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「茨の刻印」・14 |
「まったく、貴殿が本当に風邪を引くとは思わなかったぞ」
姫は呆れたように言いながら賢者の額に濡れたタオルをそっと乗せた。
フォレストはベッドに横たわり、姫は横に置かれた椅子に座っている。その側には水を張った洗面器と薬湯が置いてある。
「私としたことが油断しましたね。でも姫が看病してくれるから全然問題ありません」
高熱の為か顔を火照らせながら、それでもいつものように微笑んでフォレストは言った。
「…頭が良いのか悪いのか…」
姫は困ったように短いため息を吐いた。
不意にフォレストが手を握ってきた。
「あぁ、冷たくて気持ち良い…」
その手をそのまま自分の頬に引き寄せ押し当て、そのまま微睡むように瞼を伏せる。
フォレストの頬は湯上りの時の自分の肌よりも熱くて。むしろ寒がりな自分にとってはそれが心地良かったりするのだが。
仕方が無いのでフォレストの額に乗せたタオルが温くなるまで、そのままで居る事にした。
ほんの数刻でタオルは温くなってきた。
姫は再び、洗面器の水でタオルを湿らせ水気を切るとフォレストの額に置く。
「そろそろ薬湯を飲む時間だな」
姫は水差しに入ったそれをフォレストの口へ持っていく。
が、フォレストは口を開かない。
「ちゃんと飲まないと治らないぞ?」
姫の言葉に賢者はこう返した。
「どうせなら、口移しの方がいいです…」
フォレストは今にも気を失いそうな弱々しい声で言った。
「そうか、ならそうしてやる」
姫は水差しを自分の口に持っていくと、薬湯を少し口に含んだ。そのままフォレストの上に覆いかぶさるように両手をベッドにつき、ゆっくりと顔を近づけていく。
―――――え?
そのまま、姫とフォレストの唇が重なる。姫の長い、長い紫銀の髪がさらさらと華奢な背中から白いシーツの上へ零れ落ちていく。
フォレストの喉がこくり、と波打った。
―――――ななななな!?
いつの間にか背中に回された腕に強く引き寄せられる。しかし唇はまだ重なったままである。
お互いの舌先が軽く触れ合う。フォレストは姫の髪を優しくまさぐるように撫でながら、姫の口内をゆっくりと優しく愛撫する。
―――――っ!!
ち、違う! こんなのは違ーうっ!!
「おやおや、悪い夢でも見てるんですかね、呻き声まであげて」
フォレストはベッドの淵にそっと腰掛けて、姫を見下ろす。
「ちが…う…」
姫は額に冷や汗を浮かべながら寝言を言う。
「可哀相だから起こしてあげますか。姫、朝ですよ。起きてくださーい」
次の瞬間、姫の目が勢い良く開かれた。目を覚ますなりいきなり。
「ばかーっ!!」
フォレストは姫の叫び声と共に枕を投げつけられたのであった。
「…起き抜けに、人の事を莫迦とはなんですか」
投げつけられた枕をよけもせずフォレストは怒った風でもなく言った。
姫は、はぁはぁと肩で息をしている。暫くすると呼吸が収まってきた。
「…あれ?」
何故私がベッドに居るんだ?フォレストは…いつもと変わらない。風邪なんか引いてないぞ。
姫がきょとんとしていると目の前の賢者が言った。
「ちゃんと目が覚めましたか?今日はヴァレリアへ向かいますから、身支度を整えておいて下さいね」
あ、そういえば昨日、法王がそんな事を言っていたな。
「夢、か…」
姫は、疲労とも安堵ともつかぬため息を漏らす。
「随分うなされてましたけど、悪夢でも見たんですか?」
フォレストはいつものように優しい笑みを浮かべている。
「悪夢というか…悪夢、なのか?」
うーん、と答えの出ない自問をする姫。
「寝ぼけた姫も可愛いですけど、いきなり枕投げはこれからは遠慮してくださいね」
「すまぬ…」
自分の恥ずかしい行為に思わず頬が赤くなる。
「だが…元はといえば貴殿が……」
「はい?」
姫は下に落としていた視線をフォレストに向ける。しかしすぐに真っ赤になったまま俯いてしまう。
「着替えるから一人にしてもらえるか?」
「解りました。隣の部屋に居ますから終わったら教えて下さい」
姫はこくりと頷いた。暫くして扉の閉まる音がした。
フォレストが出て行ったのを確認すると、姫は失神するように布団の上に突っ伏した。
フォレストの顔を見た途端、唇に目が行ってしまう。どうしよう。
その度に夢の中の出来事が頭に蘇えってきそうだ。ああ、また…。
心臓の音が、凄い…。もう…そんなにドキドキしたら壊れるじゃないか。
…でも、気持ちよかった…。
次の瞬間、姫は勢い良く起き上がる。
「やだっ!!」
な、な、な何だ、気持ち良かったって。こんな卑しい事を思ってしまうなんて!
