空イルカの件から数日が過ぎた頃。
フォレストが姫にこう告げた。
「どうにも私の配慮が足りなかったようです。姫はいわば歩く膨大な魔力な訳ですから……再びルシス・ドーヴァの様な者が現れないとは限りませんし、その魔力を制御する道具を作っておいた方が良さそうですね。如何ですか? 姫」
「そのような事、今まで考えもしなかったが出来るものなのか?」
「恐らく。腕の良い魔術師を知っております。二週間ほど城を空ける事になるかもしれませんが」
「そうか。作っておくのに越した事は無いのだろうな」
フォレストの事だ。きっと後々作っておいて良かったと思うのだろうな。
「御意」
「父様には私から話を通しておこう」
姫の言葉にフォレストは柔らかい笑みを浮かべる。
「それで……」
姫は澄んだ泉のような曇りの無い菫色の瞳をフォレストに向ける。
「行き先は何処なのだ?」
「魔導大国エルシェンドです」
「エルシェンドならそう遠くはないな。騎獣で半日といったところか。しかしエルシェンドにそのような魔術師が居たとは知らなかったな」
「姫がご存じないのも無理はありません。あの方は…かなりのひきこもりですからね」
フォレストは苦笑する。心なしかいつもより表情が柔らかい気がする。
「フォレストの知り合いなのか?」
「ええ。昔、同じ師の下で魔法を学んだ友人です。今でも時々連絡を取っているのですよ」
言いながらフォレストは姫の腰に手を回す。それに反応して姫は一瞬びくっとした。
無理も無い。ここは姫の私室で、室内の少し離れたところには侍女のリアフが控えているのだ。
「フォ、フォレスト……」
姫は困惑した表情で弱々しい声で彼の名を呼び、自制には程遠いそれを促す。
リアフがいるのに気付いていないはずはないのに。これでは私達が恋仲だという事がバレバレではないか。……というよりも、恥かしい。
姫が抵抗する事も出来ず、羞恥の為に顔を左へ逸らしたところを狙っていたかのように、フォレストが白い首筋に軽くキスをした。
「!!」
羞恥と不安で一瞬体が硬直するのが解った。リアフが居るのに。絶対見られているのに。どうしてフォレストはわざとこんな事をするんだ!?
姫は気が気でないらしく、その視線はフォレストとリアフを交互に弱々しく移り変わる。
「賢者様、その位にしておかないと姫様に嫌われてしまいますわよ?」
意外にも助け舟を出したのはリアフだった。
「それはいけませんね。他ならぬリアフのいう事ですし残念ですが我慢しましょう」
そして二人はにっこりと微笑みあう。
そんな二人を傍観しつつ、姫は恐る恐る口を開いた。
「…ま、まさかリアフ、そなた……知って…」
「まあ、いずれ解る事ですし、少し前に嬉しさのあまり彼女には教えちゃいました♪」
とフォレストは楽しそうに笑いながら言ったのだった。
姫と視線が合うとリアフはにっこりと微笑んでみせた。
姫は驚きのあまりすぐに言葉が出てこない。
「大丈夫ですよ、リアフは信用できる人間ですし。他人に漏洩することは無いでしょう」
「はい、それはもう勿論」
「…………」
気持ちは嬉しい。けれど、禁を犯していることには変わりは無い訳で。
複雑な心境に、姫は引きつった笑みを浮かべたのだった。そんな姫に構わずフォレストは満面の笑みでこう告げた。
「それにそれに、これからは姫の部屋では気兼ねなくいちゃいちゃ出来ますv」
とどのつまりそれか! なんでこんなのが賢者などやっていられるのか。
脱力せざるを得ない姫であった。
その翌日、王である父から了承を得る事が出来た姫は、フォレストの案内で魔導大国エルシェンドへ赴く事となった。
* * *
「…………」
門番の兵士はたった今目の前で起きた出来事にただただ驚愕し言葉を失っていた。確かに今、目の前に居る少女からはどこか普通の人間とは違う何かが感じられるのだが、それが何なのかまでは解らない。
珍しい紫銀の長い髪と澄んだ菫色の瞳が本当に美しく、高貴なものを感じさせる。只の娘でない事はその雰囲気から伝わってくる。
魔導大国エルシェンドはその名の通り魔法に非常に秀でた国だ。その為、様々な魔法の知識や道具が入手しやすい。
そして、それらを求めて入国しようとする者は決して善人ばかりではあるまい。そのような心無き者達の侵入を防ぐ為に、エルシェンドでは入国時に魔力計を用いた審査が行われている。
魔力計は邪な物や思考、そして様々な種類の魔力に反応するように出来ている。
勘の良い皆さんにはもうお解りだろう。要するに姫の尋常ならざる魔力は計測量を遥かに上回っていた為、魔力計が壊れてしまったのだ。
「まあ、こうなる事は解りきっていたのですが、案の定これを書いてきて貰っておいて良かったです」
言いながらフォレストは懐に手を入れ書状を取り出そうとする。
