|
「茨の刻印」・20 |
姫は生まれて初めて見る、激しい魔法のぶつかり合いに、一瞬、呆然となった。
凄い…。フォレストがこんな上級魔法使うなんて。
つまりそれは、フォレストも直接手を下すほど、あの魔族が強いって事だ…。
中位魔族と戦った時でさえ、結界しか使わなかったのに。
姫は湖面すれすれに浮いている魔族を見た。
美しいが背筋の凍るような嘲笑。
「あの魔族は火に弱いんだな」
「ええ」
姫の言葉にフォレストは頷く。
「よし…」
姫が右手をすうっと上げると、指先に小さな光がともり、上位魔族へ向かって放たれる。
「何の真似だ、小娘」
「…燃えよ」
姫は鋭い眼差しで氷の魔族を射抜く。
ほんの少しの間に、既に氷の美女のもとへと光は飛んできていて。
彼女が、ちりっ、と何かを感じ取った時には、そこに巨大な火柱が立っていた。
「な、何だとっ!?」
自分の倍はある火柱の中で魔族は狼狽する。一瞬で燃え盛る炎の中に捕らわれたのだ。
しかし、すぐに冷静になり、自分の体を氷の膜で素早く覆う。
ほっとしたのも束の間。
ビュウ! と何かが物凄い勢いでこちらへ近づいてくる。
前方を見やると、最初、お互い相殺しあった、かまいたちが飛んで来た。
「ちいっ…」
とっさの防御が間に合わず、氷の美女は数発攻撃を喰らってしまった。
すかさずフォレストが鉄扇を振りかざしたのだ。
「流石に、中々しぶといですね…」
「貴様、その扇、只の鉄扇ではないな!?」
魔族は塞がらない傷の様子に、そう口にした。
「だったら何だというのです。貴方にお話しすることは何もありません」
言いながら、更にフォレストは攻撃の手を早めた。
その動きは、まるで舞を見ているみたいで綺麗だと、姫は思った。
「同じ手が二度も通じると思うでないわ!」
氷の上位魔族は、次々と繰り出されるかまいたちを、氷の壁で防御する。
氷の壁は切断されたものの、ダメージは受けていない。
と、そこへ炎の竜が再び襲ってくる。しかも、数が半端無く多い。さっきの倍だ。
それは先ほどと同じように、複雑な軌道を描きながら氷の魔族を追い詰めていく。
必死に防御をする魔族の視界の端に、片手を前に突き出している姫の姿が入った。
「小娘…」
呪詛の言葉を吐くように、氷の魔性は形の良い唇を歪ませる。
「姫、貴方という人は…」
フォレストは苦笑せざるを得ない。先ほど自分が使ったばかりの魔法を、呪文も無しに発動させただけでなく、自分の倍の炎の竜を出現させているのだから。
「試しにイメージしてみたら、出来たのだ…」
姫自身びっくりした様子で、フォレストを見上げている。
「許さぬぞ! 小娘ぇ…」
体のあちこちから湯気を立ち上らせた、氷の上位魔族は呻くように言った。
「貴様も凍ってしまえ!」
しかし、氷の刃がとんでくるでもなく。姫はきょとんとしていたのだが…。
「痛っ!?」
見ると、体の表面から徐々に凍り始めているではないか!
「姫っ!?」
フォレストが斜め後ろを振り向くと、姫の手足からどんどん上へ向かって氷の塊が覆っていく。
「ぐあっ!」
フォレストの喉元から悲痛な声が上がった。
氷の魔族は、フォレストの僅かな隙を見逃さなかったのだ。すかさず、氷の刃を彼の背中目がけて放ったのだった。
氷の刃は彼の左肩を貫いていた。これではもう、鉄扇を使うことは出来ない。
彼が苦痛に苛まれている間にも、姫の氷化は進んでいき、既に喉元まで来ている。
「あ、ああ…」
姫は絶望と不安に飲み込まれ、思考回路が停止しつつあった。
額から嫌な汗が流れ落ちる。
フォレストが傷ついている…助けたいのに。
助けたいのに助けられない! 動けない! どうしたらいいんだっ!!
キィ…ン!
