姫とフォレストは『黄昏の雫』という小洒落た店に来ていた。
店内は落ち着いた雰囲気で、セピア色がメインになった椅子や机でしっとりと纏められていて品がある。どこか懐かしさを感じさせる内装だ。
「おまたせしました」
若い給仕の娘が、注文済の品を運んできた。お盆の上からガトーショコラとマロウティーを姫の前へ、カモミールティーをフォレストの前へ置く。
「美味しそうだな。いただきます」
姫は早速フォークを右手に持ちガトーショコラをひと口食べてみる。
甘すぎず、しかし味が薄すぎるという事もなく。食感はしっとりとしているが後に残りすぎずさらっとしている。
「…おいしい…」
本当に美味しくてたまらないといった様子で姫は顔を綻ばせる。
ああ、幸せだ…。これなら毎日でも食べたいぞ。
「気に入ってくださって良かったです」
そんな姫を見てフォレストは優しく微笑む。
カモミールティーをひと口啜ると口内に爽やかな香りが広がった。
そうして、美味しそうにガトーショコラを食べている姫をフォレストは優しく見守る。
「…あなたが笑顔でいると私も嬉しいです。願わくばその笑顔がずっと色褪せぬよう…」
ずっと、あなたの隣で。
この先どんな辛い事があったとしても、私があなたを支えていきます。
きっとあなたの事だから簡単に弱音を吐かないんでしょうけど、ね。
と、そんなフォレストの心を乱す声が頭の中に響いてくる。
(マスター! マスターの言う通りにしたら兵士達が沢山追いかけてくるんですけど〜!!)
まあ、そうでしょうねぇ。でも、シロちゃんには良い運動でしょう。
(ひっどーい! ていうかもうお城の何処をどう走ってきたのかわかんないですぅ〜…)
疲れたら兵士達に捕まってみても良いですよ。
(捕まってみてもって…! マスターのひとでなしぃ〜!)
そこへもう一人の使い魔の声が割って入る。
(マスター私もそろそろヤバイです…追っ手の数が凄いです)
じゃあ、諦めて捕まっちゃってくださいv
危なくなったらちゃんと召喚してあげますから。
シロちゃんも捕まっても良いですよ〜。
(マスターなんか楽しんでません!?)
あっはっは。気のせいですよ。
そうして、シロちゃんが捕まった数分後、クロちゃんも捕まる羽目になったのだった。
「姫」
「なんだ?」
フォレストの呼びかけに顔を上げると、彼の左手が自分の方へ伸ばされて。
姫の唇の端を指でさっと拭い、フォレストはその手をぺろりと舐めた。
「ふむ。程好い甘さですね」
「なっ…」
フォレストの行為に姫は思わず絶句する。
どうやら口の端にガトーショコラのおまけがついていたらしい。
が、わざわざ拭わずとも言ってくれれば自分でしたのに。
というか、なんで食べ……。
そこまで思って、何故だかとても恥ずかしくなった。
「どうかしましたか?」
そんな姫の様子を見ていたフォレストが故意に問うた。
「べっ、別にどうもしない…」
精一杯無表情を装う姫だったが、その頬は薄紅色に染まっていた。
「…私とガトーショコラとどちらがお好きですか?」
フォレストはにっこりと微笑んだ。
「えっ? ど、どっちって…」
そんなのフォレストに決まっている。しかし、そんな事を言うのは告白しているみたいで恥ずかしい。
だから…。
「ガ、ガトーショコラ…」
姫は弱々しい声で顔を真っ赤にして俯きがちにそう言ったのだった。
「うそつき」
つまらなそうにフォレストが即答する。
そしてカモミールティーをひと口啜るとこう言った。
「これからは姫が嘘をつくたびにちゅーしますからね」
フォレストは鋭い眼光で姫を見据えた。姫には彼の瞳の奥がキラリと光ったような気がした。
「何っ!? 私を脅す気か?」
姫は緊張と恥ずかしさの入り混じった複雑な表情を浮かべる。
「脅すだなんて人聞きの悪い。姫が嘘をつかなければ何も問題はありません」
ニヤリ、とフォレストは意地の悪い笑みを浮かべてみせる。
「『蒼の賢者』はそんなことしない!」
「今の私は『蒼の賢者』ではなく只のフォレストです」
「うぅ…」
駄目だ。口ではフォレストに勝てない。ああ言えばこう言う。きっと口から先に産まれたに違いない。
そうして、姫が次の言葉を紡げず困っている時、シロちゃんとクロちゃんも困った状況に追いやられていた。
* * *
姫の姿に変化したシロちゃんは捕らえられ地下牢に連行されてしまった。
昼だというのに辺りはひんやりとして薄暗く、申し訳程度の蝋燭の火によって相手の顔が解る程度である。
なんでシロがこんな目にあわなくちゃいけないですか!? 暗いし狭いし…。
シロちゃんが心の中でぶつくさ言っていると、地下牢の入り口の方から中年の男性の声が聞こえてきた。
「王女を捕らえたというのは真か?」
「はい。こちらへ…」