が、それより先に我に返った門番が姫を通すまいと強く警戒し、槍先をその眼前に突き出す。
「……」
姫は予めこうなるであろう事をフォレストに言い聞かされていたので、驚いた様子はない。冷たい槍の先をじっと見据える。
「私はイルアーナ第二王女ティナローザ。故あってこちらに参った。ここを通して欲しい」
王女、という言葉に門番は一瞬驚いてまた厳しい表情に戻る。
「これが王から預かってきた書状兼通行証です」
フォレストは門番に王家の紋章が刻まれたそれを手渡す。書状を読み終えた門番は、先ほどの非礼を詫び二人に深々と頭を垂れた。
「これは紛う事無き王家の書状…どうぞお通りください」
門番はすっと道を開ける。二人の麗人が通り過ぎていくのを確認しその姿が小さくなるまで待ってから、呟いた。
「あのお方が『茨の刻印』を宿した姫君――」
伝説上の存在としか今では思われていない存在の噂は耳にしていたが、実際目にするのは初めてのことだった。それなら壊れるのも頷ける、と門番は煙を立ち昇らせて使い物にならなくなった魔力計をなんとはなしに眺めるのだった。
「…………」
エルシェンドが魔法国家だという事は解っているが、姫は時折通り過ぎていく小人のような存在に目が行く。トコトコと人形のように歩いている。
これが噂に聞くゴーレムと言う奴か。フォレストが言うには魂を持たない人形のような物で、簡単な命令なら実行する事が出来ると言っていたな。
よく見るとそれぞれ体のどこかしらに魔晶石が埋め込まれている。この事によりエルシェンドのゴーレムは複数の命令も聞く事が出来ると言う。
「あ、いたいた」
言いながらフォレストは古めかしい飲食店の前で直立不動になっているゴーレムに歩み寄る。そして、合言葉なのか聞きなれない言葉を言うとゴーレムが手紙を渡した。フォレストはそれを一通り読み終えるとゴーレムに返す。その途端ゴーレムは崩れ、土くれになってしまった。恐らくそのような魔法がかけられていたのだろう。
「では中に入りましょうか。少し待つ事になりそうですし」
「そうなのか」
「あと十分後位にこちらへ来るそうですよ。小腹が空きましたし甘い物でも頂いていましょう」
フォレストの最後の一言に姫は瞳を輝かせる。
一方その頃、頭のてっぺんから足のつま先まで全身黒ずくめの痩身の男が通りを歩いていた。
フードを目深に被った奥から、外の様子をちらちらと瞳が忙しなく動く。そしていきなり何かに脅えたように建物の影に身を潜める……というような行動を数回繰り返した後、男はよろよろとフォレスト達の居る店に入ってきた。
それに気付いたフォレストが黒ずくめの男にひらひらと手を振る。そう、この男こそがフォレスト達の待ち人だった。
「……何故そんなにくたびれているのですか」
フォレストはくすくすと笑いながら黒ずくめの男に言った。
「好きでやっているのではない。全部あいつが悪い……」
男はため息をつきながらフードを下ろす。以外にもフードの下から現れたのは整った顔立ちだった。黒い睫毛の下に切れ長の黒い瞳、夜の闇をそのまま塗ったような漆黒の髪。肌は女性のように白く嫌味でない程度に鼻筋が通っている。
くたびれた中年の男を想像していた姫は一瞬目を疑った。
若い。多分フォレストと同じくらい。
「相変わらず、みたいですね?」
「ほっとけ」
フォレストの言葉に黒ずくめの男はばつが悪そうにする。
「では、自己紹介でもしましょうか。お嬢様、こちらがエルシェンド一の引きこもり魔法オタクのミスト・ラディウムです」
一応、面倒があってはならないので、先ほどの入国時の衛兵以外には正体を隠す事にし、姫はこの先お嬢様とフォレストが呼ぶことになったのである。
「引きこもりとオタクは余計だろう。……確かに話しに聞いていた通り、額の辺りから尋常ならざる魔力を感じるな」
ミストと紹介された黒ずくめの男は姫を見据えながら言った。
その時、金髪の少女が彼の横をすいっと通り抜けていき、何故かその瞬間ミストは明らかに怯んだ。
「どうかしたのか?」
姫が不思議そうに問うとミストはただ頭を振って見せただけだった。そして、姫のとなりでフォレストは密かに笑っていた。どうやらその理由を知っているらしい。
「こ、ここは落ち着かない。とっとと私の屋敷へ行くぞ」
黒ずくめの男ミストは唐突に立ち上がり店の外へ出た。
「行きますよ、姫」
「あ、ああ」
さっぱり訳が解らないが、とりあえず姫はフォレストが差し出した手をとり外へ出る。
ずかずかと前方を歩いていたミストが立ち止まり、丸い珠のようなものを地面へ落とすと魔法陣が足元に浮かび上がる。
近づくにつれそれが何なのかすぐに解った。
「転移魔方陣…」
姫はまじまじとミストと魔法陣を交互に見た。
転移魔方陣ってこんなにお手軽に作れる物だったのか?
