「茨の刻印」・15




 老司教に案内されて入った神殿の中は、外からは想像もつかないほど修繕されて新築の時のように綺麗な状態に保たれていた。
 古代の神殿を思わせる多数に立ち並ぶ石柱が見事なシンメトリーを作り上げている。通路には赤い絨毯が敷かれている。
 右手の方は外に繋がっていて、庭の方では僧侶たちが組み手をしたり、神聖魔法の練習をしているのが見える。
 僧侶たちが呪文を唱える度に、淡い燐光が辺りを照らしキラキラと光の粉が雪のように舞う。
 知らず姫の口から言葉が漏れる。
「…綺麗だな」
 何回見ても神聖魔法は心を安心させるような、優しい光と神秘な感じがして。
 それを見ている自分の心まで清らかにしてくれるような気がする。
 こんなに心惹かれるのは…自分が神聖魔法を使う事が出来ないからなのか。
 茨の刻印を授かる者は代々、神聖魔法が使えないという。その強大すぎる魔力と引き換えに、一切の治癒と防御の魔法が使えないのだとフォレストが言っていた。
 試しに少し習って使おうとしてみたけど全く発動しなかったしな。
 神に祝福されし者だと言うけれど、神聖魔法が使えないのはちょっと皮肉だな。
 暫く歩くと、老司教は通路沿いにある一番奥の部屋へ二人を招きいれた。
 そして姫と賢者の二人は、司教に言われるまま椅子に腰を下ろす。
 老司教もゆっくりとした足取りで腰を落ち着けると、静かに語り始めた。
「これからお話しする事は、この神殿において私と数名の高僧、今まで城から聖杯を求めてきた数十名の者しか知らない事実です。門外不出の事ですので外部に漏らさぬようお願いします」
「聖杯に関する事ですね」
 フォレストの言葉に老司教はこくりと頷く。
「聖杯は大変強い聖気に守られており、その魔力は聖なる湖の事でも十分お解りだと思います。天から授かったとも、名工が創り出したとも言われる起源の全く不明瞭な物です。その神聖な杯は、長い間祭られ、崇められ、少なからず意思を持つようになりました。それ故に、聖杯は自分の主と認めた者にしか扱えないのです」
「主と認めた者にしか扱えないのか…」
 今まで数十人が聖杯を手にする為にここへ来たのに誰も認められなかったというのに、他所から来た私なんかにその資格があるのだろうか。
 姫の菫色の瞳に少し重い光が差した。
「ということは、聖杯を手にするには何か試練を受けなければならないという事ですね」
 フォレストの言葉に老司教はまた静かに頷く。
「私どもでもその試練が何なのかまでは解らないのです。それを乗り越えられなければ、聖杯の祭られた場所にさえ辿り着く事は不可能です。何故なら…」
 老司教は、一呼吸置いて静かに言い放った。
「聖杯はこの世界には存在しないからです」
「…え?それでは私達は何の為に此処まで来たのか…」
「恐らく、よほど神器に近い物なのでしょうから、別の時空にあっても不思議ではないですね」
「なるほど、そういう事か」
 フォレストの言葉に納得する姫。更に老司教は話を続ける。
「そしてまた、試練の場となる『氷雪の祠』もまた別の次元にあるのです。しかし、聖杯に挑んだ者達は皆ここで、暫くすると虚ろな状態になりそのまま倒れてしまうのです」
「ちょっと待って下さい。司教はまるでその場をご覧になったかのような言い方ですが?」
 フォレストの問いに老司教はこう答えた。
「代々神殿に受け継がれている、界と界を隔てたところでも視る事の出来る、神秘の鏡の力で聖杯の様子や、氷雪の祠へ行った者達の様子を見る事が出来るのです」
「なるほど。それで氷雪の祠へはどうやっていくのですか?」
「中央広場に祠への道はあります。後はその時になってからまたお話致します。明日に備えて今日はゆっくりと体を休めてください」
「お心遣い感謝致します。せっかくですから、ゆっくりしましょうか、姫」
