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「茨の刻印」・34 |
フォレストは適当に宿を決めると部屋をとった。
部屋に入り、窓を開けて風通しを良くするとフォレストは椅子に腰を下ろした。姫もそれに続いて腰かける。
「まあ、今日は流石にもう襲ってこないでしょうから、のんびりと今後の対策でも練りましょう」
「うむ」
水差しからコップに水を注いでフォレストは姫の前へ差し出す。勿論自分の分も水を注ぐ。
「えーとですね、先ず姫には敢えて敵に捕まって貰いたいのですが」
「それはまたどうしてだ?」
思いもよらぬ言葉に姫は瞳を瞬かせる。
「人質兼スパイとして。きっとルヴォラムが差し向けた刺客達はあなたを捕らえるまで何度でもやってくるでしょうしね」
「そうだな…」
「よほどの事が無い限り命まで狙われる事は無いと思います」
「わかった」
姫は少しの迷いも無くフォレストの言葉に頷いた。
しかしフォレストは姫に対し少し罪悪感に似た気持ちを抱いていた。
なぜなら、今姫に話した事はある意味――賭けだったからだ。
よほどの事が無い限り命まで狙われる事は無い…とは言ったが、ルヴォラムは恐らくもう正気の沙汰ではないだろう。もしかしたら多少痛い目には遭わされるかもしれない。
だが、いつまでも逃げ回っていたところで追う追われるのイタチゴッコの繰り返しになるのは目に見えている。
だから、敢えて姫を捕らえさせ大臣ルヴォラムの出方を待つ事にしたのだ。
少し困ったような表情で自分を見つめるフォレストを不思議に思い、姫は怪訝そうに彼を見つめる。
「フォレスト?」
「なんでしょう」
そう言ったフォレストは既にいつもの彼に戻っていて。
「…いや、なんでもない」
腑に落ちなかったが姫はもう何も言わない事にしたのだった。
いつもと変わらぬ表情で自分に接するフォレストは、暗にその事に触れるのを拒絶しているようで。
それは何だか少し寂しい気がする。
「よしよし」
フォレストは子供をあやすように姫の頭を優しく撫でる。
「…子供扱いするな…」
姫は呆れたような視線をフォレストに向ける。
「よしよしよしよし」
フォレストはにっこり微笑んで更に姫の頭を撫でた。それと相反して姫は渋面になっていく。
「わざとやっているだろう?」
「だって姫ってばからかい甲斐があって楽しいものですから。強情な割にかなりの照れ屋なとこがまた可愛らしい」
何食わぬ顔で言うフォレスト。
「なっ! ば、莫迦者! そなたが恥ずかしい事ばかり言うからっ」
「私は別段恥ずかしくはありませんが?」
フォレストは意地の悪い笑みを浮かべて言った。
紅潮する姫をそれはもう楽しそうに眺めている。
「そっ、そなたは特別なのだ! …平気で歯の浮く台詞を言う」
そうだ。いつもいつも人を恥ずかしい目に遭わせて。
その空よりも広く深い青い瞳に見つめられて、しなやかな腕に抱きしめられて。
耳に心地良いその声で囁かれたら、どうしていいのか解らなくなる。
「ふふふ。心配なさらなくとも全て本気ですから、大丈夫です」
「私は大丈夫じゃないっ!」
姫は思わず勢い良く机に両手を付き、椅子から立ち上がった。
が、すごすごと再び椅子に腰を下ろす。
恥ずかしさに耐えかねて、このまま外へ出て行こうかと思ったが、流石に人目に付くのは良くないと考えを改めた結果であった。
するとフォレストがこう言った。
「ふむ、つまり姫は私の想いに不満足だとおっしゃるわけですね? 解りました、それではもっと親交を深めようじゃありませんか」
そう言ってフォレストは姫の線の細い顎を形の良い指で捕らえる。
「ななな、ち、違う! そんな事は言ってないっ」
姫は慌ててフォレストの手を振り払った。
はあはあ、と息が上がる。未だ興奮冷めやらぬその頬は朱に染まっていた。
全く、何がどうなったらそういう考えに至るんだ!?
