「そんなに抵抗されると余計に放したくなくなりますが?」
「う……」
姫はフォレストの言葉に一瞬詰まる。何故なら彼の瞳はいつものように微笑んではいなかったからだ。
今のフォレストにある表情は作られた微笑のみ。まるで仮面の様に感情が感じられない。
私が…フォレストをそうさせているのか?
姫はそんなフォレストが少し恐く感じられ、不安そうに菫色の瞳を彼に向けた。
「私とていい加減、我慢の限界なんです。いつまでも聞き分けの良い賢者ではいられません」
「フォレスト……あ…っ…」
フォレストの熱い吐息が耳朶にかかり、そのまま首筋へと移っていく。
伝わる体温が、必要以上に心地良く体から力が抜けていくのが解る。
触れる指先がゆっくりと焦らすように、肌を優しく撫でていく。
「や…っ…やめ…」
フォレストと出会ったばかりの頃、耳を噛まれたことがあったけど、これは…あの時の比じゃない!
少しでも気を許したら自分が自分でなくなるような。なんだか怖い。
勿論フォレストの事は好きだし大切に思っている。けれどこれ以上先に行くのは怖くて不安なのだ。
「やめたくありません。もう少し慣れていただかないと」
そんな姫の不安を知ってか知らずかフォレストは平然とそう告げた。
続けて自分の眼前にある白い喉元を強く吸う。きめ細やかな柔らかい肌は吸いついてくるように彼の唇と隙間無く重なった。
僅かな水音とともに離れたそこには赤い印がついていた。
「なっ、何をする!?」
精一杯虚勢を張って自分を睨んでくる割りに弱々しい声の姫を可愛らしいと思いつつ、フォレストは笑顔でこう言った。
「愛が深まるおなじないです」
「なっ! ふ、ふざけるな! いくら私でもこれ位知ってるぞ、これは…その……キ、キスマークとかいう…」
話しているうちに急激に恥かしさがこみ上げてきて口調がいっきに弱まっていく姫。
「おや、ご存知でしたか。大丈夫、恥かしいのは最初だけですから。それにこれから沢山する予定ですし、すぐ慣れますよ」
もう限界だった。フォレストのその一言に姫の恥かしさは頂点に達し、自分でも信じられないくらいの力でフォレストを押しのけていた。
いてもたってもいられず、姫はその場から逃げるように森の奥へ翔けて行った。
艶やかな紫銀の髪を大きく揺らしながら森の中へ消えていく姫の姿を見送ったあと、フォレストはため息をついた。
良かった…逃げてくれて。
ちょっと意地悪するつもりが、あやうく本気になりかけた。
最近また一段と女性らしくなって…あんな潤んだ瞳で、淡く桜色に染まった肌でそばにいられたら理性も飛びかける。
どさり。
ふいに後ろの方から人が倒れるような物音がした。
面倒臭そうにフォレストが背後をみやると、女性が倒れていた。
何故か口から大量の砂を吐いて、全身をぴくぴくと痙攣させていた。
そしてフォレストはその女性に見覚えがあった。頭の高い位置で一つに纏めた長い金髪に褐色の肌、必要最小限の軽装備、そして腰にさげた一振りの剣。
「貴方は…そんなところで何をしているんです?」
「ゲロ甘だ…ゲロ甘すぎて……シヌ」
彼女は砂を吐き続けながらうわ言のようにその言葉を繰り返す。
「大丈夫ですか?」
フォレストは仕方なく彼女を介抱しようと歩み寄る。
「大丈夫じゃない…いきなり人に砂吐かせやがって私を殺す気か…?」
青ざめた顔で静かに怒りを抑えながら彼女はそう言った。
「人のラヴシーンを見ておきながら良くそういう台詞が出てきますね〜、ソウェル」
笑顔で微笑むフォレストの背後に絶対零度の嵐が吹き荒れるのが見えたような気がして、彼女は引きつった笑みでこう言った。
「あ、ははは〜…ひ、久しぶりだなぁ。フォレスト」
「全く…で、今度は一体なんなんです?」
フォレストは半眼を閉じ呆れたように彼女、ソウェルを見やる。
「ん? 何がだ?」
彼女は立ち上がり、服の埃を叩きながら青がかった緑の瞳をフォレストに向ける。
「何の用もなく貴方がこんなところへ来るはずないですからね。しかもたった一人で」
「うぐっ」
