茨の刻印・41



「姫、今更です……」
 フォレストは騎獣の居る獣舎から離れようとしない姫に向かって苦笑交じりの声で告げた。
「行き先は『一角獣の森』だろう。私は騎獣に乗っていく。そなたはグリフォンで先に行くがいい!」
 フォレストが昨日あんな事をしなければ私だって普通に、グリフォンでも何でも相乗りに異存は無かった。
 フォレストを信頼していない訳ではないが、この気恥ずかしさはどうしようもないのだ。
 相乗りって事は必然的に私が前に座らなくてはならない訳で、即ちフォレストに背中を見せる事になる訳で……いつまた「ああいう状況」になるか解らないわけで……。
「ううぅ……」
 そうして姫が葛藤している間にフォレストはあっさりと捕縛の呪文を唱え、魔法を発動させていた。
「いつまでもこうしていても埒が明きませんし、さっさと行きましょう」
 言いながら姫をお姫様抱っこして歩き始めるフォレスト。
「なっ! 魔法で拘束するとは卑怯だぞ!」
「おや、何か言いました?」
 満面の笑みでフォレストはそう返してきた。都合の悪い事は聞き流すつもりらしい。
 姫をグリフォンの背中に乗せると自分もその後ろに腰を下ろす。
「さあ、行きますよ。振り落とされないようにしっかり私に掴まってて下さいね」
 結局はいつもフォレストの手の上で転がされている気がする……。
 初めてこのグーちゃんに相乗りした時は只の無礼者だと思っていたのが嘘みたいだ。いくら守り手だからって普通初対面に近い相手にセクハラまがいな事はしないだろう。
 一歩間違えば不敬罪で牢獄入りだったんだぞ。全く。
 私に嫌われる可能性もあったというのに、大した自信だな。
「……卑怯者」
 姫は満更でもなかったが、ぼそりと呟いてフォレストの服を握りしめた。
 そんな姫の様子をフォレストは愛しげに見つめていた。
 音も無くグリフォンは宙へすっと飛び立つ。
 暫く会話の無いまま風が肌を優しく撫でていく。
 こうして静かに寄り添っているのも悪くは無いのだけど…。フォレストに触れている部分が敏感になりすぎて、少しの動作にもドキドキしてしまう。
「そういえば、一角獣の森には何をしに行くのだ?」
 姫は恥かしさを紛らわせる為に仕事の話を切り出した。
 そんな事は百も承知なフォレストだったが(これ以上姫をからかうのもそれなりに楽しいのだが)それでは可哀相なので敢えて姫の話題に乗る事にした。
「昨日、私の結界では時間稼ぎにしかならないと申しましたでしょう?」
 姫はこくりと頷きフォレストの話を促す。 
「上位魔族はともかくルシス・ドーヴァなら、そのうち結界を突破してしまうでしょう。こういう時はやはり専門家に頼るべきではないかと」
「その専門家とやらが一角獣の森に居るのか」
「ええ。心配しなくてもどこぞの国王のように初対面でキスなんてしてこないから大丈夫ですよ。相手は女性ですし」
 どこぞの国王、とは以前仕事で行ったシャルキーヤの王の事を言っているのだろうと姫には解った。
「私は別に心配などしていないが…?」
「あなたがそうでなくとも、私はいつもあなたが他の男性と居るのを見ていると心配なのですよ。あなたは何かと惹きつけますからね」
 きょとんとした表情で自分を見上げる姫にフォレストは苦笑する。
 そうして他愛ない会話を続けていると、目的地はすぐ近くまで迫っていた。
 背の高い木々に囲まれた林には薄く霧が立ち込めている。フォレストはグリフォンを下降させ地に降り立つ。
「あの白い屋敷に行くのか?」
 かすかに見える前方の建物を見て姫が言った。
 姫が降りやすい様に手を貸しながらフォレストは頷く。
「まあ、大変なのはこれからなんですけどね…きっと」
 珍しくフォレストに後悔とも諦めとも思える表情が見て取れた。
「こんな所で怪我する訳には行きませんし、周囲を警戒しつつ気を引き締めて行きますよ」
「…フォレスト、言っている意味が解らないのだが…」
「すぐに解りますよ。さ、行きましょう」
 そうしてフォレストは前方の屋敷を目指して歩き始めた。
 
 姫はこの瞬間まで、ここへ来た事を後悔するとは微塵も思っていなかった――――。

「フォレスト、一つ訊いていいかっ!?」
 全力疾走しながら姫は前方を同じように走っている自分の守り手に向かって叫ぶ。
 人二人が漸く並んで走る事が出来る程度の岩作りの通路を、二人は十五分ほど前から走り続けていた。