「うむ」

*          *          *


 案内された部屋は神殿らしく、華美な装飾などは一切無くすっきりとした部屋だった。
 私はこれくらいの部屋の方が落ち着くんだけどな。
 姫はそう思いながら、暖炉の前の椅子に腰掛ける。
「やっぱり暖炉の側が暖かくていいな…」
 両膝を抱えるようにして椅子の上に乗せ、膝頭に頭を置いて姫は丸くなった。
 暫くそうして静けさの中に身を置いていると。
 後ろの方で、派手に何かをぶつけたような音がして、姫ははっとして後ろを振り返った。
 姫の視線の先には、机に額を打ち付けた賢者の姿があった。
「凄い音がしたと思ったら、フォレスト、頭は大丈夫か?」
 フォレストは頭を起こし、眠そうな表情で言った。
「あはは。お気になさらず。ちょっとした睡眠不足です」
「どうして睡眠不足なんか…」
 姫が怪訝そうな顔で問うと、賢者はこういった。
「聖杯に関する事が少しでも解ればと、法王に頼んで夜通し過去の文献を読みあさってたんです」
「そうだったのか…」
 姫は申し訳ない気持ちになった。自分がのうのうと寝ている間にも、フォレストは問題解決の為の糸口を探していたのだ。
「もう年なんですかね〜。これくらいで眠くなるなんて」
 言いながらフォレストは口元を覆い欠伸をする。
「少し横になったらいい。夕方には起こすから」
 フォレストは無言で姫をじっと見ている。姫にはその意図が解らず、小首を傾げるとフォレストがこう言った。
「…姫が膝枕してくれたらすぐに回復するんですけどね〜…」
「は?」
 思わず力の抜けた返事が口から出る。
「ついでに耳掻きなんかしてもらったら最高です」
「そんな恥ずかしい真似できるかっ」
 思わず声が大きくなる。
 まったく、フォレストときたら。
「嫌ですか?」
「嫌というわけではないが…」
 次の瞬間フォレストはにっこり微笑んで言った。
「なら、決定ですね。いやぁ〜私は幸せ者だなあ〜」
「だっ、誰もするとは言ってない!」
「しないとも言ってませんよね」
 笑顔で答えるフォレスト。笑顔なのに必要以上の圧迫感が姫にのしかかる。
「うっ…」
 思わず言葉に詰まる。笑顔の威圧とでも言おうか。
「さあ、姫こちらへどうぞ」
 言いながらフォレストは席を立ち、ソファに移動する。
 姫は半分納得がいかない気持ちと、複雑な気分を抱えたままソファの左端に腰を下ろす。
 程なくして、フォレストの銀色の頭が姫の膝の上に落ちてきた。
「あぁ、幸せ…」
 フォレストはうっとりと瞳を閉じ、幸せの中に浸っている。
 姫は僅かに頬を薔薇色に染めて、どことなく落ち着かないのか、もじもじしている。
 こんな遠くまで来て私は一体何をやっているのだ。
 というか、聖なる湖を復活させる為に来たのにこんな事してていいのだろうか…。
 姫が困った表情のまま、フォレストを見下ろすとちょうど視線がぶつかった。
 はっとして姫は視線を逸らす。
 こんな近距離で目が合うのはやっぱり恥ずかしい。
「姫ったら、照れちゃってかーわいいv」
 姫は無言でフォレストの額をぺしっと叩いた。
「何するんですか〜」
 と一応非難するフォレストだったが、笑顔なのでむしろ嬉しそうにしか見えない。
「何となくだ、気にするな」
 私と違っていつも余裕で、なんかちょっと悔しいので叩いてやった。
「じゃあ、何となくで良いですからちゅーしてください」
「ばっ、ばか!」
 恥ずかしさのあまり姫は顔を左に背ける。
 ドキドキと鼓動が高鳴る。
 ずるい。
 こんなの何かずるい。
 どうしていつも私ばかりこんなにドキドキしなきゃならないんだ。
「ひーめっ」
「何だ」
「ちゅーは年中無休で受け付けてますから、気が向いたらいつでもして良いですからね〜」
 その言葉に。
