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「茨の刻印」・37 |
――見上げた空は、あまりにも高く清々しくて心に染みる。
何故……私が生きているのだろう。
何故ラクエルが死ななければならなかったのだろう。
ラクエルが見せた末期の笑みが頭から離れない――――。
死ぬと解っていながら、何故あんな笑みが浮べられるのだろう。
哀しいほどに優しい微笑みだった。
涼やかな風が空を仰いだまま微動だにしない姫の紫銀の髪をさらりと宙になびかせる。
艶やかな光沢のある髪が陽の光を反射して、宝石のようにきらきらと光の粒子を揺らす。
やばい。気を張っていないと泣きそうだ。
その時、背後から聞き覚えのある声がした。
「こちらにおいででしたか、姫」
振り返らずとも声でフォレストだと解った。
フォレストはラクエルの死後、滅多に笑みを見せなくなった姫を見てため息を吐いた。
忘れろとは言わないが、彼が亡くなってから既に一週間。ずっと姫はこんな調子で塞ぎこんでいるのだ。
気がつけば姿を消していて、この城の離れの展望台から空を眺めている。
「ひとりに、してくれ……」
「嫌です」
フォレストは姫の願いをあっさり拒否した。
「自責の念に駆られるのはあなたの勝手です。落ち込むのもあなたの勝手です。だが『ラクエルの代わりに私が死ねば良かったのだ』などと愚かな考えを持つあなたをほって置けるわけが無いでしょう」
姫に諭すように落ち着いた声でフォレストはそう答えた。
「しかし…! 私が王女でなかったらラクエルはあんな無茶をしなかっただろう!? 私は王家の者だと言うだけで無条件に守られて…っ!」
振り向いた姫の瞳にはじんわりと涙が滲んでいた。
「それこそ彼を見くびっている。彼の想いはもっと深く重いものでしたよ……」
「どういう事だ? そなたの言っている事は良く解らぬ」
「死ぬ間際まで彼はあなたの幸せを望んでいたのです」
そう、ただやり方を間違えただけで。
身分違いの恋愛は禁断。
だからラクエルはルヴォラムの策略に簡単に引き込まれた。
姫を失脚させた後、その身柄を自分に譲ると言われたからだ。事が成就した暁には、強引ではあったがイルアーナを離れ二人静かに暮らしていくつもりであった。
ラクエルは自分なりに姫の事を愛していた。そして、その愛しき者の幸せをフォレストに託したのだ。
はっきりと姫にそう伝えないのは、それがラクエルの意志だからだ。
姫を思うが故にラクエルは想いを告げずに逝く事を選んだのだから。
「あなたは幸せになる義務があるのですよ。ラクエルの死を無駄にしない為にも――」
「しあわ、せ……」
それ以上口にすると涙が零れそうで姫は口元を引き締めて、涙を堪えた。
もう限界だ……と思った時、視界が暗くなった。
「お泣きなさい」
気がつけばフォレストの腕の中に抱きしめられていた。
それと共に緊張感がとけて、姫は――堰を切ったように泣き出した。
それはもう、幼子のように声を上げて、 しゃくりあげて。
他人の前でこんなになりふり構わず泣いたのは久しぶりだった。
泣きながら姫は思った。
フォレストが発した言葉は免罪符のようだと。
”幸せになる義務”
本当に私はそうなってもいいのだろうか? こんな浅ましい心を持っている私が。
ラクエルの死を嘆くと同時に、私を庇ったのがフォレストじゃなくて良かったと……安堵しているような私が。
それから数刻時が過ぎ――フォレストは姫の頭を、彼女が泣き止むまでずっと優しく撫で続けていた。
「もう、大丈夫だ…」
言いながら姫は両腕を伸ばし突っ張るようにしてフォレストから距離を保ち離れようとした。
これ以上泣き顔を見られたくないのと、気まずさから生じた行為だった。
しかしフォレストは放してはくれなかった。それどころかこう答えた。
「気に入らない……」
今は私の腕の中に居るというのに。
あなたは私ではなく他の男の事ばかり考えている。ラクエルが亡くなって哀しい気持ちは解るけれど、面白くない。