シロちゃんの目の前には若い騎士と、中年の男性が二人やってきた。
「ティナローザ…」
中年の男性のうち一人が姫の名を呼んだ。その声音には姫を案ずる想いが少なからず感じられた。
シロちゃんはその男性から、温かな包容力と威厳を感じ取れた。どことなく気高い雰囲気が姫と重なる。
もしかして、この人は…。
(貴方の察する通りです。彼はイルアーナ国王、姫の父君です)
すかさずフォレストがフォローを入れてくる。
(声を出したらバレちゃいますから、なるべく首を縦か横に振って意思表示しましょうね。シロちゃん)
わかったですぅ〜。
「怪我は…ないのか?」
不安そうに王は問うた。
シロちゃんはなるべく姫になりきって、無表情な感じでこくりと頷く。
「そうか……」
とりあえず王は安堵のため息をつく。
謀反の疑いがかかっているとは言え、自分の愛娘が地下牢に居るのを見て心穏やかでいられるはずがなく。
「陛下、お気持ちはお察し致しますが油断は禁物ですぞ。なにしろ王女の魔力はすさまじいですからな。今は大人しくしていてもそのうち国に仇なすに違いありません」
王よりも少し年下と思われる痩せ気味の男性が言った。頬はややこけていて、細身の為か服に着られている感が否めない。高価な衣装を着ていても彼からはちっともそのような気配は感じられない。
左目にかけられた片眼鏡が蝋燭の炎を反射して冷たく光った。
男の名はルヴォラム・ジェノラット。王の従兄弟であり大臣を務めている。
「ルヴォラム…余には信じられぬ。ティナローザが謀反を企てていたなどと…」
王は事実を認めたくなくて苦渋に満ちた表情で姫を見つめた。
一方その頃クロちゃんは、とある一室に居た。
いや、居たというより連れ込まれたと言った方が良い。必死で逃げ回っていると、何者かの力強い腕に引っ張られこの部屋に引き込まれた、というわけだ。
室内は平積みにされた本で、ほとんど足場の無いくらい散在している。どうやらここは未整理の書庫か何からしい。
目の前には、いかにも騎士ですと言わんばかりの金髪碧眼の若い男性が立っている。
「姫…」
若い男性は複雑な表情で姫に変化したクロちゃんを見つめる。
「何故戻ってきたのです? 城内の警備が堅い事はご存知でしょう」
クロちゃんは、フォレストの指示通りこくりと頷いた。
マスター、この人誰ですか?
(ラクエル・ジェイトレーク。騎士団長を務めています。運が良かったですね、クロちゃん。彼は紳士ですから手荒な真似はしないでしょう)
わかった。見るからに優しそう…。
クロちゃんは少し安心した。
「姫が謀反を企てたなど私は微塵も信じておりません。私は最後まで貴女を信じる事をここに誓います」
そう言って、騎士団長ラクエルは姫の手を取り口付けた。
(……姫本人ではないにしろ、他の男がこういう事をするのを見るのは嫌ですね…)
姫を喜ばせるのも、悲しませるのも、怒らせるのも…その他全部、他の男に姫が何かされるのは時としてかなり腹立たしい。
出来ることなら自分以外目の届かぬ場所に閉じ込めて独り占めしたいくらいだ。だが、それでは姫は本来の輝きを失ってしまう。
全く、人の心というのは厄介なものですね…。
フォレストは心の中で短いため息をついた。
クロちゃんが微笑んでみせると、ラクエルも微笑みを返してくる。
ラクエルの姫を見つめる瞳はとても優しい。それは一臣下としてのそれを上回っているような気がしなくもないが。
「ちょっと外の様子を見てまいります」
ラクエルは扉を開け部屋の外に出る。すると前方から騎士隊長がこちらへ向かってくるのが見えた。
こちらに気付いたのか、騎士隊長が声をかけてきた。
「ラクエル様、こちらへおいででしたか。王女が捕らえられたそうです。これで一安心ですね」
「何!? …姫を捕らえただと?」
ラクエルは驚愕する。今しがた姫に会ったばかりだ。
「それは、人違いではないのか?」
「いえ、先ほど私自ら地下牢へ陛下をご案内致しましたから」
「…そうか。ご苦労だったな。では私はこれで失礼するよ」
「はい」
ラクエルは軽く頭を混乱させながら、先ほどの書庫に戻る。
扉を開けて入ると、先ほどと同じ場所に姫が立っていて…。
やはり見間違いではない。しかし、地下牢からここまでは結構距離があるし時間を遡って計算してみても、騎士隊長が陛下を連れた後に脱走したとしても彼より先にここへ来れるはずもない…。
「姫…」
ラクエルは目の前に佇む少女を呼ぶ。すると彼女はこちらを見た。
「貴女を地下牢に捕らえたという情報が入ったのですが…貴女は一体……」
(おやおやバレちゃいましたね。引き上げるとしますか)
ラクエルの目の前で姫の姿がその輪郭を水面のように震わせると、一瞬にしてその存在がそこから消えた。