「後で幾らでも説明して差し上げますから、今は逃げる事だけ考えてください!」
「そうは、言っても…っ」
 背後から迫ってくる数十体の石像を遠めに見つつ姫は動揺を隠せない。
 石像たちは石で出来てるとは思えない素早い足取りで、各々の手に武器を持ち追いかけてくる。
「壊したくなかったんですが、仕方ありませんね……」
 フォレストは走りながら精霊魔法を詠唱する。
「……万物の母たる大地の精霊よ、汝が友フォレストの言葉に従い追っ手を遮る障壁と化せ!」
 岩作りのこの通路には大地の精霊が宿っている。フォレストは彼らの力を借りて背後に迫る石像の群れを足止めしようと考えたのだ。
 フォレストの詠唱が済むと、硬質の低音が狭い通路内に大きく響き、人間ほどの大きさの氷柱の様な岩が瞬時にして通路の岩壁の四方八方から物凄い勢いで飛び出してきた。
 その障壁は見事に通路を遮断し、鼠一匹が漸く通れるほどの隙間しか残さなかった。
「やれやれ…どうやら追手は足止め出来たようですね」
 フォレストは軽く一息つく。
「それより他に言う事があるだろう…」
「…やだな、私浮気なんてしてませんよ?」
 と、微笑むフォレストとは逆に姫は険しい表情で叫ぶ。
「そうじゃなくて!! 一体何故こんな事になったんだ? 屋敷を目指して歩いていたら急に目の前が真っ白になって、気がつけば地下に居るし。それから…っ…」
 いきなり床の一部が凹んで、後ろから矢が数十本飛んできたり、大きな針で埋め尽くされた天上が落ちてきたり!
 とにかく何度死にそうな思いをさせられたことか。フォレストが巧くフォローしてくれなければ重傷を負っていてもおかしくはない状況が何度もあった。
「姫が仰りたい事は良くわかります。ですが今暫くの辛抱を。急ぎますよ!」
 フォレストは姫の手を取り、足早に出口目指して走って行く。
「ちょっ…フォレストっ!」
「苦情は後で幾らでも受けますから、とにかく今は急いでください! あまり時間がありません」
「な…っ!?」
 姫にはフォレストの意図するところがさっぱり解らない。とりあえず、フォレスト自身も焦っているであろう事だけは理解できた。
 そうして暫く走り続けていると前方から明るい光が見えてきた。それは近づくにつれどんどんとその光度を増し、あたり一面が光そのものに感じられるほどだった。
 姫とフォレストがその光の中心を通過した時、次元を隔てたような硬質の高音が一瞬聞こえたかと思うと、二人の背後にあった岩の通路は跡形もなく消失していた。
 周囲は来た時と同じく霧の立ち込める林の中だった。
 一つだけ違うのは目指していた屋敷の門の前に立っているという事。
「な、な、な……」
 姫は言いたい事が言葉にならず戸惑う。
「どうやらぎりぎり間に合ったようですね。今私達が通ってきた所はこことは別の次元です。私にも詳しい所は解りませんが、精霊界にやや近い所だと思います」 
「は……?」
 さらりと言ってのけるフォレストに姫は頭の上に疑問符を思わず飛ばしたくなった事だろう。
「カリムフラウ・ハーゲン、という名前は勿論知ってますよね」
「歴史の時間に習ったぞ。確か、一族の誰かの所為で神罰が下ったのをその強力な結界で遮ったという人物だろう。この世界で知らぬ者は居ない程に有名な幻獣族の一人……」
 そこまで言って姫ははっとした。
 まさか――――。
 そんな筈は無いだろうと思いつつフォレストを見上げると、青い瞳がふっと笑う。
「そのまさか、ですよ」
 言いながら彼が門に手を当てると、そっとそれは開いた。
「私達は、カリムフラウ・ハーゲンに会いに来たのです」
 屋敷の玄関を目指して歩きながらフォレストはそう告げた。
「何っ!? そんな伝説上の人物が実在するというのか?」
 姫は興奮のあまり大声になる。
「それを言うのなら、あなただって似たようなものでしょう。『茨の刻印』なんて滅多にお目にかかれないのですから」
 フォレストはくすくすと楽しそうに笑う。
 屋敷は貴族の邸宅のように立派な物で、軽く築数百年は経っていそうな雰囲気を醸し出している。
 玄関の白い扉の前まで来ると、フォレストは呼び鈴を二回鳴らした。
 すうっと音も無く扉が開き、眼前に広いホールが現れる。両側に赤絨毯の敷かれた階段が見える。
 天上からは月の光を集めて結晶化したような綺麗なシャンデリアが下がっている。
