茨の刻印・44



 姫とフォレスト、ついでにやる気の無い魔法使いミストの三人はエルシェンドの西に位置するアトレー山頂にある、ルカータ神殿にやってきた。
 ミストが言うには、ここに伝わる伝承に聖なる指輪の記述が神話や伝承などを綴った書物に記されていたらしい。
「貴方はもう少し体力をつけた方が良さそうですね」
 呆れたように笑みを浮かべながら、涼しげな青い瞳で地面に這いつくばるミストを見下ろしながらフォレストが言った。
「し、仕方が無いだろう。初めて来る土地だ、転移魔法が使えないからな」
 蒼白に近い顔色の魔術師を気の毒に思いつつも、姫もフォレスト同様、彼はもう少し鍛えるべきだろうなと思う。
 に、しても。神殿というからには厳かな雰囲気だろうと想像していたのだが…まるで廃墟の一歩手前ではないか。
 ここはもう神殿として利用されていないみたいだな。
 壁は少なからず剥がれ落ち、長年訪問者が無かったであろう事が床に僅かに積もる埃の平面さが物語っていた。
 キィン……という金属質の高音がし、姫は音のする方へ視線を移す。見るとミストの手にしている魔力計が点滅しながら光を放っている。
「ふむ。またの名を帰らずの神殿とはよく言ったものだな。では、行くか」
 姫とフォレストの二人を置いて、気になる言葉を発した黒髪の魔術師は歩を進める。
 しかし、そういう事には大人しく黙っていないフォレストが待ったをかける。
「どういうことです、ミスト。貴方確か、この神殿の最深部にある指輪を取ってくるだけだと言いましたよね?」
 続けて満面の笑みでこう言った。
「まだ何か隠してることがおありのようですね? 帰らずの神殿とは穏やかではありません。姫に危険が及ぶ事があれば……解ってますよね?」
 解ってますよね? の部分で金髪の少女が脳裏をよぎりミストは一瞬身震いした。
 はー……とため息を漏らし、ミストは話し始めた。

 遥か昔、とても心清らかでいつでも神を敬う事を忘れない乙女がいた。
 神の気まぐれか、それとも見初めたのかは解らないが、ある日天使が彼女の元に舞い降り、敬虔な祈りの礼だと、彼女に聖なる力を秘めた指輪を与えた。
 指輪は彼女の祈りの強さに呼応するかのように、傷ついた物たちや不治の病とされるものを感知する能力があった。
 しかしながら、欲に目が眩んだ心無い者達の手にかかり神殿の最深部で神に祈りを捧げていた娘は命を落としてしまった。それでも娘は、この指輪が彼らに渡っては一大事だと、最後の力を振り絞り指輪を神殿の最深部の奥へ向って投げ放った。
 最深部の奥は岩肌が丸見えで深い谷になっていた。指輪は煌きながら暗闇に吸い込まれていった。到底人では辿り着く事は出来ないであろう深い深い谷底へ。
 
 それからどれくらい時が過ぎたか解らないが、書物に残る聖なる指輪を手に入れ金儲けをしようと欲にとり憑かれた者達、純粋に人々の助けになればと思い指輪を求めてくる者達……その全てが今から二百年程前から帰らぬ人となっていた。
 これはエルシェンドのごく一部の魔術師にしか伝わっていない事である。

「私は、何故、ここへ来た者達が戻ってこないのか、それを究明したいと思っている。谷底へ落ちた指輪は賢者であるお前なら取るのは容易かろう。そしてティナローザ姫に扱えない神聖魔法は茨の刻印を受けた者の宿命だが、だからこそ聖なる指輪を元にして作ったリミッター(魔力制御装置)は役に立つだろう」
 珍しく真剣な表情でミストは言い、再び歩みを進め始める。
「……なるほど。一応、理に適っていますね。行くだけは行ってみましょう」
 フォレストは否定とも肯定ともとれる微妙な声音で薄らと笑みを口元だけに浮かべた。いつもは空の青を切り取ったような瞳の色が、今は神秘的な輝きを放っている。
 が、それも一瞬のこと。いつもの穏やかな表情に戻ると姫を振り返る。
「という訳で、神殿の最深部目指して行きましょうか、姫。例え窮地に陥ってもあなたは私がしっかり守りますから」
「ああ、頼りにしている」
 恥ずかしいのか、少し照れ混じりの声で姫は言った。今までなら、「うむ」だの「自分の身は自分で守れる」だの可愛げのない事を言っていたが。自分を頼りにしてくれているのだと解りフォレストは思わず微笑んだ。
 差し出されたフォレストの手を姫は迷うことなく取る。

