「なんとまあ、いやらしいのはあの眼鏡だけじゃ無かったようですね…」
フォレストは瞑想するように伏せていた瞳を開く。
「なに? それはルヴォラムのことか?」
姫はフォレストの一言に窓の外へ投げていた視線を室内に戻した。
「サリカさんが言ってたように奴隷を買うばかりか、麻薬にまで手を出してます。これはお灸を据えなくてはいけませんね…」
「しかし、フォレスト。私達は今謀反人扱いでそれどころでは無いのではないか…?」
姫は少し戸惑いがちにそう尋ねた。姫の言う事は尤もである。
「今回の謀反の件については出所がはっきりしませんから深く考える必要は無いでしょう。恐らくルヴォラム様が黒幕っぽいですし、そちらを追った方が早く片がつくでしょう」
「そ、そういうものなのか…?」
あっさり言い切るフォレストに姫は少し動揺した。
「そういうものなんです」
フォレストはにっこりと微笑んで見せた。彼の中で何か確信めいたものがあるのだろうか。
「それと、陛下に姫がこの町にいる事を知られてしまったみたいです。ルヴォラム様もその場に居合わせてましたから、もしかしたら何か仕掛けてくるかもしれません」
「でも、ここには辿り着けないのだろう?」
この前、迷路のように迷う魔法がかけてあるとか言っていたしな。
「普通の人間でしたらそうでしょうね。ですがオルファードが出てくると見つかっちゃうでしょうねぇ。あの人魔力感知が普通じゃないですし」
優れた魔術師は生まれながらの高い魔力を持ち合わせている。オルファードは他の魔術師達より更に高い位置に居るので、魔力感知の高さは尋常ではない。
それはフォレストとて例外ではないのだが。
「さて、そういう訳で移動しますよ。姫。こうなった以上ここに居続けてはアレイラルの不評を買いますからね」
「サリカ殿は置いて行っても大丈夫だろうか…」
「その時はアレイラルが何とかするでしょう」
「それもそうだな」
それから姫と賢者は軽く荷造りをしてアレイラルの家を後にした。
* * *
イトスの町から更に北西に陸路用の騎獣をフォレストは走らせていた。
姫はフォレストの前に乗っている。やはり、少々落ち着かないが初めて相乗りした頃に比べるとだいぶ慣れてきていた。
それでもドキドキすることに変わりは無いのだけど。
背中全体が神経がむき出しになっているのではないかと言うほど、フォレストの温もりを敏感に感じ取る。ほんの少しの動作にも自分の胸が高鳴るのが感じられる。
ああ、もう…。こんな時にまで私は何を考えているんだ。
フォレストは私の無実を晴らす為に一緒についてきてくれているというのに…。
そうして、会話らしい会話も無いまま騎獣を走らせていると、ふとフォレストが言った。
「漸く二人っきりになれましたね〜姫♪」
周りには他に人も居ないのであえてティアではなく、姫とフォレストは呼んだ。
「はあ!?」
姫はフォレストの一言に思わず声を荒げてしまった。
「照れない、照れない」
笑いを含んだ声が頭一つ上の方から降ってきた。
「だっ、誰も照れてなどいない! 今は少しでもイトスから遠ざかる事を考えねば」
言いながらその頬がほんのり赤く染まり始めている。
「これぞ、まさに愛の逃避行ですね〜。ね〜? 姫」
「私に同意を求めるなっ」
何故こうも恥ずかしげも無くそんなことを言えるんだ。
フォレストの神経構造は全くもって理解できない。
何が愛の逃避行だ全く…。
等と考えていたらお腹の辺りがもぞもぞとした。
「うわっ。何を…」
「何って姫が落ちないようにしっかり支えてるだけです」
けろりとした顔でフォレストは言った。
「支えられずとも落ちはしないぞっ、私は」
その辺の町娘達と違って姫は騎獣も馬も上手く扱える。
そんな姫に構わずフォレストは自分の方へ腕の中の華奢な少女を引き寄せる。
「知りませんね、そんな事」
サリカが来てからおおっぴらにイチャつけなかったストレスが堪っているらしい。
フォレストは姫の柔らかな紫銀の髪に顔を埋める。
それは温かくて柔らかくて、まるで子猫を抱いているような感触に近い。フォレストは瞳を閉じてその感触を十分に味わう。
「ああ、しあわせ……」
姫さえ側にいてくれれば他には何も望まないのに。
このまま、謀反もルヴォラムもほっておいて何処か遠くへ連れ去りたいものですが。
でも、あなたはそれを良しとしない。
あなたのそういうところも好きなんですけどね。
「…嫌なら手を払いのけても良いんですよ?」
「えっ…。べ、別に嫌というわけでは……」
言いながら姫は顔を真っ赤にして俯いた。
恥ずかしいから放してほしい気もするが、このままでいてほしい気もする。何と矛盾していることか。