フォレストは腕の中の少女を強く抱きしめる。
姫はというと、フォレストの不可解な行動に困惑している。
「フォレスト……?」
「ただの嫉妬です。気にしないでください」
そう言って姫を解放したフォレストはいつものように微笑んでいた。
「そうか?」
よく解らないが、気にするなというなら気にしないが。
いつもの彼女なら気にするのだろうが、今は気持ちにそれだけの余裕が無かった。
だいぶ気持ちが落ち着いてきたので、姫はずっと考えていた事をフォレストに話すことにした。
「フォレスト、怒らないで聞いてくれるか?」
「何でしょう?」
フォレストの青い瞳が優しく笑った。
「その…実に言い難いのだが……王位継承権を返上しようと、考えている……」
「それはまたどうしてですか?」
フォレストは思わず苦笑する。姫の考えそうな事だと予想していたからだ。
「私は王位を継ぐのに相応しくないから……自分の事に精一杯で、今回だってずっとフォレストに頼り切っていた。私にもっと力があれば今回の件はもっと被害が少なかったのではないか? 刻印をこの身に宿していても、浅はかさから魔力を封じられ肝心な時に使えないなんて道化もいいところだ」
姫の心を罪悪感が満たしていき、表情が曇る。
「あなたはこれまで王女として頑張ってきたではありませんか。あなたなら大丈夫です。玉座の重みを知って悩むあなただからこそふさわしいのですよ、私の姫君。帝王学を学んでいるとは言え、あなたは十七歳の小娘なんですから未熟で当然です」
「こ、小娘…」
それは、確かにそうだけれど。小娘などと言われたのは生まれて初めてで、姫は瞳をぱちくりと瞬かせたのだった。
「平気ですよ。あなたなら立派な王になるでしょう。何と言ってもこの蒼の賢者たる私がついているのですから」
あまりにもキッパリと断言するフォレストに姫はふっと笑みを漏らす。
「ずっとそばにいてくれるのか?」
「あなたが嫌だと言わない限りは」
フォレストは優しく姫を見つめながら答えた。
「そうか。それは頼もしいな」
本当にフォレストが居てくれれば頑張れそうな気がするから不思議だ。
辛い事もきっと乗り越えられる。いや……乗り越えてきた。
「そろそろ戻りましょうか。あまり城を離れると陛下が寂しがりますしね」
フォレストは苦笑しながら、「お手をどうぞ」と姫に片手を差し出す。
姫はフォレストの手に自分の小さな手を重ねる。
そして今自分が出来る最高の笑みを浮べて言った。
「ありがとう、フォレスト」
今はまだ気持ちが複雑に絡まっていてうまく笑えていないかもしれない。
それでもフォレストの為に笑顔でいたかった。
神殿で自分の死期を悟った時、背筋が凍りつくような恐怖を覚えた。
でもそれは肉体的な痛みを想像してそうなったわけじゃなくて。
死んでしまったら二度とフォレストの顔を見る事も声を聞く事も、他の色々な事も感じられなくなるのが物凄く怖かったからだ。
それを思うと今こうしていられるのが本当に嬉しくて。
「どうしたんです!? 姫」
珍しくフォレストが何かに驚いて声をあげる。
「どこか痛むんですか?」
言いながらフォレストは姫の目元を拭う。
どうやら自然と涙が流れていたらしい。道理で視界がぼやけて見えるわけだ。
「ほっとしたら、泣けてきたらしい…別にどこか痛いわけでも哀しいわけでもない」
ああ、でも少しだけ心が痛いかもしれないな。
何だかとても甘くて切なくて懐古的な……うまく言えないのがもどかしいけれど。
心の奥底から泉のように溢れ出てくる温かい何か――。
ああ、そうか。この想いはきっと…………。
「本当に大丈夫だから」
姫はささっと涙を拭うと、いつも通りの彼女に戻る。
「行こう。ちょうどお腹が空いてきたところだ」
「ええ」
そして二人は共に城へ向けて歩き出す。
幸せになる義務があるというのなら。
私の幸せは、フォレストがいつも笑顔でいてくれること。
フォレストが幸せでいることだ――――。