく気持ちよくて姫は微笑んだ。
「おや、だいぶ慣れてきたようですね?」
 そのフォレストの平静な一言に、姫は瞬時に我に帰る。
「わあっ!」
 再度、唇を重ねようとしたフォレストを悲鳴を上げて姫は突き飛ばした。
「酷い。チューまでした仲の私を色気の無い声を上げて突き飛ばすなんて。フォレストさん悲しい」
 両手で顔を覆い、わざとらしい泣き真似をしながらフォレストは不満を口にする。
「ち、違う! 凄く心地良くて気持ちいいなって思ってたら、フォレストがいきなり顔を近づけてくるから吃驚して……」
 姫は何故自分が弁明しているのか解らないが、とにかく驚いた事だけは伝えたかったらしい。
「ほうほうv 私とのキスは我を忘れてしまうほど良かったですか。それは良かった♪」
 わざと意地悪な笑みを浮かべ、銀髪の賢者は姫の頬にもう一度口付けた。
「!! かっ、軽々しくその言葉を口にするな!」
 最近では時々忘れそうになるが、キスは我が王家では神聖なものなんだからな!
「ふふv」
 キスという言葉に過剰反応して真っ赤になる姫があまりにも可愛くて、フォレストは再度姫を抱きしめる。
「はっ、放せ!」
 もう少し姫に意地悪していたいというフォレストの思いとは裏腹に、甘いひと時は終わりだとミストの使い魔である黒い烏が二人を呼びに来た。
「まあ、邪魔されなかっただけ良しとしましょう。魔力制御装置(リミッター)が完成したようですね。戻りましょう」
「そうだな」
 何とか姫は心を平静に引き戻そうといつもの口調で答えた。が。
「……フォレスト、いつまでこうしている気だ?」
 戻ろうといいながら姫を抱きしめたまま放さないフォレストを姫は軽く睨んだ。
「離れがたいのです。なんなら、このまま抱きかかえて……」
「莫迦者」
 だいぶ心が落ち着いた姫はあっさりとフォレストを引き剥がし、足早にミストの居る実験室のような部屋へ向かって行く。
 その後を苦笑を浮かべた賢者がゆっくりと歩いて行った。

