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「茨の刻印」・21 |
結局、フォレストの傷の事もあって、ヴァル・アルザースへは二日滞在する事になった。
その間の姫のフォレストへの接し方は、どちらが従者なのか解らないくらいだった。
それはもう、五分おきくらいに彼の容態を尋ねてくるほどに。
加えて、枕は高くないか、寒くないか、お腹はすいてないか、喉は渇いてないか等々。
「姫、心配してくださるのは、ありがたいのですが絶対安静というわけでもありませんし」
「駄目だ。勝手に動き回るのは」
「実際、走っても大丈夫なくらい回復してますよ」
「…走り回ったのか」
姫は眉根を寄せた。フォレストは言ってからしまったと、作り笑いを浮かべる。
傷はもうほぼ回復しているというのに、一向に姫がベッドから出る事を許してくれないので、姫が居ない隙に、軽く体を動かしたり軽く走ってみたりしたらしい。
「それほど法王の治癒魔法は高性能なんです。昔も同じような事があって、その時も一日寝たらほとんど完治してましたからね」
「そうか」
姫は渋面のままそう言っただけだった。
そして無言のままベッド横の机に用意された昼食を、自分の膝の上に置く。無論フォレストに食べさせる為だ。
姫はスープを匙ですくい、程よく冷まして言った。
「フォレスト、口を開けろ」
「姫…食事くらい自分で出来ますから」
フォレストとてそうして貰えるのは、かなり嬉しかったりするのだが。
その行為元の感情が罪悪感に近い物と解っているので、あまり気が進まないのだ。
姫のこの異常なまでの介護ぶりは、自分のせいで私が傷を負ったと思い込んでしまっているからで…。
私の自業自得だと説明しても、全く聞き入れようとはしなかった。
どうにも、私は姫の事となると少し冷静さを欠いてしまう。それが、魔族に付け入る隙を与えてしまったのは疑いようの無い事実。
ですから、決して姫の所為ではないのです。
フォレストは困ったように姫に笑いかける。
「……」
姫は黙ったまま、怒ったような、今にも泣き出しそうな表情でフォレストを見ている。
「まあ、口移しでなら構わないですけど?」
賢者は姫ににっこりと微笑んでみせた。
すると想像通りに姫は真っ赤になって、口をぱくぱくさせた。
「ばっ、なっ、なんて事言うんだっ!」
姫から昼食を受け取り、賢者は自分の膝上にそれを置いた。
「それに、『口を開けろ』だなんて、あまりにも色気がないじゃないですか。せめて、『あーん、してv』位は、言って貰わないと」
昼食を口に運びながらフォレストは平然と告げる。
「そんな恥ずかしい真似できるか…! そもそも私に色気を求めるな」
姫は赤くなったままフォレストを軽く睨みつける。フォレストは笑顔でそれを軽くかわす。
それでも、順調に食事を進めるフォレストを見ていると、視線は和らいでいく。
駄目だ、ほっとしたら、また涙腺が緩んできた…。
姫はそれをフォレストに気取られまいと、立ち上がり窓辺へ移動する。
長い紫銀の髪が優雅に波打った。
自然と目に入ってくる景色は、来た時と同じ白銀の世界。
空から舞い降りてくる、雪の結晶達に目をやると。
木々の上に舞い落ちて。屋根の上にもうっすらと白い幕を引き。地表を白に染め上げて。
あまりにも白くて、今は、なんだか痛い。
余計に涙が出る。
頬を滑り落ちた涙を目で追うと、窓の桟の部分に染み込んでいく。
それが、数日前の出来事と重なって見えた。
―――フォレストの血で赤く染まった雪―――。
思い出すと今でも胸が痛い…。
力だけでは駄目だ。もっと精神的に強くならなくては。
あの時は凍った事で頭がパニックになっていて…。更にフォレストが目の前で氷の刃に貫かれて…。
だけど、私がもっと冷静で居られたら怪我をしなくて済んだのだ。全ては私が未熟だからだ。