ソウェルは見た目快活な美女であったが”何故か”恋人が出来ないという哀れな女性だった。それ故に、フォレストの「たった一人で」という言葉に少なからずショックを受けていた。
「…お前の言うとおり、ここへは仕事で来たんだよ。悪かったな、たった一人で」
「見た目は美女なんですから、そんな卑屈になる事もないでしょう。襟元の金が泣いてますよ」
「お前がそう思わせるような物言いをするからだろうが」
「それにしても、仕事でわざわざこんな人気(ひとけ)の無い場所へくるとは」
「…お前、さっきの娘食い損ねたから私にやつあたりしているだろう!?」
今度はフォレストが怯む番だった。
「…姫をそこらへんの娘と同様にしないで頂きたいですね」
「まあ、確かに美少女の部類には入るだろうな。螺旋宮でお前が抱きかかえてるのを見たときは何事かと思ったが、そういう関係だったのか。よりによって一国のお姫様をたぶらかすとは」
螺旋宮…魔族討伐組織の通称である。彼女もまた魔狩人の一人であった。フォレストが言った襟元の金は、魔狩人最高位の金の襟章を指した物だった。
「私と姫は相思相愛、どこぞの独り者のさみしい誰かさんとは大違いです」
フォレストは嫌みったらしい笑みでソウェルにそう告げた。
「ぐはあっ!」
ソウェルは精神的に大ダメージを受けたらしい。
「さて、私は姫を探してきましょうかね。危機が及ぶといけませんし」
「それがいいな。ここから速やかに立ち去る事だ」
珍しくソウェルが真顔でそう言った。
「貴方の口からそんな言葉が出るとは、穏かじゃありませんね? よほど深刻な仕事内容みたいですが…」
「極秘任務だからな。銀色の殺戮者…通称”ルシス・ドーヴァ”絡みのな――」
通称と言ったのは、彼…ルシス・ドーヴァの正式名が不明だからだ。この名は螺旋宮側が呼びやすくする為に仮につけたものだった。
彼が関わっている全ての出来事で多くの人間が命を落としていた。彼は人でありながら魔族でもあり、しかし人間に対し激しい憎悪を抱いていた。それ故に、人間が滅びる事には何の躊躇いもなくその為に進んで力を貸すような男であった。
「何ですって!? あの男がここに来ているのですか?」
フォレストの言葉に無言で頷くソウェル。
「実際確認したわけじゃないけど、諜報員からの情報だからほぼ確定的だろうな」
「そんな危険人物が何故こんなところに……まさか……」
「察しがいいな、フォレスト。そのまさかだ。奴はきっと空イルカを狙っている。その使い道は想像も付かないがな」
「一刻も早く姫を連れ戻さなくては!」
そう言い残しフォレストはその場を足早に去る。その場に一人残されたソウェルはぽつりと呟いた。
「あいつのあんなに焦った顔、初めて見た…よほど大事なんだなぁ」
* * *
ばか! ばか! フォレストのばか!! えっち!
姫は恥かしさのあまり、少しでも早くフォレストから遠ざかりたくてわき目も振らず一心に走り続けていた。
「はあっ、はあっ…」
流石に長い事走り続けていたせいか苦しくなって、その場にへたり込む。肩は荒い呼気のため激しく上下し、肌はうっすらと汗ばんでいる。
暫し呼吸が落ち着くまでその場で息を整えていると、前方から爽やかな風が吹き込んできた。この先はどうやら森の出口らしく、開けた場所になっているようだ。
姫はそろそろと立ち上がり、風の吹いてくる方向へ歩みを進める。十メートル程歩くと小屋が建てられる程度の広さの場所に出た。
瞳を閉じて深呼吸すると、火照った体に清々しい空気が入り込んできてとても気持ちが良い。
「ふう…」
辺りを見回して椅子代わりになりそうな物を見つけると、姫はそこへ腰を下ろし楽にした。
特にする事もなかったので、ぼんやりと辺りの景色を眺める事にした。
相変わらずダイヤモンドダストのように降り注ぐ魔力の欠片は神秘的で美しい。
「勿体無いなぁ…こんなに綺麗な場所なのに。父様達にも見せてあげたかったな…」
でも、フォレストと私だけの秘密なのだ。
きっとイルアーナでも知っているのは私とフォレストくらいのものなんだろうな。何だかちょっぴり嬉しくて気恥ずかしい。