*          *          *


 室内に戻るとミストは椅子に腰掛けて、アルコールランプとビーカーで沸かした即席珈琲を飲んでいた。
 器はともかく、珈琲の良い香りに何となく心が穏やかになると姫は思った。
「お、来たか。漸く出来たぞ。煮るなり焼くなり好きにすると良い」
 言いながらミストは完成したてのリミッターを、何故かフォレストに渡す。
「お疲れ様でした。ミスト。感謝します」
 受け取った指輪型のリミッターを、フォレストは専用の箱に入れ懐にしまう。
「本当に疲れたぞ。流石、茨の刻印の持ち主だけあって文様の解読と書き換えにいつもの倍以上の労力を要したな」
 ミストは、ふうと短く息を吐いた。次いで何かを期待するような眼差しでフォレストを見やりつつこう言った。
「お陰で無茶苦茶腹が減った」
「それならご心配なく。貴方の事だからそういうと思って、新鮮な出前を頼んでありますから。三十分以内には来ると思いますよ」
 フォレストはにっこりと微笑んだ。
「あまり長居するのもアレですし、私たちはここでお暇させて頂きますね」
「そうか。また何かあれば来ると良い。ギルド依頼の魔族退治では世話になったな」
「礼には及びませんよ。でも、そうですね。今後は騙すような真似はしないで頂きたいものです」
 にっこりと微笑むフォレストにミストは罰が悪そうな表情を浮かべ、「とっとと帰れ」と僅かに不機嫌そうな笑みで姫とフォレストの二人を穏やかに送り出した。言葉や態度はぶっきらぼうだが彼なりに別れを惜しんでいるらしかった。
 二人が部屋を出て門に向かって歩いていると、向かい側から長い金髪の活発そうな少女が息を弾ませながら走ってくる。
 少女は姫とフォレストに気づくと、人懐っこい可愛らしい笑みを浮かべ挨拶してきた。
「こんにちは。初めまして。……えと、もしかしてミスト様のお客様ですか?」
 眼前の美麗な二人組みに少々見とれつつ、少女は、とても意外そうに尋ねる。
 少女は二人に初めましてと言ったが、フォレストは以前一方的に彼女の事を知る機会があった。
「ええ。少々私用で彼にお世話になりました」
「えっ!? えええ!? 本当にお客様だったんですか! ……うわぁ、物凄く意外すぎて雨が降ったりしないかしら……って、なんでもありませんのよ。おほほほ」
 金髪の少女は一人で驚いたり怪しんだり百面相まがいの事をしつつ、今更ながらに二人に尋ねた。
「私はラファルと申します。えっと、お二人はミスト様とはどういったご関係でしょうか?」
「ああ、自己紹介が申し遅れました。私はフォレストと申します。ミストとは旧知の仲、といった所でしょうか。で、こちらはティナ。私の恋人です」
「こっ……!」
 満面の笑みでさらりと言ってのけるフォレストに、姫は思わず言葉に詰まる。
 ラファルは緑の瞳を輝かせて二人を笑顔で見やる。
「まあ! それはとても素敵! とてもお似合いだと思うわ!」
「私もそう思います。それよりも早く行ってあげた方が良いのでは? 相当お腹を空かせていましたよ」
「そうだわ! 早く行かなくちゃ。それではごきげんよう」
 ラファルは少女らしく可愛く一礼して、手に提げたバスケットを両手でしっかり抱えて足早に屋敷へ向かって行った。
「なるほど、彼女が……」
 フォレストはラファルが屋敷へ消えると呟いた。
「ん? 彼女が何だ?」
「許婚、だそうですよ」
「許婚? 誰の?」
「ミストの、です」
「!」
 フォレストの一言に姫は目を丸くする。
「でも、だって……恋愛に興味は無かったのではないのか?」
「ええ。何でも親同士が勝手に決めたとかで。ですがミストはあの通りですしその話も面倒くさくてほったらかしにしていたようです」
 そこまで言ってフォレストは耐え切れず笑い混じりの声で話し続ける。
「にもかかわらず許婚の彼女、ラファルさんはそれはもうミストの事を好いているようで、かなり押されているらしいです。元々色恋沙汰に興味の無いミストにとってはかなりのストレスになっていて、姿を見かけただけで走り去って行くほどらしいですよ?」
「そういえば……」
 思い当たる節がある。ミストは屋敷に着くまでの間、やけに金髪の少女を見て動揺していた。
「そろそろ悲鳴が聞こえるんじゃないですか?」
 フォレストは実に楽しそうにニヤリと笑って見せた。

 それから間もなくミストの絶叫が屋敷中に響き渡った。
「ラ、ラファル! 何故お前がここに!?」
 苦渋の表情で漆黒の魔術士は問いかけつつ、彼女からじりじりと距離を取り離れる。
「何故って、店の方にミスト様からオーダーかけたじゃないですか」
「私はそんな事は微塵もしていない!!」
 大体何故ここがコイツにばれたんだ!?
 絶対たどり着けないように魔法を張ってあるというのに。
 そして、ふと気づく。
「まさか、フォレストが……」

「どんな理由があるにせよ、姫を危険に遭遇させたのですから、この程度の嫌がらせはしておかないとv それに私は恋する乙女の味方ですし♪」
 新たに聞こえるミストの絶叫をよそに銀髪の賢者は満足げに笑みを浮かべる。
「あー! どこかで見た事あると思ったら。彼女はお昼を食べた店に居た……」
「おや、気づきましたか。彼女はあそこの看板娘らしいですよ」
 本人の意思は何処吹く風、姫とフォレストはミストが彼女とうまくいくと良い等と話しながら門を出た。