フォレストは少しずつ慣れていけば良いと言ったけれど。
また、同じような状況に陥った時、私は冷静で居られるだろうか…。
きっとフォレストが傷つくのを見たら…それどころじゃない。
騎士団に入って幾らかの実績も積んで来たというのに、この様はなんだ。
団員が傷つくところを見てもこんな気持ちには、ならなかったのに。
姫は右手で左右の目じりを拭う。
涙ぐんでいたからか目頭が熱っぽい。
高ぶる気持ちを抑えるように、少し乱暴に息を吐いた。
と、背後からふわりと抱きしめられる。
姫は一瞬びっくりして体を硬直させる。
「暫くこうしていても良いですか?」
とても優しくて、慈しむような想いがこもった声音。
賢者は後ろから覆うように、姫のお腹の辺りで両手を組む。
「えっ、いや、あのっ…」
姫は動揺して上手く言葉が口に乗らない。物凄い勢いで鼓動が加速していく。
そんなに密着されたら…困る。
「嫌ですか?」
賢者の問いに、姫は反射的に首を振っていた。
「かっ、勝手に起き上がるなと言ったのに」
姫は苦し紛れにそう言った。
「姫が抱き枕になってくださるのでしたら、すぐに戻りますが?」
フォレストは笑いを含んだ声で答える。
「そんな事できるかっ」
「そこまで、はっきり否定されると少し寂しいです」
「貴殿が悪いのだ。いつも私をからかって…」
「姫の反応があまりにも可愛いので、ついやってしまうんです」
フォレストは窓に映った姫の顔を見ながら楽しそうに言った。
困ったような、恥ずかしそうな表情で、耳の辺りまで薔薇色に染まっている。
何を話せば良いのか解らず姫は俯いてしまう。しかし、今度は沈黙が気になって心が湖面を揺らすように落ち着かない。
一方、フォレストは姫の豊かな髪に頬を寄せ、幸せそうに瞳を閉じて微笑んでいる。
そうして暫くした後、穏やかに、こう告げた。
「――――貴方が無事で、本当に良かったです…」
その一言に、姫の心は甘くて切ない痛みを伴う。
何故だか泣きたいような、切ない気持ちになって姫は瞳を強く閉じる。
この感情が何なのか、その意味も…今、解ってしまった。
私は王女でありながら…罪を犯そうとしている……。あるいは、既に…。
フォレストの腕のぬくもりはとても心地良くて、解放されるまで、姫はその中に甘んじていたのだった。
「聖地もこれで見納めになるのかな…」
姫は後にしてきた聖地ヴァル・アルザースを眺めながら言った。
フォレストは二人乗りの騎獣を操作しながら「かもしれませんね」と答えた。
あれから、フォレストの体調が完全に近いくらいに回復したので、二人は法王達と暫し別れを惜しんだ後、聖地を後にしていた。
「仕事の依頼があれば来る事になるんでしょうけど、それも余りなさそうですしね」
フォレストの言葉に姫は頷く。
ひらり。
小さな白い結晶が眼前を舞う様に通り過ぎる。
「雪…か」
姫はほとんど聞き取れないような声で、呟く。
私は、冬は嫌いだけど、雪は嫌いではなかった。
淡く、儚く、白い結晶はどこか神聖さを感じさせて綺麗だ。
ふと脳裏に蘇る、白銀に染み込んだ赤。
――――だけど、今は少し苦手だ…。
姫は、再び視線を前方に戻す。
「フォレスト」
「何ですか?」
自分の呼びかけに返ってくる優しい声音。
「なんでもない。ただ呼んでみただけだ」
「お望みなら幾らでもお呼び下さい」
フォレストはくすりと笑う。
「あ、それはそうと、イルアーナへはどれくらいで着くんだ?」
「明日の昼までには着くと思いますよ」
姫の頭一つ分上の方から答えが返ってくる。
「そうか。やっと寒さから解放されるな」
思わず姫は笑顔になる。
「本当に寒いの駄目ですね〜。なんなら私が直に温めて差し上げましょうか?」
「…ばか者」
冗談でもそういう事を言うものではない。
言われた私がどんなにドキドキしてるのか、解っているのか!?