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「茨の刻印」・29 |
翌日。
「フォレスト。城内を見てなにか解ったことはあるのか?」
姫は自分の隣で草の上にあぐらをかいている賢者に問うた。
柔らかな風が二人の間を通り抜け、姫の紫銀の髪がふわりとなびく。
二人は今、家から少し離れた丘の上に居た。
「そうですねぇ…相変わらずルヴォラム様が姫の事を気に入らないと思っていること位ですかね。あの言い様だとどうやらあなたを魔女に仕立て上げたいみたいです」
「…叔父上の考えそうなことだな…」
姫は苦笑する。彼女から見てルヴォラムは叔父にあたる。何故か姫とは昔から折り合いが悪くお互いに好感は全く持っていない間柄である。
生まれてこのかた彼とはまともに会話をしたことが無いのだ。
「むしろ謀反を起こしそうなのは姫ではなくルヴォラム様の方ですね。何よりあの片眼鏡がいやらしい…そうは思いませんか?」
フォレストは伏目がちに笑みを浮かべて言った。
「いくら本当のことでも言って良い事と悪い事がある…」
「姫、それ全くフォローになってませんよ」
動揺する姫を見てフォレストはくすくすと笑う。
「うっ…わ、私は口に出してない分まだマシだ」
「ほう。心の中では十分そう思っていると」
「いや、その…なんというか…」
姫は困ったような笑みを浮かべた。
一方、マイティール城では騎士の上官クラスや宮廷魔術師の高位の者達が王を中心とし緊急会議が開かれていた。
当然そこには大臣のルヴォラムと、騎士団長のラクエルも出席している。
室内はまばたきの音さえも聞こえそうな程静寂に包まれている。
「双方の証言が真であれば姫が同時刻に二人城内に居たことになるな」
王は落ち着いた渋みのある声でそう言った。
ラクエルが見た姫と、騎士隊長が見たという証言。
「そして、そのどちらも何の前触れもなく消えたというわけか…」
「普通の人間には出来る芸当ではありませんな。…莫大な魔力を持っている者であればその限りではないのでしょうが」
そう言ったのは大臣のルヴォラムである。フォレスト曰くいやらしい片眼鏡が鋭い光を放っている。
彼の言葉にその場に居た者達の間でどよめきが起こる。
(莫大な魔力を持つといえば…)
(王女ならあるいは…)
密かに取り交わされる声にならない会話。
「ルヴォラムよ、遠まわしに言わずとも良い。姫が魔女に成り果てたと言いたいのであろう」
心なしか王の声音が固く感じられる。
「…その可能性もあると申しているのです。陛下のお気持ちも解りますが」
「余にとっては非常に心苦しいが、その可能性を否定することは出来ぬ。かと言って姫が魔女になったという確信もない」
「確かに…そうでございますな」
ルヴォラムは苦虫を噛み潰したような表情でそう言った。
あたりは再び静寂に包まれる。衣擦れの音さえ耳障りなくらいの重苦しい空気が室内を占領する。
暫し続いた沈黙を破ったのは、飄々とした歯切れの良い声。
「それよりさぁ、王女の居場所を特定する方が先じゃないの?」
全員がその声のする方へ注目する。
そこには左手で頬杖をついた二十代前半と思われる青年が、口元に微かな笑みを浮かべ座っていた。胸元に輝くブローチはエメラルド。 魔術師の階位では上から四番目に位置する翠玉の魔術師だ。
魔術師達はそれぞれの階位を表すのに宝石をはめ込んだブローチを身につけることになっている。
上から順に、水晶・紅玉・青玉・翠玉・黄玉・藍玉・真珠・月長石・琥珀・黒曜石と定められている。
本来なら上位二階級までしか出席の許されないこの場に、四階級の彼が居ることに異を唱えるものは不思議な事に一人も居ない。
オルファード・ウィンザー。稀代の魔術師と言われる彼は、白金の髪に紫の瞳の一見優男である。飄々とした印象を周囲に与えるが、 その瞳は叡智に満ちた光を宿して力強い。
「これはあくまで僕の推測だけど。王女は『蒼の賢者』ことフォレストと一緒に行動しているのは間違いない。実際彼をここ数日全くみかけてないしね。彼が姫の側にいるならそう簡単に見つからないと思うけど…魔力感知を使えば解るかもしれないね」
王の前だというのに、タメ口を吐くオルファードであったがそれを咎める者は皆無である。それらを許せてしまう不思議な雰囲気が彼にはあった。何ともお得な性格の持ち主である。
「確かに。姫のあの強すぎる魔力なら見つけやすいかもしれぬ」
他の魔術師達もオルファードの提案に賛成の意を表す。