こんな素敵なことが二人だけの秘密だなんて。
などと思いつつ姫がぼんやり景色を見ていると、前方に漆黒が降りて来た。
ふわり、という形容がぴったりくるような軽やかな体裁きで音もなく地に足をつく。
「……空イルカ以外の純度の高い魔力の波動を感じてきてみれば……めったにお目にかかれぬ『茨の刻印』か」
いきなり目の前に現れた存在に姫は言葉を失っていた。ただ普通に人が現れただけならもう少し平静でいられたであろうが。
今自分の目の前にいる人物は明らかに普通ではなかった。
彼は普通の人間には手懐ける事が困難な飛竜を自分の手足のように自然に扱っている。飛竜はそれなりにプライドが高く、決して自分より弱い者には従う事がない。
静かに自分の前に佇んでいる男は、銀色の髪に同色の瞳、色白の肌、闇のような漆黒の長衣を身に付け、その細身の体に似合わぬ大剣を手にしていた。
ともすれば二十代前半から半ばと思われる外見だが実年齢と遥かにかけ離れているように感じられる。外見通りの年齢でない事は彼の雰囲気が如実に物語っている。
敵意は感じない。だがこの男からは今まで一度も感じたことのない得体の知れない何かを感じ取れた。外見は人でありながら、感じる波動は魔族のそれと非常に酷似している。しかし魔族そのものではない。
そして何より圧倒的なのはその身から伝わる強さだ。
普通の人間ならまず気付かないであろう。だが、いくつかの死線を潜り抜けてきた姫には眼前の男が圧倒的強さを持っていることが否応なく解ってしまった。
下手をするとフォレストやアレイラルを遥かに上回っているかもしれない。
”逃げる”という思考すらも停止するほど、姫は微動だに出来なかった。ただただ驚愕に満ちた表情で目の前の男を凝視していることしか出来ない。
「いきなり襲い掛かってこないところをみると、さほど愚かではないようですね」
銀髪の男は口元にだけ微かな笑みを浮べてそう言った。
そして男は一歩、また一歩と姫へ近づいていく。彼が近づくにつれ姫は例えようのない威圧感を感じる。
手を伸ばせば触れられる位置まで来ると、銀髪の男は姫の額に手をかざした。
「この莫大な魔力…純度の高さ。まさしく正真正銘の本物ですね」
言いながら男の脳裏をある思考がよぎる。
「空イルカよりもこちらの方が――」
質、量、共に効率的ではないか?
しかしながらその思惑は突如現れた結界により遮られた。
「それ以上姫に近づかないでください」
姫の耳に良く馴染んだフォレストの声だった。しかし張り詰めたその声には殺気すら漂っている。
銀髪の男は軽く後ろへ跳躍すると、優雅に飛竜へ跨り空へ飛び立つ。
「とんだ邪魔が入ったな。今日は任務だけ終わらせて帰るとしましょう。…貴女とはいずれまたお会いするかもしれませんね」
そういい残し、飛竜を大きく旋回させると銀髪の男は飛び去ってしまった。
フォレストは使い魔のシロちゃんとクロちゃんを呼ぶと、ソウェルに銀髪の男が現れた事を伝言するように頼んだ。
「もし、彼女の方にすでに現れていたら援護を頼みます」
「はーい、わっかりましたです〜!」
「了解…」
言うが早いかシロちゃんとクロちゃんはその場から姿を消した。
「姫、大丈夫ですか?」
「あ、ああ。だいじょう……なっ……」
大丈夫だ、と言おうとして、ふいに全身が震えだした。
「あはは、何だこれ…ちっとも大丈夫じゃないぞ……」
小刻みに震える自分の両手を見つめながら、姫は困ったように複雑な笑みを浮べた。
堪らずフォレストは姫を強く抱き寄せる。
「ああ…無事で良かった……あなたにもしもの事があったらどうしようかと」
「ん…」
姫もしがみつくようにフォレストの胸に顔を埋めた。
フォレストの心音が聞こえる。少し早めに音を刻んでいたが、暫くすると通常のそれに移行していった。
それと共に姫の震えも治まってく。
「フォレストのここはいつも温かいな…それにほっとする。不思議だな…」
そう言って胸元から自分を見上げる菫色の瞳に、フォレストは一瞬理性を飛ばしかけた。
「では、お礼にちゅーしてくだ…」
どんっ!