その時、姫の時間は止まった。姫は氷の柱の中に閉じ込められたのだ。
その様は俗に言う、『氷の柩』…アイスコフィンとでもいおうか…。
「あっははははは! 良い様だのう」
氷の魔族は、さも楽しそうにあざ笑う。醜く歪んだ口元には美貌の見る影も無い。
「くっ…」
フォレストは怒りのこもった瞳で魔族を睨みつけた。
よくも…。
「私の姫にこんな真似をして、生きて戻れると思わないでくださいね…」
賢者の喉から絞り出すように発せられる、怖ろしい程に冷静な声。
フォレストの怪我を治癒魔法で癒していた法王は、いつもからは想像できない彼を目の当たりにし驚愕する。
只でさえ姫は寒いのが大の苦手なんですよ?
それを…こんな。
「猊下、治癒はもう結構です。血は止まりましたから。この傷を完全回復するには時間がかかりすぎる」
「だが…」
「私は平気です。それより、引き続き援護をお願い致します」
フォレストの鬼気迫る物言いに、法王は頷くしかなかった。口調が丁寧なだけに、かえって迫力があった。
「天の理、地の理、其は悠久にして不変なり。至高神エルディアの名もまた不変。御名の下に我は請い願う……」
フォレストの指先が光の奇跡を残しながら、宙に魔方陣を描き上げていく。
魔法発動の影響で、彼を中心に風が巻き起こり、地表の雪が宙に舞う。
この間にも魔族の攻撃は続いているが、法王の結界で持ちこたえている。
「……この世に生まれ出でし悪しき存在に捌きを下し給え…!」
賢者の魔法詠唱が完成すると同時に、描かれた魔方陣が目を開けていられない程の強烈な閃光を放つ。
法王は目を瞠る。
「これは、もしや…」
信じられないという風に呟く。それもそのはず、この呪文は対魔族魔法でも最上級魔法の一つに入る。
とてつもない膨大な魔力を消費するこの魔法の使い手は、サンクリット大陸中探し回っても五人も居ないであろう。
より高度な魔法は、危険と隣り合わせでもある。高い精神力と魔力が必要なばかりか、それが上手く発動しても制御できなければ、その力の矛先は術者自身だ。
閃光を放った魔方陣は既に消え、それとは別に新たな魔方陣が、氷の上位魔族を上下で挟むように出現する。
「くっ…」
氷の魔族は既に動きが封じられている事が解り、表情を曇らせる。
フォレストは凛とした通る声で、言い放つ。
「疾く来たれ爆雷の神々! 呪われし煉獄へ、彼の者を誘え!!」
その言葉と共に、周囲は今まで見たことも無い爆音と閃光に包まれる。
神々の憤怒と表現するのが相応しいほど激しい、爆炎と爆雷が氷の魔族に一気に注がれる。
耳をつんざくような爆音と、目を覆いたくなるような激しい、激しい、光。
フォレストは肩で息をしながら、左手を前方へ出し、それを右手で支え、術を支える体勢に入る。
姫は氷の柱の中で意識を失っていた。
しかし、その姫の朦朧とする意識に、何かが語りかけてくるのがぼんやりと解る。
(……は、…だ…では、いけ…い…)
何、だ?…何を、言っている?
(そなたは、まだ…死、では、いけ、ない…)
それは、徐々にはっきりと聞き取れるようになり。男とも女とも付かぬ、あるいは、その両方だろうか。不思議な響きを持つ声だと認識出来た。
…私とて死ぬつもりは無い…だが、身動きの取れぬこの身でどうしろというのか。
(そなたに、古の知識を授けよう…)
古の、知識?
徐々に気持ちが落ち着いてくると、身近にとてつもない莫大な聖なる気を感じ取れた。
聖杯の比ではない。もっと強大な、神がかり的なもの…。
近づいて、くる。
光だ。なんと温かく清らかなのだろう。心地良く、その光を受け入れる。
姫の中へ、莫大な量の知識が流れ込んでくる…。
もしや、あなたは!?
(そなたを『茨の刻印』で縛る事、許して欲しい。愛しき我が子。人の子よ。そなたの幸せを願ってやまぬ…)
あなたは…。
この父親の様に荘厳で、そして母親の様に包み込むような莫大な聖気…。
(さあ、そなたを待っている者達のもとへ戻るのだ)
そう言って、神々しい気配はすっと消えた。
そうだ。こんな所でのんびりと留まっている暇は無い。
待っててくれ、今行く!