 長い間、誰も訪れたことが無いだけあり神殿の中はすっかり荒み切っており、当然灯りもともっていない為辺りは真っ暗で視界が悪い。先を行く漆黒の魔術師ミストが気だるそうに魔法で灯りをともした。
 一気に明るくなった内部は、青白い壁に神話を綴ったらしい壁画が描かれている。入り口同様、内部も損傷が見られ壁に走るひび割れや、足元に転がる剥がれ落ちた壁の一部が侘しさを感じさせる。
 いくら長年人の出入りが無かったとは言え、あまりにも無機質で。
「生き物の気配が全く感じられない」
 こういう場所には蝙蝠やら薄気味悪い虫などがいたりするものなのだが。
 知らず口にしながら姫は握られた手に僅かに力を込める。するとフォレストが同じ様に握り返してきて。
「怖いのですか? なんなら肩を抱いて差し上げますが?」
 からかい半分に銀髪の美貌の賢者は、少し悪戯っぽい笑みを姫に向ける。
「っ! フォレスト、またそのような……」
 仮にも神殿内で、しかも他人が居る前で。こいつに羞恥心というものは無いのか!
 別に怖い訳ではないが、初めて来る場所で、しかも帰らずの神殿などと呼ばれる所に足を踏み入れているというのに、緊張の欠片も無いな。
「そうでもありませんよ。物騒な所でもあなたとならば楽しく行きたいだけです」
 すかさず姫の思考を読んだ様にフォレストは即答する。
 けれどその言葉も姫にはまるで睦言のように甘く聞こえて。
 ……適わない。
 その振る舞いから、声からフォレストが自分をとても大切に思っているのが伝わってくる。
 冗談めかしていても、常に私の身を案じてくれている。
 フォレストにそこまで想われるなんて自分はなんて幸せなのだろう。けれど、魔力と姫という地位をさっぴいてしまえば、私などただの小娘だ。
 フォレストに釣り合う才媛は他にも沢山いて選り取りみどりだろうに、何故私なのだろう。
 私はいつもフォレストに助けてもらってばかりで何も返せていないのに。
 自分の手を引いて歩くフォレストの背中をぼんやりと眺めながら姫はそんな事を思っていた。フォレストは当然、そんな姫の視線に気付いており思わず抱きしめたい衝動に駆られたのだが、これ以上彼女の動悸を早めるのも可哀相だと勘弁してあげることにしたらしい。これが彼なりの計算なのか優しさなのかの判別が付かないのが問題ではあるが。