 透き通るような綺麗な鈴のような音が一瞬聞こえたかと思うと、姫の眼前に淡い光の粉を中に溶け込ませながら、一対の羽を羽ばたかせている人形のような妖精が居た。何せ淡い光に包まれた上に輪郭がぼんやりとしか見えないので辛うじて人型だと解る程度だ。
 その小さな妖精は二人の頭上を二回旋回すると、すっと階段の方へ移動した。
「さ、アレについて行きましょう」
 フォレストに促されるまま、姫は妖精の後に続き歩いていく。
 すると二階の一番奥の部屋の前で妖精は姿を消した。
 フォレストが扉を軽くノックすると、その向こう側から「入ってらっしゃい」と艶やかな女性の声が答えた。
 部屋の中へ入ると、女性が一人ゆったりと大き目の椅子に腰掛けていた。
 胸の下辺りまで緩やかに波打つ蜂蜜色の髪は何処か甘さを感じさせ、胡桃色の瞳は意思の強さを感じさせる。女性らしいふっくらとした唇はみずみずしい果実のように潤い、躑躅(つつじ)色の紅がとても似合っている。
「あら、随分苦労したみたいね。貴方が掠り傷を負うなんて」
 艶やかな美女は、両手に持っていた水晶を机の上の台座に置きながら言った。 
「貴女こそ随分悪趣味な事をしてくれますね。あれでは、お急ぎの方は此処まで辿り着けないのではありませんか?」
 フォレストはやれやれと苦笑を浮かべる。
「あれくらいしないと、限が無いのよ。次から次へと欲にまみれた者達が来るから」
 女性はさも不快そうに眉間に皺を寄せる。
「それに、あれくらいの迷路も抜け出せないような輩は私に会うなんて百年早いのよ」
「まあ、貴女の気持ちも解らなくはないですが、幾らなんでも時間制限付きの別次元の迷路はやりすぎではありませんか? 幸い私達が通ってきた道には白骨死体は無かったですけどね」
「でも、あなたは来れるでしょう? なら問題ないわ。何年ぶりかしら、いつ見ても美形ね。フォレスト、会えて嬉しいわ」
 微笑みながら彼女は席を立ち、フォレストに歩み寄り、しがみつく様にぴったりと体を密着させる。
 二人のやり取りを静かに見守っていた姫だったが、その瞬間、頭の中が真っ白になった。
 な、な、なにを……!?
 複雑な思いに鼓動が激しくなる。どこからか重くどろどろした感情が自分の中に目覚めるのを姫ははっきりと感じた。
 フォレストもフォレストだ、何故されるがままなのだ! わ…私と言うものがありながら。
 私の前で、堂々と、他の女性と……。
「ああ、そうだ。紹介が遅れました」
 言いながらフォレストは女性の体を面倒臭そうに引き剥がし、姫をぐいっと引き寄せる。
「こちらは、私のとーっても大切な姫君。イルアーナ第二王女ティナローザ様です」
 とっても、の部分を強調しつつ、さりげなく姫の腰に手を回す。
「自己紹介がまだだったわね。私は、カリムフラウ・ハーゲンよ。宜しくね、姫様」
 そう言って笑ったカリムフラウ・ハーゲンは薔薇のように美しかった。
「うむ、こちらこそ。カリムフラウ殿」
「カリィでいいわよ」
 艶やかな笑顔と友に、髪同様蜂蜜色の尻尾が優雅に揺れた。
 ああ、そうか、彼女は幻獣族だったな。そう言えば瞳の形も猫のようだ。
「私達が此処へ来たのは、あなたにお願いしたい事があるからです」
「…そうね。貴方が何の用も無く私に会いにくるなんて今まで一度も無かったわね。お掛けになって」
 言いながらソファに座るように二人を促すカリィ。
 カリィに言われたとおり姫とフォレストは腰を下ろす。上質のソファなのだろう、柔らかな感触に包み込まれるように体が沈んでいく。
「それで、私に頼みたい事って何かしら?」
 カリィはソファの端に体重を預けたまま、フォレストの銀糸の髪をしなやかな指先に絡ませる。
 その様子をフォレストの横で見ている姫は勿論心穏かではない。表情を隠す事は慣れているので傍目にはいつもと変わらなく見えるのだが。
「貴女のその優れた防御力を誇る結界を、張って頂きたいのです」
 続けてフォレストは空イルカとルシス・ドーヴァの事を簡潔に説明した。
「事情は解ったわ。確かにそれは大変ね。いいでしょう。その頼み引き受けるわ」
「感謝します、カリィ。ですが、後で私の人形になれ、なんてのは無しですよ?」
「あら、先に言われちゃったわ。残念ね。貴方クラスの美形にはそうそうお目にかかれないのに」
 言いながらカリィはフォレストの顎に手をかけ、自分の方へ上向かせる。そしてカリィは引き寄せられるようにフォレストに顔を近づけていく。
 それを遮ったのはフォレストだった。