頭の中に、自然と単語が浮かんでくる。
そして、姫は力ある言葉を紡ぐ。
一方、フォレストは激痛の走る左肩の痛みに耐えながら、術を支えていたが、やはり無理があったのか、徐々に苦しさが増す。
恐らくこの程度ではまだ、上位魔族は死んでいないでしょうね。
これ以上、術を続ければこの身が危険に晒される。
「ここまでか…っ」
この状態を維持し続けるには、もう限界だった。このままだと、制御を失った魔力は暴走するだろう。
フォレストは苦々しい表情で左手を引き、術を解放した。
無理をした所為か、肩から新たに出血している。鮮血は彼の腕を伝い、指先から滴り落ちる。
白い地表に、紅い染みが出来た。
フォレストは肩で息をしている。額にはうっすらと汗が滲み、立っているだけでも、かなり辛いだろう。
しかし、それは上位魔族にとっても言える事だった。
術をまともに喰らい、解放されたのは良かったが、そのまま聖なる湖へ落下した。
通常の彼女なら聖水ごとき問題ではないのだろうが、今は状況が圧倒的に違う。
賢者の放った最上級魔法で致命傷に近いダメージを受けていたのだ。当然、聖なる湖の聖水は更に彼女を蝕む結果となる。
傷口から硫酸をかけられた様な酷い痛みが全身を襲う。
彼女はなけなしの力を振るい地表に降り立つ。
しかし、その姿は見るも無残なものに変わり果てていた。
皮膚は激しく焼けただれ、満身創痍である。髪も振り乱し、その表情は酷く歪んでいた。それはまるで、内在する魂の醜さと禍々しさも象徴しているかのようだ。
「死ねえっ!!」
呪詛の言葉と共に、氷の魔族は渾身の思いで氷の刃を解き放った!
フォレストの後方でピシっと何かが弾ける音が一瞬聞こえた。
法王が慌てて結界を張ろうと呪文を唱える。
「具来せよ……」
しかし、それより先に。
氷の刃は飛来しながら、粉々に砕けていったではないか!
氷の魔族は驚愕に目を見開く。明らかに動揺していた。
その遥か前方にいる人物を映し出して。
「待たせたな、フォレスト」
そこには、足元に粉々に砕けた氷を散らせた姫が立っていた。
「姫っ!?」
フォレストも流石に驚きを隠せない。
「もう大丈夫だ。すぐ終わらせる」
姫はフォレストに笑顔を向けた後、すぐさま、氷の魔族を真っ直ぐに見据える。
そして呪文を唱え始めると、上位魔族は、あからさまに苦しみだす。
それは、今までその場に居た誰もが聞いたことの無い詠唱だった。謳うような、語るような不思議な言葉。
「ぎゃああああああああ! 嫌だ、その言葉は! やめろっ!!」
氷の魔族は耳を押さえてその場でのたうち回る。
姫は、すうっと右手を前方へ差し出す。そこに光が宿っていく。
そして、発動の一言を、姫は紡いだ。
「―――――汝、光となれ」
姫の手の内から溢れた光の欠片が、氷の魔族を覆いつくして行き、光に包まれる。
「いやだああああああああああっ!!」
空気を引き裂くような激しい叫びがあたりに響き渡る。しかし、それもすぐに掻き消える。
光の欠片が、その場から離れ、再び姫の手中に治まると、そこにはもう、何も存在していなかった。
そして、姫の手の中の光が納まると、そこにはアクアマリンのような魔晶石が在ったのだった。
姫はすぐさま雪の上に腰を下ろしているフォレストに駆け寄る。
「ち、血が……」
泣きそうな顔でフォレストの傷を見る姫。
「大丈夫ですよ、これくらいじゃ死にません」
フォレストは姫を安心させる為に微笑んでみせる。
法王がすかさず治癒魔法をかける。
「ここには治癒魔法のスペシャリストもいらっしゃる事ですしね。シュバイツ様」
「だか、今回はかなり無茶をしたようだな…あんな命を落としかねない禁呪のような魔法を使うものではない…」
法王は渋面になる。
「相手が相手ですしね。時間も無かったですから。誰かさんが氷漬けになってましたしね〜」
フォレストはニヤリと笑う。
良くこんな状態で、減らず口が叩けるものだと、姫は呆れた。
だけど、無事で良かった…。本当に。このばか者が…。
「おやおや」
フォレストは微笑みながら、姫の目元をすくう。
姫はフォレストから視線を逸らさず、ぽろぽろと涙を零す…。
「もう…ほんと姫ってば、可愛い」
賢者は姫の頭を優しく撫でた。