姫は無意識にフォレストのすらりとした指に自分の手を重ねた。
少し冷たくて気持ち良い。
逃げているのを忘れそうなほどこの腕の中は安心する。
「……」
何か話そうと思えど何も浮かばず姫は黙り込んでしまう。
そんな姫を愛しそうに見つめるフォレスト。
それから、姫の柔らかな頬に軽く口付ける。
「…っ!」
不意の出来事に姫は小さな悲鳴を上げた。はっとしてフォレストを見上げる。
「何か不都合でも?」
フォレストは微笑んでみせた。
「なっ、なんでもない…っ」
何と答えて良いか解らず、姫はそう言って前方をみやった。
勝手な事をされても不快じゃないのが悔しいと言うか。
少しは慣れてきたと思ったのに、やっぱりドキドキする。
それなのに。フォレストはいつもと変わらず普通で。
何だか私ばかりフォレストを好きみたいだ。だけど、それも不快じゃなくて…。
姫と言う立場でなければ、もっと素直になれたかもしれないな…。
「そろそろ、次の町が見えてきましたよ」
フォレストの言葉に前方を良く見ると町の門らしき物が確認できる。
「先回りとかされてなければ良いが…」
「まあ、その時は強行突破という事で」
フォレストはいつものように微笑んだ。
「少しは緊張感を持ったらどうなんだ?」
いつも落ち着いていて、何だか癪に触るぞ?
「あははは。こういう性格なので仕方がありません」
そうして、辿り着いたのはイトスよりもう少し規模の小さめな町、パサドだった。
何のことは無い、いたって普通の町である。
騎獣から降りて二人は町中を歩く。
目の前を当り前のように鶏が歩いている。
「長閑な町だな、ここは」
「そうですねぇ」
そうして暫く歩いていると人気の無いところへ出た。
両側を壁で隔てられた細い路地のようになっている。路地の長さは200メートル程であろうか。
暫く歩いた後姫は何者かの気配を感じ取った。
フォレストをみやると、彼も気付いていたのか無言で頷く。
そしてその場から全速力で駆け出した。
すると後ろの方から舌打ちする声が聞こえて、姫と賢者を追いかけてくる。
路地の出口近くまで走ると、姫とフォレストは立ち止まり後ろを向く。
相手は全部で五人。全員覆面をつけていて黒い衣装に身を包んでいた。
いきなり姫とフォレストが振り返ったので、男達は一瞬怯んだ。
「大方予想は付きますけど、どなたの差し金ですか?」
フォレストの問いに答えず、男達は剣を抜き二人に襲い掛かる。
「まあ、やるしかないですかね」
フォレストは鉄扇を勢い良く一振りした。
真空の刃が瞬時に発生し男達の体に数箇所の傷を負わせる。
姫もフォレストが攻撃している間に具現化させた『星読』を身構え次の一撃に備えている。
「少しばかり痛い目を見せて差し上げましょう。雷縛<トルディース>」
フォレストは短詠唱魔法(ショートスペルマジック)を唱えた。汎用している扱い安い魔法ではあるが、一流の魔術師が唱えればそれなりのダメージが与えられる。
無から生じた雷の幾つもの筋が男達に纏わりつき動きを封じた。雷の鎖のようなそれは足掻くほど己の体を締め付ける。
男達は、強い束縛と雷の二重の苦しみを味わう事となった。
「さ、今の内に行きましょう。姫」
「ああ!」
そう言って踵を返した時、男の中の一人が姫目掛けて剣を閃かせた。
だが、姫は難なくそれを『星読』で受け止め弾き返す。
他の男達が苦しんでいる中、この男だけはさほどダメージを受けていないのか続けて姫に襲い掛かる。
リズミカルな金属音を響かせながら、『星読』と男の剣が交錯する。
この速度、そして無駄の無い剣捌き。
この男、強い…!
そうして互いに一歩も譲らぬまま、数回剣を交えた頃、騒ぎを聞きつけた町の者達が自警団を呼ぶ声が耳に入ってきた。
男はその様子に気付くと、さっと身を翻し、他の男達をほったまま足早に消えて行ったのだった。
姫はその男が去った方向を腑に落ちない表情で見つめていた。
「やれやれ、まさかもう追っ手がきているとは」
フォレストは苦笑する。
が、その隣で呆然とする姫に気付き声をかける。
「ティア?」
人前なので仮の名で姫を呼ぶ。
すると姫は迷子のような困った表情でフォレストを見上げた。
「フォレスト…話せる場所に移動したい」
「解りました。近くの喫茶店にでも行きましょうか」
フォレストの言葉に姫は頷き、二人は近くの店に足を運んだ。
一番人気の少ない席を選び二人は腰を下ろした。
「それで、どうなさいました?」
フォレストは言い渋っている様子の姫を優しく促す。
「…さっき、襲ってきた男達の中で一人立ち向かってきた者が居ただろう?