「これ以上は、駄目ですよ。私はそんなに安い男じゃないんです」
 これ以上無いくらいにわざとらしい笑みを浮かべて、フォレストは眼前の美女を見据えた。
 するとカリィはあっけなく身を放し、ふうっとひと息ついた。
「貴方がもっと馬鹿だったら良かったのに」

 姫は窓の外を睨むように見つめていた。
 あの後、疲れているだろうから部屋で体を休めた方が良いとカリィに言われ、案内された部屋で彼女はずっとそうしている。
 そして彼女の後ろでは、困り顔のフォレストがベッドを椅子代わりに腰掛けている。
「まあ、むくれている理由は解りますけど、ね」
 そんな姫がまた可愛くてしょうがないフォレストだったりする訳だが。
「姫…無理に機嫌を直せなんて言いませんから、せめてこちらを向いてもらえませんか?」
「…………」
 フォレストの優しい訴えにも姫は何も反応を返さない。
「私がカリィにされるがままになっているのが嫌だったのは解ります。でもこれには事情があるんです」
 カリィは昔から美青年が好みでその陶酔ぶりは凄まじいものがあった。
 神罰をも遮断する事の出来る彼女の結界の力を求めて各国の王達が我先にと、求婚した。しかし彼女はそのどれにも応じなかった。
 美形じゃないという理由だけで。それだけで門前払いは確実だった。
 どれほど金を詰まれようが彼女の心は決して揺らぐ事が無かった。
 しかし、見目麗しい美青年達の願いだけは断る事はしなかった。願いを聞き入れる代わりに彼らに自分の人形になる事を条件として。願いの内容により期限付きで青年達は彼女の人形として過ごさなければならなかったのだ。
 まあ、彼女はあれほど艶やかな美女であるし、契約期間が切れても彼女の元に残ろうとする青年達も多かったのは事実だ。
 しかしそれはあくまでも人形として彼女が愛でているだけで、青年達の中味には全く興味が無いのである。彼女は純粋に美しい青年の外見だけが愛でる対象なのだった。
「…本来ならば私も頼みを聞き入れてもらう代償に、そうしなければならない所を、以前彼女と賭けをして勝ったので、お触りだけで済ませてもらっているんです」
 だからって……そんなの……。
 そんなのは嫌だ。どんな理由があるにせよ、好きな人が他の女性に勝手に触れられるなんて。
 そして私はそれを見ていることしか出来ないなんて。
 たとえ愛情が無くても、嫌だ。
 物凄く嫌だ。私の大切な人に、あんなこと……。
「そんな泣きそうな顔で、何強がってるんですか」
「!」
 気付いた時には斜め上からフォレストに見下ろされていた。驚愕のあまり、瞬時に体がフォレストと対の方向へ動いた。
 こんなに近くに来ているのに全く気付かなかった。
「…何があっても、この世で唯一人私が大切なのは…愛しいと思うのはあなただけですよ?」
 フォレストの優しく諭すような声が切なくて涙が出そうになる。
 私はもっとフォレストを信じるべきなのに、拙い嫉妬心から意地を張ることしか出来ないのだ。
 フォレストみたいに大人だったら、こんな気持ちにはならないのだろうか?
 姫は泣きそうになっているであろう自分の顔をこれ以上見られるのが耐えられず、フォレストから顔を逸らした。
 何故だか、泣いたら負けなような気がして。
「私は退散した方が良いでしょうかね……」
 苦笑交じりに呟いて、フォレストは名残惜しそうに姫から離れて踵を返す。
 が、歩みを進めようとすると後ろから引っ張られるのが解った。振り返ると背を向けたまま自分の服の裾を掴んでいる華奢な手が目に映った。
 一瞬、驚きに見開かれたフォレストの青い瞳が、ゆっくりと優しい光を湛えていく。
 敢えて見ようとしなくても、愛しの姫君の顔が赤くなっているであろう事は想像に難くない。



TO BE CONTINUED...
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*ムードを壊されてもいい人のみ反転で↓
*
カリムフラウ・ハーゲンという名前は、考えている時に窓の外につるっぱげの人が居たのでそうなりました。
精霊魔法使うところは、例の如く相方に考えてもらいました(笑
ホントは魔法の名前まで入れるべきなのでしょうが、そこは面倒臭がりの私ですからね!…orz
*



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