*          *          *

 魔導大国エルシェンドを後にした二人は故郷のマイティール城を目指す。
 かに思えたが、エルシェンドから少し離れた草原地帯にそれフォレストがグリフォンを呼んだ。するとどこからともなく、グリフォンのぐーちゃんが二人の前に現れる。
「フォレスト?」
 姫は問いかけの視線を投げる。
「少し寄り道しても構いませんか?」
「それは構わないが……」
 フォレストが何をしたいのか解らなかったが、彼と一緒なら寄り道も楽しいだろう。
 グリフォンに乗って一時間ほど行った場所に二人は降り立つ。
 徐々に西の空は朱に染まりつつある。
 二人が居る場所は、湖を望む小高い丘の上で一本の大樹が満遍なく枝を広げている。
 眼前にはただただ広大な草原が広がっている。時折頬を優しく撫でていく風が妙に心地良い。そのまま姫の癖のなく真っ直ぐな紫銀の髪を風は宙に優しく誘う。
 姫はその純真無垢な瞳で眼前の緑の大海を気持ち良さそうに眺めている。
「……絶景だな」
 そう言って姫は傍らに佇むフォレストに微笑みかける。フォレストは、いきなり寄り道を切り出した事に文句一つ言わず、目の前の光景を嬉しそうに見つめる姫をとても愛しいと思った。
「そうですね」
 暫く風に身を任せ、悠久の時の流れを思わせる空と大地を眺めていると、東の空はすでに夜の衣を纏い始めていた。
 フォレストは懐からミストに作ってもらったリミッターの入った箱をそっと取り出す。その仕草に気づいた姫は、「あ」と小声を洩らした。
 無言のまま、彼は優雅な仕草で姫の左手を取り、指輪型のリミッターをそっとその中指に滑らせる。姫の白魚のような指に銀色の指輪は前もってあつらえてあったかのように、自然におさまっていた。
 それを満足そうに見つめ、フォレストは姫の手にそっと口付けを落とす。
「……っ」
 あまりにもフォレストが優しく微笑むから。
 指輪を嵌めるなんて事をするから。
 その行為が必要以上に特別に思えてくる。
 姫は眼前の湖面のようにざわざわと落ち着かない思いで。
 何だか気恥ずかしくて。
 切なくて。嬉しくて。
 きっと今顔から湯気が出そうなほど熱くなっているのは気のせいじゃない。
 ほんの僅かならば夕日の所為だと赤くなった顔を誤魔化せたけれど。
「何故、薬指に嵌めなかったかは言う必要ありませんよね?」
「!」
 フォレストの言葉に姫は心臓がいっそう大きく跳ねる思いがした。
 こればかりは流石に言われずとも解る。
 他人にあつらえられた物ではない、フォレスト自身が、いつか想いのこもった指輪……生涯私だけを愛し続けるという意味合いの指輪を贈るつもりなのだ。
 薬指に嵌められた指輪は何処の国でも同じように特別な意味を持っている。
「あなたの薬指に指輪を嵌めても良いのは私だけ。そうですよね?」
 フォレストは蕩ける様な笑みを浮かべ、姫の頬を両手でそっと挟む。 
 ゆっくり近づいてくる綺麗な顔にどぎまぎしつつ、それでも姫はこくりと精一杯頷いた。
「大変よろしい」
 さも満足そうに口に出し、銀髪の賢者は眼前の大きく澄んだ菫色の瞳に一瞬見蕩れ、己の瞳をゆっくり閉ざし、愛しい人の唇に自分のそれを重ねる。
 空は上から下へ姫の瞳を思わせる菫色から、それに少し赤みを増したローズピンクを思わせる甘やかな色に染まっていた。



TO BE CONTINUED...
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*ムードを壊されてもいい人のみ反転で↓
*
今回は結構糖度高かったんではないかと!(笑
砂吐いてくれてたら本望です(待て
*



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