「おかしいですねぇ。顔に私のことが好きでたまらないと書いてあるのに…」
「うそっ!?」
はっとして姫は両頬を両手で覆った。
「いやまあ、嘘ですけどね」
フォレストは笑い混じりの声で言った。
「こんな単純な冗談にひっかかるなんて」
目の前の真っ赤になった姫を見ながら、フォレストは楽しそうにくすくすと笑みを漏らす。
本当に見てて飽きない。年の割に聡いかと思えば、思わぬところで世間知らずだったりする。
――本当にあなたは可愛らしい方だ。
「フォレスト! また私をからかったのか!」
怒りと悔しさと恥ずかしさが混ざり合った複雑な表情で、それでも姫はフォレストを睨みながら言った。
「私は悪くありませんよ? あなたの反応がいちいち可愛すぎるからいけないんです」
「そんなの私の知った事ではない」
姫はぷいっと顔を横に逸らす。
そんな姫の様子すら可愛く思えてフォレストはくすくすと笑った。
そうして、その日は何事も無く一日が終わったのだった。
翌日。
朝食をとり終えてしばらく経った頃宿を引き払い、姫とフォレストは外へ出た。
とは言っても行き先は決まっていない。
敢えて敵に捕まる為にそこら辺を歩き回るのだから当然といえば当然か。
しかし、一般市民に捕まるわけにはいかないので姫は未だ変装したままである。
ある通りに差し掛かると、なにやら揉めている様な言い争いが耳に飛び込んで来た。
「何て事をしてくれたんだ! この小娘ッ!! よりによって領主様からお預かりした壷を割ってしまうとは!」
眼鏡をかけた気の短そうな恰幅の良い老人が、皺くちゃの顔を更に深く皺くちゃにし、地面にへたり込んでいる十三、四歳位の少女に喚き散らしている。
少し品の良い黒めの服に身を包んでいるところを見ると、骨董品屋の店主らしい。
そして、怒られている少女はそこの侍女なのだろう。
「申し訳ございませんっ!! ご主人様、どうかお許しを…!」
「全くお前はいつもヘマばかりやらかしおって! こうしてくれる!!」
そう言って初老の男は、手にしていた杖で少女を力いっぱい叩き始めた。
ビシッ! ビシッ! っと乾いた音が辺りに響き渡るが、その行為を目の当たりにして止める者は誰一人として居ない。
少女は痛みを堪えながら「お許しください! お許しください!」とすがる様に懇願する。
「許してなどやるものか! 領主様は私を信頼して壷を預けてくださったのだぞ!? それを裏切るような真似をして…お前にその責任がとれるというのかっ!!」
「何でもします! 何でもいう事聞きます! お願いですから…っ!」
少女は涙を零しながら必死に訴える。
「お前のようなガリガリの小娘、娼館に売っても金にならんわ! 全くこの疫病神が! この壷はなっ銀貨千枚はくだらんのだぞっ」
男は皺だらけの手に一層力を込めて杖を振り下ろす。
杖が肉に当たる鈍い音が更に辺りに響く。
「…行く」
その様子を見かねた姫が、そう言い残し老人と少女の方へ歩いていく。
老人が今一度大きく杖を振りかざした…が、姫はそれを星読で軽く弾き飛ばした。
「え…!?」
一瞬、何が起きたのか解らず老人は間抜け面を晒した。
目の前には、十七歳前後の紫銀のゆるい三つ編みと、菫色の瞳をした眼鏡をかけた少女が佇んでいた。
「店主殿、その壷私が買い取ろう。金貨二枚相当の額で」
「なんですと!?」
老人は予想外の言葉に二度驚く。
姫は偶然耳にしていたイヤリングを外し店主の眼前に突き出す。
「はっ! こ、これはもしや滅多に出回らないと言われている、フォルトルーナ石…」
ほんの少しではあるが、魔力を含むこの石は魔術師達に絶大な人気を誇る。もっとも手に出来るものは限られているが。
魔術師ギルドや宝石商に売ればそれなりの額で買ってくれることだろう。
「これで、その娘の事、許してやって欲しい」
「し、しかし」
どうも老人は不服そうだ。
「何か問題でも?」
姫はわざと冷ややかな声で答えた。
「いっ、いえ! 滅相もございません。お嬢さんの言う通りに致しましょう」
老人は取り敢えず笑みを作って見せた。動揺の所為で不細工な笑みではあったが。
「どなたか存じませんがありがとうございますっ! この御恩は一生忘れません!!」
まるで神を崇めるように、少女は姫に感謝の意を述べ、何度も何度も深く頭を垂れる。
「礼には及ばぬ。背中の打ち身が痛かろう、ゆっくり休ませてもらうといい」
姫は穏かな笑みを少女に向けた。
そうして、その場に居た全員がほっとしたのも束の間、鋭い金属音が耳に飛び込んでくる。