しかし、とオルファードは心の中でひとり呟く。
フォレストの事だからこれくらいは想定内なんだろうけど。まったく厄介だね、君と事構えることになるなんてさ。
まあ僕は真実を知る為に僕なりに頑張るとしよう。
「それと。王女が二人いたという証言だけどさ。あれってフォレストの使い魔だと思うんだよね。普通の魔術師レベルじゃせいぜい鳥とか猫くらいの物だけど、あの人の使い魔って光と闇の属性をもった精霊で人型になるなんて簡単に出来るんだよね〜ずるいよね〜」
オルファードの言葉に一同は唖然とする。
「なるほど…それならラクエルの目の前から消えたというのも納得がいく」
「ですが陛下。あくまでも僕の推測にすぎないからね。念の為、王女に懸賞金でもかけたらどうかな。言葉は悪いけど、ここはルヴォラム様の意を汲んで魔女狩りと行こうではありませんか」
さらりととんでもない事を言う。
そしてオルファードはルヴォラムに「ね?」と皮肉めいた笑みを向ける。するとルヴォラムは気まずそうに視線を逸らした。
「ふむ。では姫が行方不明という事で懸賞金をかけて国内に流布させよう。他国に姫が謀反を企てているなどと口外されては我が国にも危機が及ぶやもしれぬ。…本音は姫を罪人という事で懸賞金をかけたくないだけだがな」
欲を言えばこんな大事(おおごと)にしたくはないのだが。私には解っておる。ティナローザが謀反など企てていない事は……。
「御意。では我々宮廷魔術師は魔法で姫の居場所を探すとしますか」
オルファードの言葉に魔術師一同は静かに頷く。
「魔術師以外の者達は再び城内及び城外の警備を引き続き怠らぬよう。これに異存のある者はいないか?」
王は周囲を見渡す。特に異を唱える者は居ないようだ。
「どうやら異存は無い様だな。ではこれにて会議を終了する。各自持ち場へ戻るが良い」
その場に会した一同が席を立ち一礼する。そして各々の持ち場へと足を運んでいく。
しかし、一人最後に残っている人物が居た。
王は不審に思い声をかける。
「オルファード、何か言いたい事があるのではないか?」
するとオルファードは王の方へ歩み寄り、にっこりと微笑んでこう言った。
「寧ろ何か企んでるのは陛下の方、だったりして?」
「余はそなたのような策士ではない。錆びかかっている頭脳ではろくな考えが浮かばぬ」
王は苦笑する。
「今回の謀反騒ぎって不自然だよねぇ。何故今更姫が謀反を企てているだなんて話が浮かび上がってきたのか…僕にはどうも陛下がこの件に一枚かんでるような気がしてならないんだけどね?」
別に王を軽蔑するでもなく、寧ろ楽しそうにオルファードは言う。
「そなたがそう思うのなら間違いないのだろう」
王は肯定とも否定とも取れる笑みを浮かべた。
「全く食えないオジサマだなぁ。仕方がないから真面目に働いてこよう」
「期待しておるぞ、オルファード」
「はいはい。お褒めに預かり恐悦至極に存じますよ」
呆れたように言いながらオルファードはその場を去って行った。
その去っていく彼の背中を見守りながら、王は心の中で一人ごちた。
余からすれば、そなたの方がよほど食えぬ存在だ。
実力は恐らく宮廷魔術師内一。それが何故未だ四階級目の翠玉の位に甘んじているのか見当もつかぬ。
悪友を思うような微かな笑みを一瞬湛え、王も自らの執務に戻って行った。
そうして国内に「行方不明の王女を捕まえた者には百金貨」という触書きが出回る事となった。
* * *
姫とフォレストは相変わらず丘の上で牧歌的な時間をのんびりと満喫している。
あまりにも日差しが柔らかく、そよ風も心地良いので姫は口元を覆い欠伸をした。
「眠いのですか? まあ眠たくなるような陽気ですしねぇ」
「ああ…」
フォレストの言う側から、姫はもう一度口元を覆い「ふあぁ」と欠伸をする。
何故このように欠伸ばかりが出るのか。理由はわかっている。
暇なのだ……。
無実を証明する為に何かしようと思うのだけど、一人では何をしていいのかさっぱりで。
直談判になど行っても捕まるだけだろうし、フォレストに相談しても来るべき時まで元気で居てくれればそれだけで良いなどと言われるし…。
ああ、ほらまた。こんな事を考えていたら…。
「ふぁ…眠い……」
「姫」
フォレストがいつの間にか正座していて、膝の上をぽんと叩く。
「寝てもいいですよ〜膝枕してあげますから」
「では、お言葉に甘えて…」
本当にもう物凄く眠かったのでフォレストの膝を枕代わりに借りることにした。