 一階、また一階と最深部を目指して階を下へ降り続ける。十階ほど降りただろうか。前方からひんやりとした空気の流れが感じられる。 
 回廊の奥まで行くと大きな扉が現れる。扉の中央には緑色の透き通った水晶の様な物がはめ込まれている。ミストが予め調べていた扉を開ける為の神聖語を唱えると、扉がぼんやりと淡い光に包まれゆっくりと開く。
「なっ!」
 眼前の光景に思わず声を上げる姫。
 そこには数十体の霊が苦しそうに渦巻いているのが視認できる程であったのだから。
 当然の様に無駄の無い最低限の動きでフォレストは姫を背中に庇う様に前に出る。
「悪霊化に近い状態ですね」
 ここへ、聖なる指輪を求めて来た者達の成れの果てであることは想像に難くない。
 新たな侵入者に気付いた霊の塊は、姫達三人を敵として認識し、物凄い勢いでこちらへ突っ込んでくる。
 欲に囚われて指輪を求めた者、苦しむ人々を救いたいという慈悲の心から指輪を求めた者、前者と後者は両極端であったが、どちらも志半ばで命を落としたのは同じだった。
 そのやり切れない想いが強い残留思念となり、この地に自らを縛りつけ出る事も天に昇る事も適わず長い間留まっていたのだ。
 新たな訪問者を取り込み、その禍々しさを増しながら――――。
 フォレストは一瞬にして結界を張り霊を遮断した。
 霊の塊はそれしか出来ない様に、何度も何度も結界へ向けて体当たりしてくる。その表情はあまりにも恐ろしく、おぞましく……どうしようもない程に哀れであった。なりたくてこうなった訳ではないのだから。
「よろしい。還してあげましょう」
 静かにそう言い、銀髪の賢者は聖句を唱え始める。
 その声は凛としていて、けれど温かく包み込むような優しい調べを聴いているよう。
「至高神エルディアよ、汝の哀れな子らを安寧へ導き給え……」
 フォレストの聖句が進んでいくにつれ、霊達の動きが落ち着いていき、苦悶に満ちた表情が穏やかになっていく。
「彼らに慈悲と、真の終りを。そして、新たな輪廻に加わる事が出来る様その偉大な愛をもちて受け入れられん事を我は請い願う」 
 そうして、徐々に静まっていった霊達はその姿を大気に溶け込ませるように、光となってあるべき場所へ還って行った。
 やっぱりフォレストは凄い。あんなに猛り狂った霊の塊に微塵も動じることなく、あっさりと浄化してしまうのだから。
 姫は静まった室内の天へ昇っていた霊達の軌跡を未だ目で追うように見上げていた。
「流石だな」
 ミストが素直に賞賛の言葉をかける。高位の司祭でもこれほどすんなりと無駄なく、数十体もの霊の塊を浄化する事は難しいだろう。実力的には北の法皇と同じかそれ以上だとミストは思っている。それでなくとも、息一つ乱れていない涼しい青い瞳の賢者は只者ではないと薄々感じてはいた。
 彼に対しては謎な部分も多かったが、ミストは数少ない軽口を叩けるこの青年をとても大切な友人だと思っている。それは彼が何者であったとしても変わることは無い。
 そしてフォレストもミストのそういう所が一緒に居て心地良くあった。
「で、ここが最深部なんですね」
 フォレストの問いかけにミストが頷く。部屋の奥の祭壇へミストは歩いていく。
 そして祭壇の裏に回ると、その裏面に開錠の呪文を唱える。カチリという音と共に裏面の壁が開きボタンが出現すると、ミストは躊躇わずにそれを押した。
 ゴゴゴと低い地鳴りの様な音が響いて部屋の壁の一部が開き、更に奥へと続いている。
「行くぞ」
 先導するようにミストが奥へ入っていく。姫とフォレストも後へ続く。
「これは……」
 姫は眼前に広がる薄暗い一面の岩壁に圧倒される。地底から吹き上げる風は肌にひんやりと纏わり付くようだ。上も下も一定の距離からは真っ暗で視界が利かない。下はどこまでも続く果ての無い谷のように思えた。
「見渡す限り岩壁。下はかなり深い谷底、おまけに視界が悪いときましたか。困りましたね」
 と、さほど困った風でもなくフォレストが言う。
「どこまで私の力が及ぶか解りませんが、魔力感知してみましょう」
 フォレストが精神を集中させると直ぐに二つ反応があった。
「ふむ。一つは間違いなく指輪でしょう。そしてもう一つは……」
 フォレストはミストに視線を移す。ミストは少し罰の悪そうな表情をした。
「魔の気配です。ミスト、貴方知っていて私達をここへ連れてきましたね?」
 フォレストは神殿入り口で反応した魔力計の反応はこれの所為だと今納得できた。
「怒るか? ……実はギルドの方から魔族退治の依頼が来ていてな。一人で来るのは億劫だがお前が一緒ならギルドの役に立つのもいいかと思ってな」
 ミストが珍しく笑みを漏らす。と言っても罰が悪そうな笑みだが。