姫が咄嗟に、半ば条件反射的に受け流した短剣と星読のかち合った音だった。
「…きたか」
確かめずとも相手は解っていた。ルヴォラムの差し向けた刺客達だ。
「早速おでましとは」
フォレストが苦笑しながら言った。
いつの間にか自分の隣に来ていたらしい。
「フォレスト…」
刺客達は有無を言わさず攻撃に入る。
五人の刺客は姫目掛けて切りかかるが、フォレストの防御壁で遮られる。
数回の攻防が続いた後、刺客達が一斉に複数の短剣をこちらへ向けて放ってきた。
姫はダメージ覚悟で身構えたがフォレストの防御壁で事無きを得る。
しかし防御壁で遮った短剣が町の人達の方へ飛ぶのを見て、フォレストは更に防御壁を張った。
その様子を見た姫がこう叫んだ。
「イルアーナ第二王女ティナローザ。私はここだ。逃げも隠れもせぬ!」
自分が逃げ続ける限り、誰かに迷惑をかけてしまう。
そんなのは絶対に嫌だ。
姫は伊達眼鏡を外し真っ直ぐに刺客達を見据える。
その場に居たフォレスト以外の誰もが息を飲んだ。
それは広く出回っている触書きに描かれた王女そのものだったからだ。
それだけでなく、凛とした透き通った声と眼差しに皆が一瞬心を奪われていた。
「お、ひめ…さま……」
先程姫に助けられた傷だらけの少女は、呆然とそう口にしていた。
にわかには信じられないのも仕方ない。まさかこんな田舎町に来るとは誰も予想もすまい。
刺客達は用心深く、星読を収めた姫に近づくとその身柄を拘束した。
連れ去られる間際に姫はフォレストに告げた。
「信じている…フォレスト」
何故だかそれだけは伝えておきたくて。
「ええ」
フォレストは力強い瞳で姫の思いを受け止める。
そうして、姫は自らルヴォラムの手に落ちたのだった。
そう、例えばフォレストの策でなくとも彼女はきっと同じ行動を取っていたに違いない。
姫は後ろ手に縛られ、見張りと共に騎獣に相乗りさせられていた。
先程から自分の視界に入っている、手綱を捌く手にはとても見覚えがあった。
毎日のように剣の手合わせをしていた相手――。
「…何故だ…ラクエル……」
姫は暗く沈んだ声で後ろの人物にそう告げた。
一瞬躊躇うようなそぶりを見せたが彼は何も言わない。
ただ、手綱を握る手に力が込められた。
「私を信じていると……いや、今更言っても仕方ないのだな…」
落胆する姫を見て、ラクエルはきつく唇を噛み締める。
違う! 自分はこんな姫の姿を見たかったのではない! けれど……。
姫もラクエルもお互い気まずい雰囲気のまま数時間が過ぎ、やがて目的地に到着する。
裏口から人目に付かないように中へ入っていく。
そこは姫も数回通った事があり、見覚えのある場所だった。
やはり、ルヴォラムの屋敷か。
私も奴隷達の様に地下室へ連れて行かれるのだろうか。
などと思考を巡らせていると、階段を登り上へと昇っていく。
辿り着いたそこは屋根裏部屋であった。屋敷がそれなりに大きいので狭いといった感覚はしない。
しかし姫はその部屋に何か異質な物を感じ取る。
床に描かれた魔法陣。それは蛍のように淡い光を放っている。
屋根裏部屋には小さな椅子と机、それ以外には余計な物は無かった。
ラクエルは一瞬、苦い表情をして机の上に置かれた金色の環を手に取る。
「姫…ご無礼をお許しください」
そう言ってラクエルは金色の環を姫の首に装着した。
攫ってきておいて何が今更無礼を許せ、なのだと思ったが姫は沈黙を守った。
しかし、次の瞬間思わず言葉が零れ落ちる。
「こ、これは…何だ!? 私に何をした、ラクエル!」
精神を圧迫する様なえも言われぬ気持ち悪い感覚が体内を襲う。
そう、この首にはめられた金色の環。
それから感じられる物凄い圧迫感。
「姫はご存知のはずですよ。その首にはめられた物が何なのか。魔族が魔族たる由縁の魔力を封じる物…」
「くっ…封環かっ…」
そうか、ルヴォラムは私の魔力を恐れて封環で封じたのか…。
何故だ!? まるで私を憎んでいるような扱いをするのは…。こんな…魔族に使う物を私に使うなど…。
私は魔族ではないというのに。
それとも私を魔族に仕立て上げたいのか、ルヴォラム…。
握り締めた拳に知らず力が篭る。
「姫…申し訳ありません」
ラクエルは青い瞳を濁らせてそう口にした。
「詫びる位なら何故このような事をするっ!?」
何故、貴殿なのだ。一介の兵士ならこんな思いはしない。
誠実で聡明な貴殿だからこそ、こんなふざけた真似をするのは凄く…腹立たしい。
何故だ!? 何が貴殿をこのような愚行に走らせる!?