恥ずかしい。聖なる湖を元に戻す為にここに来ているのに、こんな不謹慎な事を考えていたら駄目だ!
「さっさと着替えよう!」
顔を火照らせたまま、姫は自分に言い聞かせるように口に出して言うと、いつもの仕事着に着替えた。
身支度を済ませて隣の部屋に行くと、焼きたてのパンの香りと淹れたての紅茶の香りが鼻腔をくすぐる。
机の前でフォレストが椅子を引いて待っていた。姫が腰を下ろすと自分も机の向かい側に腰を下ろす。
姫は紅茶を一口すする。口の中に芳香が広がり温かくなる。砂糖もミルクも入っていない、純粋に紅茶の葉だけを淹れたものだったが別に苦味も感じられなかった。
「おいしい…」
何だか心がほっとして思わず笑みがこぼれた。
「姫が朝から笑うなんて珍しいですね」
「そうか?」
「私と会ったばかりの頃はいーっつも、むすーってしてましたよ?」
フォレストはくすくすと笑いながら言った。
「そうだったかな?」
いまいち覚えがないのだが。
そういえばフォレストはいつもニコニコしているな。そんなに笑ってばかりいて顔の筋肉が引きつらないのだろうか?
「私の話を無視したり、睨みつけたりしたじゃないですか〜」
「それは貴殿の行動に問題があったからだろう」
「私はただ姫が可愛くて可愛くて仕方が無いだけなのに。フォレストさんもう立ち直れないかも…」
という言葉とは裏腹にどんどん食事は彼の胃袋に収まっていくのだが。
「それより、フォレスト。ヴァレリア迄はやっぱり陸路で騎獣に乗って行くのか?」
「いいえ。今回は転移魔法陣で移動します。ヴァレリアの街の入り口までそれで行けるみたいですので」
「そうか」
姫は内心ほっとした。
「これでもう寒い中震えながら歩かなくて済みますね」
姫の心を見透かしたようにフォレストが笑った。
「寒いのだけはどうしても苦手だ…」
思い出しただけでも嫌なのか、姫の眉間に皺が出来る。
「だからと言って我慢しすぎちゃ駄目ですよ。姫は自分の事は何でも我慢しすぎですから」
「解った。気をつける…」
そうして、朝食をとり終えた二人は法王の案内で水晶宮内部にある転移魔方陣のある部屋まで来たのだった。
姫と、フォレスト、法王の三人は転移魔方陣の前に立っている。
「後はヴァレリアの司教に頼んであります。無理をお願いして申し訳ない」
「困った時はお互い様です。猊下の期待にそえれば良いのですが…。それでは行ってまいります」
「気をつけてな。神のご加護があらんことを…」
法王は祈りを込めて十字を切った。姫とフォレストの二人は転移魔方陣に入り一瞬で消えた。
その場には初めから法王一人しか居なかったかのように。