姫がうとうとしていると、フォレストが優しく頭を撫でてきて。
それがやけに心地良くて姫はすんなりと眠りに落ちていった。
「……こんなに無防備に眠っちゃって…」
ちょっと前ならこんな事はありえなかっただろう。それなりに私に心を許してくれているんですね。
フォレストはくすりと笑う。
数刻が過ぎた頃…。
パシィン、と次元を隔てたような音が二人の周囲に響き渡った。
「…やはりそうきましたか」
フォレストは誰にともなく言った。
無駄な事を。宮廷魔術師如きに見つかる気はさらさらありませんよ。
パシン、パシンと耳障りな程複数の音が響き渡る。宮廷魔術師達が魔力感知の魔法を唱えまくっているのであろう。
「何の音だ…?」
姫が眩しそうに瞳を開ける。
その眼前には、水滴が弾かれるように光がパシンパシンと弾かれる光景が広がっていた。
「これは、魔法か?」
「起こしちゃいましたね。魔力感知の魔法を使ってくるであろう事は予測がついてましたから、それを遮断する魔法を先にかけておいたんです。まあ、音が耳障りなのが玉に瑕(きず)ですけど」
フォレストはいつものように微笑する。
「なるほど。魔力感知か…っていつの間に遮断する魔法をかけていたんだ?」
ピッ!と右手の人差し指を立て、にっこり微笑んでフォレストは言った。
「それは〜あなたにおやすみのちゅーをした時です!」
「なっ、ばっ、ばか!」
恥ずかしさのあまりつい怒鳴ってしまった。
「酷いですね。せっかく質問に答えてあげたのに。フォレストさん悲しい…」
めそめそといじける振りをするフォレスト。
「いい大人がそれくらいでいじけるな…」
そんな姫に対しフォレストはぽつり、と一言漏らす。
「姫だってほんのちょっとしたことですぐ照れるじゃないですか」
「そっそれとコレとは関係ないっ!」
今度こそ姫は顔面をトマトのように真っ赤にして叫んだ。
そして、ぷいっと顔を背けた。
大体いつもフォレストが恥ずかしくなる様な事を言うのが悪いんだ。
ちゅ、ちゅー…とかいう言葉を恥しげもなく使ってくるから。考えてるだけでも恥しい…。
皆が皆、フォレストみたいにちゅーちゅー言いまくってるわけじゃないんだぞ。
「そうだ。恥ずかしいのなら恥ずかしくなくなるように練習すれば良いんですよ〜」
「えっ?」
思わず姫はフォレストの方へ振り返る。
「いいですか? まず私の顔をしっかりと見てください」
「う、うむ」
この時点で結構胸がドキドキしているのだが…。
フォレストは全くいつもと変わらぬ様子でけろりとしている。
「次は両手を使います。右手を私の左頬に左手を右頬に添えて…ここまではOKですか?」
「ああ…」
思わず声が小さくなる。だが自分ではどうにもならない。仕方ないじゃないか…これでも十分恥ずかしいのだから……。
恥ずかしさからか、顔をすこし俯き加減にしているので自然と自分を見上げるようにする菫色の瞳がとても愛らしいとフォレストは思った。
「では次。ここが肝心なところです。そのままゆっくり自分の方へ両手を引き寄せましょう」
「えっ…」
いやでも、このまま引き寄せたらフォレストの顔が近づいてくる事になるわけで…。
「どうしました? やはり出来そうにないですか? なんならここで止めても良いですよ」
フォレストは余裕の笑みを浮かべた。姫には何故かそれが少し癪に触った。
「頑張ってみる…」
そうして姫はゆっくりと両手を引き寄せる。しかし数センチ動かして腕を止める。
「こ、これ位でいいだろう?」
「ほとんど動いてないじゃないですか。こう一思いにぐいっとやってくださいよ」
「そんなこと言われても……」
恥ずかしくて、泣き出したいような逃げ出したいような複雑な心境に姫は追いやられる。
フォレストは少し不満気にしている。
「うぅ……」
姫は唸ったきり口を開かなくなってしまった。フォレストの顔を挟む両腕は微かに震えている。
寝顔なら結構平気なのに…どうして意識があると駄目なんだろう…。
そう思っている間にも恥ずかしさはどんどん増して来て。
目の前にはフォレストの顔。両腕から伝わってくるのはその温もり。
「…やっぱり駄目だっ! こんなのっ」
フォレストから離れようと両手を放し、後ずさろうとした。
が、いつの間にか肩と腰に腕を回されていて逆に引き寄せられる。
「逃がしませーん」
フォレストは笑いながら姫をぎゅう〜っと抱きしめた。
「ばかばか!! 放せ無礼者っ!!」
姫は力の限り暴れるがフォレストの腕はびくともしない。
恥ずかしい、逃げたい、穴があったら入りたい!