それがもどかしくて、悔しくて、姫は紫の双眸に非難の色濃くラクエルを睨みつける。
「姫…っ!」
不意に体を強引に引き寄せられ、気付いた時には姫はラクエルの腕の中に居た。
「ラクエル何を…」
する、と怒鳴りつけようとしたが、姫は思わず口を噤む。
ラクエルは小刻みに震えていた。
「やっと…あなたに触れる事が出来た――」
ラクエルは喜びを噛み締めるように呟く。
ずっとずっと触れようとしても触れられなかったもの。触れる事が許されなかったもの。
今それは自分の腕の中にあるのだ。
剣を交えている時とは対照的に腕の中の少女はあまりにも華奢で、ラクエルは思わず強く抱きしめる。
「ラクエル、放せ。苦しい…」
窒息しそうな程の息苦しさの中で姫は何とか声を絞り出す。
「………」
しかしラクエルは自分の世界に入り込んでいるのか、一向に腕の力が緩まない。
くそ、このままじゃ窒息しそうな勢いだ。
姫は何度も何度もラクエルを呼び、解放するように言ったが全くその気配は無い。
酸欠気味になり、少し頭がぼうっとしてきた。やばい。
「この…っ」
姫は息苦しさに喘ぎながらもラクエルの向う脛を思い切り蹴飛ばした。
そしてラクエルが怯んだ隙にその体を思い切り後ろに突き飛ばす。
バランスを崩したラクエルは床に尻餅をついた。
ラクエルは衣服に付いた埃を払うとゆっくり立ち上がる。
「一体どうしたというんだ。しっかりしろ、ラクエル」
姫は荒くなった息を整えながらラクエルを見た。
「それは無理な相談です。私はもうおかしくなってしまった」
ラクエルは後悔とも寂しさともとれる複雑な笑みを姫に向ける。
罪悪感が無いと言えば嘘になる。だがもう後戻りは出来ないのだ。
そう――。
「…あなたに心奪われた時から…」
想いを寄せる事すら許されぬ相手を好きになってしまった時からきっと。
運命の歯車は少しずつ狂って行ったのかもしれない。
だが、それでも良いと思えた。姫を手に入れるチャンスが巡って来るのであれば。
「ラクエル……」
あまりにも寂しい笑みを浮べるラクエルにこれ以上なんと言葉をかけて良いか、姫には解らなかった。
「…手荒な真似はしたくありません。大人しく魔法陣に入ってください」
「解った」
たった一人で反旗を翻したところで負けるのは目に見えている。相手はラクエルだけでなく数十名の兵士、上手くこの屋敷から逃げおおせても触書きの所為ですぐに捕らえられてしまうに違いない。
それに…きっとフォレストが何とかしてくれる。
私はフォレストを信じる。
そうして姫が一歩踏み出し魔法陣に入ると、それは魔力の檻へと変化した。
光り輝く檻は見た目は優雅で美しいが、通称<氷の棺>と呼ばれるそれは死刑執行前の罪人を閉じ込めておく物であった。
魔法陣が檻としての効力を発揮したのを確認すると、ラクエルは屋根裏部屋を出て行った。
まさかラクエルが私に想いを寄せていたなんて……。
だけど道ならぬ恋をしているのは私とて同じだ。だから少しだけラクエルの気持ちは解る。
報われないと解っていても想いを寄せてしまう事。
…私もいい加減気持ちの整理をつけねば、ラクエルのようになってしまうのだろうか。
床に座り込んで何気なく部屋を見回すと、腕に鈍い痛みが感じられた。
ラクエルが力いっぱい抱きしめたからだな。怖いくらい強い力だった。
彼はフォレストとは違う。フォレストは本当に私が嫌がったらすぐに放してくれた。
フォレストの腕の中はドキドキして、でもとても安心する。
ラクエルの腕の中は息苦しいだけだった。
姫は両手で我が身をかばう様に自分の身を抱きしめた。
「フォレスト…」