「茨の刻印」・25




 ずっとそばで見守るつもりだったのに。
 どんどん綺麗になり、心を開いてくれる彼女を見ていると黙って見ているだけでは物足りず。
 自分の意思とはこれほど脆い物だったのかと自嘲する。
 近づきすぎたのかもしれない。別に後悔はしていないが。
 彼女が時折見せるとまどいが無くなってしまえば、私の枷はいとも簡単に外れてしまうだろう。
 だが、そうならないのは……彼女の幸せを願っているから。
「フォレスト、どうかしたのか?」
 姫は小首を傾げて普段よりちょっとだけ大人しい賢者を見上げる。
「姫の事を考えていたら少しぼーっとしてました。でも大丈夫ですよ、 グーちゃんは城までちゃんと運んでくれますから」
 フォレストはいつものように微笑する。
 なんの障害物も無い、果てしなく広がる空をグリフォンで駆け抜ける。 空は快晴。風もさほど強くなく肌に心地良い。
「それにしても、こんなに長く城を空けたのは初めてかもしれない」
 今回の仕事は移動に往復六日ほどかかり、結果として一週間ぶりの帰還となるのだった。
「そうですね。今か今かと姫がホームシックになって私に抱きついてくるのを待っていたのに、とんだ期待はずれでした」
 残念です、とフォレストは短くため息を吐いた。
「その程度でホームシックになどなるものか」
 全く。口を開いたかと思うとそういうことばかり言う。
 徐々に高度が下がり、豆粒程だった城が大きくなってくる。広大な敷地内には幾つもの道が通り湖や訓練所、青々と茂る樹木、魔術師達の活動の場である魔道の塔など様々な物が立ち並ぶ。
 芝生の生い茂る広い場所にグリフォンが緩やかに舞い降りる。
 フォレストは先に下りて、姫が降りやすいように手を貸す。
「やっと戻ってきた…。早く父様と母様に顔を見せてこなくては」
 イルアーナの王と王妃は、それはもう目に入れても痛くないほど姫の事を溺愛しきっているのだ。その上、一週間も留守にしていたとあってはかなり精神的にも参っているであろう事が、姫には容易に想像がつく。
「姫は先に部屋へ行ってください。私はグーちゃんを繋いできますから」
「ああ」
 そこで、姫とフォレストは別れてそれぞれの場所へ向かった。
 
 フォレストはグリフォンを繋ぐ厩舎へ向かう途中、ある事に気付いた。
 やけに城内が慌しい。兵士の数がいつもより多いだけでなく周りの空気が緊迫しているのが感じられる。 
 一体何があったというのか…。
 フォレストはさっそく通りすがった兵士に尋ねてみることにした。
 その頃、姫は自室付近まで来ていた。が、突然、真横から強く引っ張られた。
「うわっ!?」
 視界に飛び込んできたのは侍女のリアフであった。彼女はその瞳に不安と焦りの色を浮かべていた。
「リアフ…?」
 姫はリアフのただならぬ雰囲気に動揺しながら菫色の瞳を向ける。
「……」
 リアフは中々言葉を切り出せないのか、思いつめた表情で佇んでいる。
「どうした? 何か不幸でもあったのか?」
「やはり、間に合わなかったのですね…」
 リアフはぽろぽろと涙を落とす。
「どうして…。リアフ一体どうしたというのだ? 体調が優れないのか? 間に合わないとは?」
 姫はさっぱり訳が解らず少し混乱する。
 どうして彼女が泣く?
「姫様…どうか今すぐお逃げください! 今、城内は危険です」
 リアフは必死に訴える。姫を握り締める腕に力がこもった。
「…解った。リアフの言うとおりにする。しかし、いきなり逃げろといわれても困るんだ。訳を話してくれないか?」
 姫は腕にしがみつく様になっているリアフの手を取り諭すように言う。
 リアフは涙を拭い話し始める。
「姫様は現在、謀反の疑いをかけられています…」
 想像もしなかった意外な言葉に姫は動揺を隠せない。
「なん…むぐぅ」
 思わず叫びそうになった所を、タイミング良くリアフが両手で塞ぐ。
 姫は驚きのあまり目を瞠る。
 謀反だと? 何故私がそんな事をする必要がある。全くもってありえない。
 実の親に対して反旗を翻すなどありえない!