「さっさと入れ、時間が勿体無い」
ミストがぶっきらぼうに言うと、フォレストが肩を竦めながら姫を促し魔法陣に入った。
一瞬の浮遊感の後、視界の先に広がった景色は…。
「……ここは、どこだ? いや、ここは一体何なのだ、フォレスト」
そこはまるで、空き巣にでも入られたような酷い部屋だった。部屋の隅々に本が散ばり足の踏み場が無い。というか、周りを見回してみると本棚が壁沿いに並んでいる。そして、窓際、部屋の奥の方に机らしき物が確認できる。
部屋中本だらけで、本ばっかりで、本以外の物はほとんど無い。
つまりここは……。
「ミストの書斎ですね」
あまり換気をしていないのだろう、フォレストはそう言うと少々むせた。
その後ろから、後から来たミストがフォレストの傍を通り抜け、器用にほんの少しだけ見えている床を足場に机(本やらなんやらが沢山乗っていて机の機能を果たしていないように見える)へ向い、椅子に腰を下ろす。
「はー…やっぱりここは落ち着く……」
初めてミストが見せた安堵の表情だった。
「ミスト、少々空気が悪いようですので窓を開けて貰えませんか」
よく見れば、埃の積もった本もざらだ。
「仕方が無い」
そう言ってミストが窓を開けると、ちょうど強風が吹き込んできて室内の本(だけではないが)に積もった埃が宙を舞い、姫とフォレストの気管支に侵入する。
二人揃ってむせ返っていると、傍にあった平積みの本に体が当たり、バラバラと床に散ばった。
「わーっ! お前ら動くんじゃないっ! 並び順が解らなくなるだろう!」
最早そういう問題ではない気がするが、ミストはこのどうしようもない部屋の散らかり具合で物の場所を記憶しているのだった。
「好きで動いてるわけじゃ、ありません、よ」
咳き込みながらフォレストが訴える。
姫は涙目になりながら考えていた。
一体何年部屋をほったらかしにしていたらこれほど酷い状態になるのか。
足の踏み場も無いこの部屋で。換気もろくにせず、このミストという者は日頃どういう生活を送っているのだ!?