彼はもしかしたら……私が知っている人物…かもしれない……」
姫は不安な気持ちを隠せないのかフォレストに弱々しい視線を向けた。
フォレストの視線が真剣みを帯びる。
「それで、その人物とは誰なのです?」
姫は祈るような形で絡めた両手にぐっと力を込めた。
そして、搾り出すような苦渋に満ちた声でこう答えた。
「ラクエル…騎士団長ラクエル、だ……」
頭全体を覆うように両手を強く押し当て、姫は俯いてしまった。
あの太刀筋は…見間違えるはずも無い。ほぼ毎日の様に手合わせをしていたのだから。
だが何故? 忠臣を絵に描いた様な性格の彼が自分達を襲うのだ?
そんな事解らないし、まして知りたくも無い。
これを裏切りというのだろうか…?
騎士としてとても信頼していた彼までが自分に牙を向く。無論、自分の立場が十分過ぎるほどに不利なのは解っている。
それでも、ラクエルなら自分を信じてくれていると思っていた。
そう、彼自身私を信じていると言ってくれていたのだ。
…だから余計に気が重いのだ。絶望にも似た重く暗い気持ち。
「そうですか…」
とだけフォレストは答えた。
その時。二人の暗い空気を一掃するような声が割り込んできた。
「二人とも暗い表情しちゃって大変そうだね?」
いつの間に現れたのか、二人の席の近くの壁にもたれてオルファードが佇んでいた。
口元に不敵な笑みを浮かべ紫の瞳が二人をじっと見据えている。
「誰の所為だと思ってるんですか。貴方が出てこなければ居場所を特定されずに済んだものを」
きっと、あれほど早く追っ手が来たのもオルファードの力に寄るものであろう。
「仕方ないだろう、そういう役割なんだ」
オルファードはわざとらしく肩を竦めて見せた。
「それで、わざわざこちらまで出向いて何の用ですか?」
この男が何の理由も無しに現れるはずがないと、フォレストは尋ねてみる。
「うん。実は少し面白いことが解ってね。大臣の娘…アリーシャ嬢に関する事なんだけど」
「奴隷関連なら調査済みですが…それ以外に何かあったのですか?」
フォレストの言葉にオルファードは頷く。
「ここだけの話。彼女は魔物に憑かれていたよ」
表情を変える事無くさらりとオルファードはそう答えた。
「それは真か!? オルファード」
姫は我が耳を疑うような事実に思わずオルファードを見上げた。
「御意。ま、そこまで酷くなかったからルシアに頼んで祓ってもらっておいたけどね?」
そういえばサリカが言うには、アリーシャがおかしくなったのはこのひと月の間だと…。
まさか魔物が憑いていたとは。
ん? ということは、もしやルヴォラムも……。
「ではルヴォラムもその可能性が非常に高いですね」
自分が思っている事を姫は先にフォレストに言われてしまった。
「そういうこと。よって僕が君達を捕まえることはありえない。今この時からね」
「では、私達に協力してくれるのか?」
「時と場合に寄るけどね?」
オルファードは悪戯っぽい笑みを浮べた。
「素直に協力するとおっしゃい」
「いや、だって何か癪に触ったんでね。…君は初めから陛下に”聞かされていた”んだろう?」
「…当たらずとも遠からず、と言ったところですね」
「ずるいよねぇ〜君ばっかり」
オルファードは苦笑する。
「何だかんだ言っても陛下は姫に甘いですからね。貴方が私の立場でも陛下はそうしたでしょうね」
「違いない」
二人の会話のやり取りを聞いていた姫はさっぱり内容が理解出来ないでいた。
「二人とも何の話をしているのだ…?」
姫の問いにフォレストが微笑んで言った。
「姫は本当に陛下に愛されているという事ですよ」
「そうそう。だからあまり気落ちしないで頑張るんだね」
「そうか。解った、ありがとう」
ラクエルの事は相変わらず気が重いが、無実を証明する為にも頑張らなくては。
「じゃあ、僕はそろそろ行くよ。何か解ったら使い魔でも飛ばすよ」
「解りました」
またね、とオルファードはその場を後にした。