「何故そういう経緯になったのかは存じ上げないのですが、兵士達が話しているのを聞いたんです。いつもより警備兵が多かったでしょう?」
「そう、なのか?」
 不幸中の幸いか、この辺りに来るまで兵士とは一度もすれ違わなかった。
「姫様を危険から遠ざける為にこちらへ戻らないように手紙を送ったのですが…」
 なるほど。それで間に合わなかったと言っていたのか。
 リアフはこの間もいつ兵士が来るか怯えて視線が定まらずそわそわしている。
「話してくれてありがとう。しかし、謀反人の私を手助けして大丈夫なのか?」
「私達は何年の付き合いだと思ってますの? 姫様がそのような事をするわけが無いとリアフにはちゃんと解っております」
 リアフは未だ乾かぬ潤んだ瞳で、しかし精一杯微笑んでみせた。
「…ありがとう。リアフが私の侍女で良かった」
 姫は自分の事をこれ程までに心配してくれた侍女を優しく包み込んだ。
「では、あまり時間がないな。無事に城から脱出できれば良いが」
 このまま無実の罪を着せられて処刑台送りなんて御免だ。全く納得はいかないが今は逃げることが先決だ。
 とりあえずこのまま引き返そう。もしかしたらフォレストもこちらへ向かっているかもしれない。
「…よし」
 姫は肚をすえた。双眸に強い意志が宿る。
「リアフ心配してくれてありがとう。私達はここでは一切会わなかった、解ったな?」
「姫様、まさかお一人で!?」
 リアフはまた泣きそうな顔をしている。
「そなたを巻き込むわけには行かぬ。大丈夫だ、私には刻印があるのだから…」
 最後の一言はあまり口にしたくなかったが、リアフを少しでも安心させる為に姫は敢えてそう言った。皮肉なことに「刻印」という単語ははこのような時にはかなり効果的である。
 リアフは涙が溢れるのを懸命に堪えながら首を縦に振った。
「必ず戻ってくる」
「はい…ご無事で…」
 頷き、姫はその場を立ち去る。
 姫は小走りにもと来た道を引き返していく。前方に兵士達の姿が見える。こちらの様子に気付いたのか、自分を指差して大声で何かを叫んでいる。
 どうやら本当に私はお尋ね者になっているらしい。
 その間にも兵士達が数名こちらへ走り寄って来る。
 …やるしかないみたいだな。
「行くぞ、『星読』」
 主の言葉に姫の左手首に納まっていた『星読』は一瞬にして本来の姿に形を変える。淡い燐光に包まれた銀色の美しい刀身が現れる。
「王女が居たぞ! 生け捕りにせよとの命だ」
 兵士達も剣を構え攻撃の態勢に入る。
 やはりと言うかこちらの話は聞いてもらえそうもない。
 姫は眼前の兵士達に意識を集中させ呼吸を整える。音も無く床を蹴り兵士達との距離を一気に詰める。
 いきなり目の前に姫が現れたように見えた兵士は驚き隙が出来た。姫はそれを見逃さず鳩尾に一発ぶち込んだ。勿論、気絶させただけである。
 続けざまに、そのすぐ後ろに居た兵士にもう一発見舞う。ほんの一瞬で二人が床に伏した。
「大人しく道を開けてくれる気は…」
 兵士達は距離を置きながら間合いを取る。何が何でも姫を食い止めようと兵士達は必死だ。
「なさそうだな、残念だ」
 姫は軽やかに『星読』を閃かせる。
 それぞれの急所に的確に柄をめり込ませる。そしてまた二人床に伏した。
 ふう。とため息をつき、姫は再び通路を走り出す。
 兵士達に極力見つからないように、柱の影に身を隠したりしながら順調に進んでいく。
 そして、曲がり角に差しかかろうとした時、また人の気配がした。
 姫は息を潜めて気配を絶ち、身構える。
 その気配は静かにこちらへ近づいてくる。
 三、二、一。
「今だっ!」
 姫が左から右に剣をなぎ払う、が。何の手応えも感じられなかった。
「いきなり何するんですか、びっくりするじゃないですか」
 下の方から聞き覚えのある声がした。とっさに身を屈め攻撃を避けたのだろう。
 そこにあったのは見慣れた賢者の顔だった。 
「フォレスト…」
 姫は一瞬驚いたが、相手がフォレストだと解ると安堵の息を漏らした。
「何だか物騒な事になっちゃってますね〜。今のところ城内だけみたいですけど」
「それより早く抜け出さないと…あ…」
 姫の表情が曇っていく。
 勝手に自分の中で、フォレストも一緒に来るのだと思いこんでいたのに気づいたのだった。
 なんという甘い考えだろう。フォレストまで巻き込むわけには行かない。
「姫?」
「私は謀反人になってしまったようだ…私と居る所を見られたらまずいだろう。ここで私と会ったことは秘密だぞ」
 困ったような笑みを浮かべ、それから踵を返してフォレストの前を通り過ぎようとすると、後ろから襟首を引っ張られる。
「水くさいですよ、姫」
 フォレストはにっこりと微笑んだ。
「私の為にフォレストまで兵士達に追われる必要はないだろう」
 本当は一緒に来て欲しい。でも私の為にまた危険な目に合わせてしまうというのなら…。
「またな…」
 そう言って再びその場を立ち去ろうとすると。
「痛っ!」
 後ろからぐいぐいと髪を引っ張られた。
 フォレストは通路の壁にもたれかかり、紫銀の髪を弄ぶ。
「あなた一人で一体何が出来るというのですか。どうやって謀反の疑いを晴らすおつもりですか?」
 何だか笑顔が少しゆがんで見えるぞ、フォレスト。心なしか怒っているように見えるのは気のせいだろうか?