「酷いですね。無礼者とは…」
相変わらずくすくすと笑いながら…フォレストは姫の反応を楽しんでいるようだ。
暫くそうしていると徐々に姫が大人しくなっていき…抵抗するのをやがて諦めた。
「そんな暴れなくても何も悪いことなんてしませんよ?」
「したじゃないか!!」
姫は微かに瞳を潤ませながら言った。
「私が嫌がってるのに放さなかったじゃないか!」
悔し涙を滲ませつつも反論してくる姫が可愛くてフォレストは満面の笑みを浮かべる。
「何がおかしいのだっ」
「何もおかしくなどありませんよ」
「今、笑ったじゃないか」
「いやぁ、あははは。姫があんまり可愛いものですから、つい」
姫を見つめるフォレストの瞳はとても優しげに揺れる。
「そんな調子の良い事を言っても、もう騙されないからな!」
「これは心外ですね。私はあなたに対して偽りの気持ちを言ったことはありませんが」
暴れてぼさぼさになった姫の髪を整えてあげながらフォレストは続けた。
「怒っていても泣いていても笑っていても、あなたはいつも綺麗で可愛いです。あなたを幸せにする為ならなんだってしますよ」
火照りが治まりかけていた姫の頬が再び薔薇色に染まった。
な、な、な…なんだこの愛の告白のような言葉は……。
お互い好きになったって決して結ばれることはないんだ、私達は。
それなのにどうしてフォレストはこんな事をいうのだろう――――。
そんな言葉をかけられて平静でいられるほど私は大人じゃない…。
――――王家の誓約さえ破ってしまいたくなる。
王女でさえなかったら、私は素直に彼の胸に飛び込んでいけただろうか…。
「私は……」
何か言いたいのに言葉にならない。
切ない。甘苦しい痛みが胸に染み渡っていく…。
フォレストの青い瞳が優しすぎて…泣きたくなる。
「うにゃぁ〜」
そんな二人の空気を崩したのは、フォレストの使い魔、羽猫のシロちゃんだ。
羽ばたきながらフォレストの肩の上に着地する。その口には一枚の紙切れが咥えられていた。
「おや、シロちゃんどうしました?」
フォレストの問いかけに、読んでと紙切れを彼の頬に擦り付ける。
「どれどれ」
紙切れをシロちゃんから受け取り早速目を通すフォレスト。
漸くフォレストの腕から解放された姫はほっと一息ついた。
「ほほう。これは中々愉快なことになってきてますねぇ」
紙面に目を通すフォレストの瞳が真剣みを帯びていく。
「やはりこれは張本人にも見せて差し上げないといけませんね。ということで、どうぞ、姫」
フォレストは紙切れを姫に手渡す。
「張本人?」
受け取った紙切れを見て姫は一瞬固まった。
そこに書かれている内容は自分に関するものだった。
『行方不明の王女を捕らえた者に金貨百枚を与える』
ありがたくないことに肖像画入りである。しかも国王名義だ。
「何てことだ…」
これでは外出すらままならない。
「この調子だと国内全体にこのお触書きが回っているんでしょうね〜。しかも金貨百枚っていくらなんでも多すぎます。城内の事を何も知らない民からすれば、陛下が大事な愛娘を心配するあまり懸賞金をかけてでも探し出そうとしていると思うんでしょうが」
フォレストはさほど慌てた様子もなく淡々と言った。恐らくこれも想定内なのだろう。
姫は不安を隠せない。これでは何か行動を起こそうとしても人目に付いたら即アウトだ。
すっかり表情を無くしてしまった姫にフォレストが言った。
「そんなに落ち込まなくても大丈夫ですよ。こんなこともあろうかとそれなりの準備はしてありますから」
目の前の賢者は、余裕の笑みでそう答えたのだった。