全て言い終わらないうちに後ろへ突き飛ばされるフォレスト。
「酷いじゃないですか〜」
「そ、そなたが悪いっ!」
姫は頬を真っ赤にして叫んだ。
「今更たかがちゅー位で騒がなくても」
「たかが、とか言うなっ! 王家のしきたりを忘れたのか!? 神聖なものなんだぞ!」
「そりゃ覚えてますけど。常に理性が野性を上回っているとは限りませんよ。なんてたって私達は人間なのですから…まあ、姫に限って言えばもはや天然記念物並ですけど」
「なっ! 私のどこが天然記念物なんだ!?」
「さぁ〜て、どこでしょうねぇ〜?」
フォレストは意地の悪い笑みを浮べて見せた。
「そ、それよりさっきの男は一体誰なんだ?」
「存じ上げません」
姫の問いにあっさりとフォレストはそう答えた。
「…何故嘘をつく? 先程のそなたのあの男に対する殺気は私にも直に伝わってきたぞ!」
「姫に近づく男は全員敵ですから。城へ戻りますよ」
とフォレストは笑顔で姫へ片手を差し出す。が、姫はその手を振り払った。
「使い魔まで飛ばして、一体私に何を隠している? 話すまでここを動かんぞ」
我ながら子供じみたことを言っているという自覚はあったが、どうしても訳を知りたくてそう言った。
「……あなたならそう言うと解っていたから、この件には触れたくなかったんですがね…」
フォレストはやれやれといった風にため息を吐いた。
そして銀色の殺戮者、通称”ルシス・ドーヴァ”の事を姫に話して聞かせたのだった。
「というわけで、その辺の暗殺者や殺し屋よりよほど質が悪いですから姫には一切関わって欲しくないのです」
「只者ではないと思っていたが…そんな危険人物だったとは……」
どうりで尋常ならざる雰囲気を醸し出していたわけだ。
彼の虫の居場所が悪ければ息をするほどの容易さで命を絶たれていたのかもしれない。
何しろ自分は動く事すら出来なかったのだから。
一方その頃。
フォレストの使い魔のシロちゃんとクロちゃんは援護に大忙しであった。何しろ二人がソウェルを見つけ伝言をした数十秒後にルシス・ドーヴァが現れたからだ。
肩に付く程度の銀髪を風に靡かせながら現れた彼は空イルカを見つけるや否や、呪文を唱え氷の塊へと変化させた。
それを見た他の空イルカ達は仲間の危機に、額の辺りから一斉にルシス・ドーヴァ目掛けて衝撃波を放った。
しかし彼は慌てるでもなく、優雅にマントを閃かせただけで空イルカ達の衝撃はを無効化してしまった。彼自身の魔力の高さか魔力防御の高い服のせいかは解らないが、それは本当に魔術でも見ているかのような見事なものであった。
「やはり現れたな、ルシス・ドーヴァ! 今日こそ大人しく縛についてもらうぞ!」
ソウェルは青緑の瞳に強い意志を宿し叫んだ。
何しろこの極秘任務についてから既に一年半が過ぎていたからだ。自分でもいい加減早く決着をつけたいとずっと思っていた。
「どこから情報を仕入れてくるのやら、毎回貴女もこりませんね」
ソウェルに対しルシス・ドーヴァは余裕の笑みを浮べて見せた。
「貴様が悔い改めるなら何度もこうする必要もないさ」
言いながらソウェルは腰に下げていた剣をすらりと引き抜く。
「頼むぞ、雪華」
主の呼び声にソウェルの剣は淡く輝く。水晶のように透き通った透明な剣だ。
「まだそんな厄介な魔具を持っているのですか…気に入りませんね」
言いながらルシス・ドーヴァも飛竜から降り、大剣を身構える。
「…何しろその剣は魔力を吸収する。実に厄介です」
「私からすれば貴様の方がよほど厄介だね」
ソウェルの青緑の瞳とルシス・ドーヴァの銀の瞳が激しく交錯する。
「フォレストの使い魔達は空イルカ達を避難させてくれ!」
シロちゃんとクロちゃんはソウェルの言うとおり空イルカ達を森の奥へと誘導していった。
TO BE CONTINUED...
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*ムードを壊されてもいい人のみ反転で↓
*因みに私と相方の間では銀髪の男は通称”ぎんぱっつぃー”と呼ばれてます(笑
相方の小説に出てくる敵キャラがあまりにもカッコいいのでつい登場させてしまいました(了承済み
いいよ、この人。寧ろこの人のお話をメインで読んでみたい(´¬`*) というか早く名前付けてあげて欲しい(笑
でないと、ずっと”ぎんぱっつぃー”だよ!
*
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