「う…そ、それは……」
 城外の知り合いはほとんど居ないに等しいし、今後の対策もまるでない。
 姫は言いようがなく沈黙させられる。
「あなたには私が必要なんですよ」
 フォレスト射るような眼差しを姫に向ける。
 それって、もしかして。
「…一緒に来てくれるのか?」
「是非も無い」
 姫の問いに即答するフォレスト。何か気に障るのか、口調からいつもの丁寧さが欠けている。
 それでも、姫にとってフォレストの言葉はとてもありがたいものだった。 不安で不安でどうしようもなかった気持ちが一気に軽くなる。
「感謝する…」
 泣きそうになるのを必死に抑えながら、笑顔で姫は答えた。
 姫の精一杯の笑顔に怒気はあっけなく霧散し、フォレストは短く息を吐いた。
 全く。この姫は鈍いくせにこういう時ばかり余計な気を回して。
 こういう時だからこそ私を頼って甘えて欲しいというのに。
 最初から素直に一緒に来いと言えば良いんですよ。…来るなと言われても従いませんけどね。
 というか、そんな顔されたらキスしたくなるじゃないですか。
「あなたを一人で行かせるわけないでしょう。では、ぼちぼち行くとしましょうか」
 フォレストは姫に右手を差し出す。姫はその華奢な細い手をフォレストのそれと重ねる。
 私はいつもフォレストに助けられてばかりだな。非常時だというのにフォレストが側にいるだけで安心する。 
 フォレストに導かれるまま姫は通路を走り抜ける。
 とある一室の前でフォレストは立ち止まる。
「ちょっと待っててくださいね」
 そう言い残しフォレストは部屋に入って行った。
 そして再び戻ってきた彼の手には酒の入った瓶が二本握られていた。
 途中途中で自分達を捕らえようとする兵士達を叩き伏せながら、姫と賢者は何とか城外に出る事に成功した。
 そして適当に店で騎獣を借り二人は王都を後にした。
 目指すのは王都から三時間ほど西に行った町外れである。
 
「フォレスト、何故今更私が謀反などという疑いをかけられるのだろう。 父様に歯向かうなどありえないというのに」
 小さくなっていく王都をみやりながら姫はぽつりと呟いた。
「一見、穏やかに見える王宮内も陰謀は渦巻いているのでしょうね。この国はまだ穏やかな方ですが」
「位など…捨てられるなら、いつだって…」
 軽々しく放棄してはならない物だとはちゃんと解っている。
「そういえば、街中を歩いていてもいつもと変わらなかったな」
 姫の言葉にフォレストがこう答える。
「兵士を締め上げて聞いたんですが、陛下が事を荒立てたくないらしく現在は城内にしか情報が公開されてないみたいです」
「そうなのか。お尋ね者を捕らえるには指名手配した方が効率が良いのに…父様は何か思うところがあるのだろうか」
「どうでしょうね。陛下は時折突拍子もない事をされますから」
 フォレストは苦笑する。
「ま、今は姫の疑いを晴らすことだけを考えましょう」
「ああ…」
 姫は後ろに乗っている賢者にその身を委ねる。
「ありがとう…フォレスト」
「ですから、いつも言ってるじゃないですか姫」
 姫が小首を傾げて斜め上を振り向くと、賢者はいつもの一言を言った。
「感謝するなら言葉だけじゃなくて、ちゅーvってしてください」
 賢者の一言に姫は微かに頬を染めながら軽く睨んだ。
「…それさえなければ、フォレストは完璧なんだがな」
 そんな他愛ない会話をしながら、約三時間後二人は目的地に到着した。
 それは姫の記憶に新しい西の町の小高い丘にある家だった。
 



TO BE CONTINUED...
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