 姫の顔面が一瞬にして真っ赤になった。
「寝るならとっとと寝ろーっ!!」
 恥ずかしさが最高潮に達し、姫は思わず叫んだのだった。
 こんな大声で言われたら寝るも何もあったものではないとは思うが。
「はーいv」
 フォレストは嬉しそうに返事をして瞳を閉じた。
「手を」
「え?」
「握っても良いですか?」
「ああ、別に構わない」
 フォレストは姫の左手を取り自分の胸の前へ持っていき、両手で包み込む。
「では、少し寝ます。おやすみなさい」
「おやすみ…」
 暫くすると規則正しい寝息が聞こえ始めてきた。
「……」
 姫はフォレストが完全に寝たのを確認すると、こっそりと顔を覗き込む。
 サラサラな銀色の髪が陽の光を受けて多彩な色に光っている。閉じられた瞳は銀色の睫毛で彩られている。
 こんな風に黙っていれば美形なのになぁ…。
 ちょっと気を許すと、すぐちゅーとか何とか言ってくるからな。
 しかも、私がそう出来ないと解った上で言ってくるから質が悪いというものだ。
 最近はそこまで嫌な気はしなくなってきたが。
 等と色々思っている内に数刻が過ぎ。
 徐々に足がしびれ始めてきた。
 ううむ。移動したいけれど、フォレストが目を覚ましてしまうかもしれないし。
 ああ、でもこのまま目覚めるまで待ってたら確実に痺れきってしまうな…。
 そしてまた、そうやって悩む間に数刻が過ぎ。
 結局姫は、思い切り足を痺れさせるハメになった。
 うう、足が凄く痺れてフォレストの頭が少し動いただけでも凄い衝撃が…。
 というかまだ起きないのか…。そろそろ夕方だし起こしても良いだろうか。
 いや、しかし徹夜だったと言っていたし、ゆっくり休ませてやらねば…。
 ああ、でも足が痺れてちくちくする。
 そうして、姫がすがるような思いでフォレストの目覚めを待ち続ける事、数刻。
 ようやくフォレストが目を覚ました。
「やっと起きた…」
 半ば疲れ気味に姫は呟く。
「おや、そんなに私の目覚めが待ち遠しかったとは。キスさえしてくれれば、いつでも起きますよ?」
「そっ、それより早く頭を上げてくれないか…」
 もう限界を通りこして変な感じになってるぞ、足が。
 今はもう恥ずかしがる余裕など微塵も無かった。
「嫌ですーもっと満喫しなくては〜」
 フォレストは言いながら頭を左右にゴロゴロと動かした。
「〜〜〜〜〜〜っ!!」
 その瞬間、姫の口から悲鳴のような、あるいは呻き声のようなものが上がる。
「ななな、何ですか?」
 驚いたフォレストは、慌ててソファに起き上がる。
 姫は刺激を何とか耐えようと我慢してはいるが、前かがみになり全身を小刻みに震わせている。
 そんな姫の様子を見て。
「また貴方は無茶したんですねぇ。足が痺れたなら席を立っても良かったですのに」
「そんな事言われても、貴殿があまり気持ち良さそうに寝てるから…」
「姫ったら何だかんだ言っても優しいですね。姫のそういうとこ大好きです」
 そう言って、満面の笑みを浮かべ、賢者は姫の足をツン、とつついた。
 そして姫はまた声にならない悲鳴を上げたのだった。
「くっ…わ、私は貴殿のそういうところが大嫌いだ…」
 涙目になり賢者をきつく睨みつける。
 そしてフォレストは意地悪な笑みを浮かべ、もう一度姫の足をつっついた。
 再び声にならない悲鳴を上げ、小刻みに震える姫。
「大嫌い、だなんて軽々しく言わないで下さい。傷つきますからね」
 フォレストはにっこりと微笑んで言った。
「貴殿が言わせているのではないかっ!」
 こうなったら、この件が片付いたら一週間くらい口利いてあげないからな。
 私に意地悪した罰なのだ。



TO BE CONTINUED...
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