「ならば最初からそう言えばよいものを。どうせバレる隠し事はしない方が身の為ですよ。まあ、下位魔族のようですし、とっとと片付けてしまいましょう」
「同感だ」
 フォレストにそう返しながらミストは身構える。
 カサカサカサカサカサ――――静まり返った岩壁に覆われた谷に何かの蠢く音がこだまする。その音は徐々に近づいて大きくなってくる。勢いを増し、速度を上げて谷底から這い上がってくる禍々しい魔の気配がいっそうと近づき。
「ギイッ!!」
 焦げ茶色のヤモリのような生き物が飛び上がってきた。獲物を見つけた歓喜に涎を滴らせ、ギザギザに尖った牙をにいっと笑うように剥き出しにしている。
 それは本能のままに莫大な魔力を求めて姫へと突っ込んできた。
「させません」
 フォレストが愛用の鉄扇でかまいたちのような真空の刃を繰り出し、魔族を両断する。二つの塊はぼとりと地面に落ちた。そこまでは良かったのだが。
「ほう、どうやらまだやる気みたいだな」
 ミストは塊を見下ろしながら呟いた。魔族は死ぬと魔力の結晶である魔晶石になる。しかし目の前の二つの禍々しい肉塊はうぞうぞと引き合うようにして一つになっていく。
 そしてまた、元のヤモリのような姿へと再生した。
「大人しく倒されていれば良いものを」
 ふっと短い息を吐きフォレストは炎の短詠唱魔法を唱えた。瞬時にして現れた緑の業火が魔族に絡みつくように動きを封じながら、大き目の火柱となり魔族はあっという間にその肉体を失い、魔晶石だけがその場に残された。
 フォレストは魔晶石を手に取り懐へしまう。
「何だか今回はフォレストにばかり戦わせてるようで、申し訳ないな」
 姫が苦笑するとフォレストもにっこり微笑んだ。
「この程度の魔族に姫の手を煩わせる事こそ無粋というもの。私はいつだって、あなたの剣であり盾であり恋……」
「わあああ!」
 姫は慌ててフォレストの口を両手で塞いだ。
 全くこいつは。油断も隙も無い!
 只でさえ禁断の関係だと言うのにどうしてこうもあっさりと口にするのか。賢者だからその辺は解り切っているだろうに。
 それでも期待と不安が入り混じり姫は肩で息をしながら頬を赤く染めていた。
「ふふ」
 その必死の様子があまりにも可愛らしくてフォレストは笑みを漏らす。当然わざとこうなるように仕向けたのだ。彼にとって姫とじゃれあうのは何より楽しいひとときなのだから。
「そんなに心配なさらなくとも、彼は全て知っているので平気ですよ」
 フォレストのさりげない一言に姫の顔は一気に赤くなる。
「そっ、そなた……平気って……! 父様にも話してないのにっ!」
 ミストが初めから知っていたと解り、姫は急に物凄く恥ずかしくなりフォレストの背中に身を隠すようにしがみつく。
「姫君。そう照れずとも私は他人の恋路など全く興味ないので気にするだけ損というものだ」
 相変わらず表情に乏しい顔でミストが言う。
「女性は愚か、彼は本当に魔法にしか興味がないのですよ」
 なるほどと姫は得心する。いつもなら出向く相手が男性だとフォレストは常に虫の居所が悪そうだったが、今回はそんな様子は全くなく。以前訪れた無愛想なエルフの鍛冶師の時もそうだった。
「さてと、次は指輪の捕獲ですね。シロちゃん、クロちゃん」
 フォレストの呼びかけに応じて即座に翼を持った白猫と黒猫が姿を現す。
「「お呼びですか、マスター」」
 見事にハモる二匹の声。
「一仕事頼めますか。この谷に落ちている指輪を取ってきて下さい」
「「承知しました」」
 仕事の時は真面目な二匹の羽猫達はすっと谷底へ降りて行った。
「さて、それではぼちぼち帰途に着くとしましょうか」
 フォレストは姫の手を引き元来た道を上へ向って歩いて行く。
「え、あ、でも、シロちゃんとクロちゃんはあのままで大丈夫なのか?」
「彼女達は私の使い魔ですよ。呼べばどこへでも現れますから平気です」
「あ、そう言えばそうだったな」
 可愛い使い魔達の身を案じた姫はほっと一息つく。
 そうして、姫とフォレスト、ミストの三人は神殿を後にするのだった。 



TO BE CONTINUED...
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*ムードを壊されてもいい人のみ反転で↓
*
やっと更新できたと思ったら半年少し過ぎちゃいました^^;
本当にお待たせして済みません。少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
実は今回の話はあるワンシーンが書きたくて始めたのですが、最後まで秘密です(笑
*



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