「ふう……疲れた」
ようやく咳が治まり姫がほっとひと息ついた。
「時にミスト殿、この部屋はきちんと掃除しているのか?」
たまりかねて姫は尋ねた。それに対しミストは「いや」と返しただけであった。
答えは解りきっていた、しかし聞かずにはいられなかった。それほどにこの部屋の有様は酷すぎる。
「頼むから月に一度くらい掃除してくれ」
「面倒臭いから嫌だ。魔法の研究さえ出来れば後はどうでもいい」
「なっ……」
「一途なのは良いのですがねえ」
フォレストは苦虫を噛み潰したように苦笑する。
と、その時。姫の足元を黒い物体がささーっとすり抜けていった。
「きゃあっ!」
吃驚して体勢を崩した姫は平積みの本の上へ倒れる。そしてまた大量の本が床へと散ばったのだった。
「もう、こんな所は嫌だ……!!」
姫は怒りながら目の端に涙を滲ませて、勝手の解らない屋敷の扉を乱暴に開け廊下へ出た。
「姫っ! ……あの我慢強い姫をここまで怒らせるなんて」
フォレストはミストを見て皮肉っぽく笑ってみせた。
「私の知ったことか」
罰が悪そうにミストはぼそりと呟いた。
「そんな事言うと『彼女』にここの居場所教えちゃいますよ?」
ミストが一瞬身震いした。
「そ、それだけは勘弁!」
「なら部屋の片付けをしてください」
「…それは嫌だ」
「してくださいね? 次は言いませんよ?」
フォレストは満面の笑みをミストへ向けながら言った。
「……畜生。解った、少しは片付ける」
「それは良かった。なら私もお手伝いしましょう」
何故ここまできて彼の部屋を掃除しなければならないのか、やや理不尽に思いつつも、姫の為ならこれくらい何でもないとフォレストは微笑する。
知らない屋敷の知らない部屋にやってきてしまった。
室内をぐるりと見回すと試験管やらフラスコやら良く解らない器材が並んでいる。
「何かの実験室だろうか? あの書斎よりはだいぶまともだが……」
視界に幾何学模様の箱が飛び込んできたので、姫がその箱を開くと中には魔晶石が入っていた。
「……濁りが一点も見られない。こんな魔晶石が存在するんだな」
それは本当に傷一つ無い水晶と見紛う透明度だ。それを窓から差し込む日の光に透かしたりして見ていると、誰かが部屋に近づいてくる足音が聞こえてきた。
ふと視線を扉に向けると、規則正しいリズムで扉がノックされ、姫の予想通りその陰からフォレストが現れた。
「姫、こちらにおいででしたか。急に部屋を出て行くので、一部屋ずつ探しましたよ」
「すまぬ……怒りを抑えられなかったものだから」
姫が申し訳なさそうに言うとフォレストはくすりと笑って姫の傍へ歩み寄る。
「いえ、あれは仕方が無いと思います。ぜーんぶミストが悪いです」
いいこ、いいことフォレストは姫の頭を優しく撫でる。
「さて、準備も整った事ですし書斎へ戻りましょう」
「あ、ああ」
準備って何だ? と首を傾げつつ姫はフォレストの後を付いて行く。
書斎の前につき、フォレストが扉を開けるとその先には『普通の』書斎があった。
「あ、あれ?」
思わず間抜けな声が姫の喉下から出る。
来た時とは雲泥の差、綺麗に片付けられた書斎が眼前に広がっていた。そして、机には何故かぐったりと疲れきったミストの姿があった。
「ス…ストレスで死ぬ……」
何故かミストはそのような事を呟いている。
「姫の為に二人で部屋の掃除をしたんです。見違えましたでしょう?」
「うむ、これなら問題ない。あの最悪の部屋が良くここまで『普通』になったな」
心理的には物凄く綺麗な部屋に見えるが、これが普通の書斎というものなのだ。
「ふふふ。やはり『普通』の部屋が落ち着きますね♪」
「そうだな。『普通』の部屋はやはり良い」
などと姫とフォレストが言っていると。
「お前ら、普通普通としつこいぞ……こっちはこんなに消耗してるってのに」
「フォレスト、何故あの者は疲弊しきっているのだ?」
「さあ、普段やらない掃除が体にこたえてるのでは?」
フォレストは笑み交じりの声で答えた。
「当たり前だ。こんな綺麗な部屋は私の部屋ではない。ストレスで頭がはげそうだ!」
ミストは両足を机の上に置き足を組む。
「綺麗? どうみてもコレは普通レベルだと思うが……」
というか部屋が綺麗で何故頭が禿るのだろうか? 部屋が綺麗で何故ストレスが溜まるのだろうか。全くもって理解に苦しむな。
そういえば魔術師には変わり者が多いと聞いた事がある。きっと彼も変わり者なのだろう。
「さてと、それでは本題に入りましょうか。魔力制御装置、リミッターの件ですが…と、その前に」
えいっ! と言う掛け声と共にフォレストはミストの机の上の足を放り投げた。
「だっ!」
反動でミストは椅子ごと後ろへ倒れた。
「おまっ、いきなり何を!」
後頭部を抑えながらミストがフォレストを軽く睨む。
「レディファーストという言葉をご存知ですか? その席は話が済むまで姫に譲ってくださいね」
「……どれだけタフなんだよ、お前は」
ミストは最早抵抗する気力も無くそう言った。ここだけの話、部屋の片付けは六割はフォレストがやっていたのだ。
「さ、姫。どうぞこちらへ」
フォレストは恭しく椅子を引き姫を招いた。
「すまぬ……」
少々ミストが気の毒に感じた姫はそう言いながら椅子に座った。
そうして話し合いが済む頃にはすっかり辺りは暗くなっていた。
TO BE CONTINUED...
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