「姫っ!」
慌てて手を伸ばしたが間に合わず、その手は宙を泳ぐ。
不安そうな焦燥を湛えたような瞳が暫し宙を彷徨っていた。
「姫…」
力なく呟いて俯き、そして…ラクエルは服ごと心臓の辺りを強く握り締めた。
――――――捕まえていた方が、良かったのかも知れない……。
* * *
「うわっ!」
いきなり目の前に現れた羽猫に姫は驚きの声を上げた。
「お疲れ様でした。シロちゃん、クロちゃん」
羽猫達は姫の目の前でふよふよと浮かんでいる。
「お疲れ様でしたじゃなーい! 地下牢に閉じ込められちゃったじゃないですかー!!」
次いで僅かに頬を染めてクロちゃんが言った。
「クロは手の甲にキスされた…結構ハンサムな騎士だった…」
「クロちゃんばっかりずるいですぅ〜。マスターのばかあぁぁぁ!」
言いながらシロちゃんはフォレストの顔面をしっぽでペシペシと叩く。
「だから、ちゃんと助けてあげたじゃないですか〜」
フォレストは苦笑を浮かべながら、シロちゃんの頭を諌めるように優しく撫でた。
「はは…」
姫は力なく笑いながら、内心ほっとしていた。もちろんシロちゃんとクロちゃんが無事だったこともあるが、言葉を紡げずにいた沈黙から開放されたことで心の重荷がなくなったのだ。
「さて、ではそろそろ家に戻りましょうか」
フォレストが立ち上がると皆彼に続いて店を後にした。
その頃、マイティール城内では再び兵士達が慌しく走り回っていた。
「王女が脱獄したぞー! 城内をしらみ潰しに探せ!!」
上官の掛け声が荒々しく辺りに響き渡る。
「余が地下牢を離れたほんの少しの間だったそうだな」
王自ら地下牢へ赴き看守に尋ねる。
「はっ。しかしながら、鍵を開けた形跡もなく王女がここから出て行く姿を見た者も皆無です」
一通り地下牢を見回したが、壁に穴が開けられたような形跡もなく。牢から出られたとしても入り口も出口も同じで通路は一つしかないというのに。
「それでは、まさにその場から消えたとしか思えぬな…人にそのような事が可能ならばの話であるが」
王は暫し沈黙する。今思い返せば今ひとつしっくり来ないことがあった。あの姫のまるで初めて自分に対峙するかのような眼差し。本当にあれが我が愛娘だったのだろうか?
幾らなんでも簡単に捕まりすぎてはいないだろうか。そして、今回の脱獄。
「陛下。僭越ながら申し上げます。王女は只の王女ではありませぬ。『茨の刻印』を持つ莫大な魔力を有しておられるお方。まだまだ未知数な力ゆえどんな能力が隠されているのか検討もつきませぬ。さすれば、魔法の力で移動することも不可能ではないかもしれませんな。もしかしたら王女は既に…」
片眼鏡の痩せこけた大臣が王の斜め後ろからそう告げる。
「ルヴォラム、何が言いたいのだ?」
王は地下牢に目を移したまま、背後の従者に問うた。
「もしや姫君は、お心を魔力に侵食されてしまったのではないでしょうか? そして、その莫大な魔力を駆使して謀反を実現しようとなさっているのかもしれませんな…」
「ほう。おぬしは我が娘が過ぎた魔力に心を侵され乱心した、と言いたいのか?」
王の表情が険しくなる。
「無礼は承知の上でございます。姫君のお心が確かならば謀反などまずありえないではないですか。私からは姫が謀反などを企むと言えば、刻印の魔力に心を侵されて身も心も魔女になったとしか思えませんな…」
「…魔女か…」
あの姫がそうやすやすと魔力に心を侵食されてしまうだろうか?
王は再び沈黙する。
「…陛下、ここだけの話ですが。…姫が消えるところを目の当たりにした者が居るのです」
大臣の言葉に王は驚愕し後ろを振り返る。
「それは真か、ルヴォラム」
「はい。騎士団長ラクエルがそう申しております。ほんの一瞬の間に消えたそうです」
「何という事だ…」
あの忠義に厚く騎士の鏡のような男が嘘をつくはずが無い。
王は思わず額を押さえる。
そして一番我が目を疑ったのはラクエル自身に他ならない。
他の兵士達と同様、ラクエルも城内を姫を探して走り回ってはいるのだが、あれを目の当たりにしていると探し回るのが無意味に思えてくる。
いくら探し回っても、既に城内には居まい…。
ラクエルは姫が無事に逃げられて良かったと思う反面、やはり捕まえておくべきだったと後悔もしていた。
久しぶりに近距離で見た姫は以前にも増して美しくなっていた。
今まで心の内に抑えて閉じ込めてきていた気持ちが再び心の枷を破って溢れてしまった。
何故、手に入らぬと解っているのに焦がれてしまうのか。
自分の目の前で消えていく姫を見ていて更にその気持ちは強くなってしまった。
もう一度、あの手に触れることは出来るだろうか…。
愚かな考えだ…私には姫を想う資格すらないというのに。