「茨の刻印」・13




 夏だというのに粉雪がちらちらと舞い散る地、ヴァル・アルザース。そして、薄い青灰色のヴァル・アルザース城はその周囲を白い城壁で囲まれている。
「歌が、聞こえる…」
 姫は寒さに身を縮こまらせながら言った。幾重にも服を重ね、羽毛つきの外套を羽織っているのだが、やはり極寒の地というだけ底冷えのする寒さである。
 そう、姫と賢者の二人は、先日の聖地の使者の案内でヴァル・アルザースへ来ているのである。
 歌は城に近づくにつれ段々と鮮明になってくる。声高な女性達の紡ぐ言葉は聞いた事の無い発音と流暢な流れで、その口から発せられる音を聞いているだけで神聖な気がしてくる。
「これは…賛美歌ですね」
 前方を歩く賢者が言った。
「そうなのか。私には歌っている内容すら聞き取れないぞ」
「それはそうでしょう。この歌詞は人と精霊の繋がりを強める為に作られた物です。随所に精霊語がちりばめられていますからね」
「精霊か…」
「おそらく、これ以上被害が大きくならないように精霊達に呼びかけ、邪気が広がらないようにしているのでしょう」
 粉雪が舞い散る中を、使者の先導で進んでいくと徐々に景色が鮮明になってきた。
「あんな所で歌っていたのか」
 姫は城壁の上に立ち並ぶ、白い法衣に身を包んだ女性達を見つけて少し驚いた。女性達は寒空の下、ただただ祈りを込めて賛美歌を歌い続けている。
 一体いつから歌っているのだろう?
 ふとそんな疑問が頭をよぎった。
「使者殿、彼女達はいつから、あのようにしているのだ?」
「半日ずつ交代で精霊達に祈りを捧げています」
「そんな半日もこんな寒い場所で歌ってたら身が持たないのではないか?大丈夫なのか!?」
「これも修行の一環でございます」
 使者は至極当然だとでもいう風に返答した。
「……」
 姫には返す言葉が無かった。何故なら、彼女は極度の冷え性で寒さがとてつもなく苦手だからだ。
 いつも冬がやって来る度に、耐えられない寒さを味わうのだと思うと冬など無くなってしまえば良いと、何度も心の中で毒づいた程だ。
 そして、それは現在も変わらず、この地に来る事になった自分を自分で呪っていた。
 手足は既に寒すぎて感覚があまり感じられない。僅かに痺れがわかる程度。
 特に足の指先が冷えすぎて痛いし辛い。寒いと解っていながら来る私はそうとう間抜けだな。
 しかし、こう寒いと手袋もちっとも役に立たない。ブーツも外套も襟巻きも。
 姫は前方の賢者に目をやる。彼はちっとも寒くなさそうだった。
 城門をくぐり、中へ入ると随所に水晶がちりばめられ、それが陽光を乱反射し透明でありながら多彩な色彩を放っていた。
 水晶で彩られた城、ヴァル・アルザース城は別名こう呼ばれている――――水晶宮、と。
 まるでこの地のように、透明で凛とした輝きを放つ水晶で彩られた通路を、使者は黙々と歩き続ける。
 そして、とある一室の前で立ち止まり扉を二、三回軽く叩いた。
「法王様、只今イルアーナから戻りました」
 そう言って使者は扉を開け、姫と賢者を中へ招き入れた。
 そこには五十代半ばと見られる、最高位の法衣をまとった慈悲深そうな瞳をした男性が佇んでいた。
「ご苦労だったな、ゆっくりと体を休めるが良い」
 彼が微笑んで言うと、使者は深く頭を垂れその場から立ち去って行った。
「フォレスト殿、良く来てくれましたな」
 法王は灰色の瞳に慈しむような光を宿して言った。
「猊下のお願いとあっては断る訳にはまいりません」
 フォレストもまるで父に対するような親しげな笑みを浮かべて答えた。
「こちらは我が国の王女でティナローザと申します。今回私と同行して頂ける事になりました」
 すかさず、隣に立つ姫の事も説明する。
「このお方が噂に名高い『茨の刻印』を宿された姫君でしたか。お目にかかれて光栄でございます。是非とも、そのお力良き方向へ使われてこの地をお救いください」
「法王殿、私に出来る事ならば限界まで頑張らせてもらう。この地に安息が戻る事を願って」
 姫は曇りの無い真っ直ぐな瞳で、法王を見据えてそう言った。
「穢れの無い純粋な目をしておられる…神のご加護を。”blessing”」
 法王は右手を姫の額に持って行き、「祝福」の神聖魔法をかける。彼の右手を中心に温かな光が放射状に一瞬輝き、光の粉がきらきらと姫を取り巻くように舞い降りた。
「綺麗だ…それに温かい…」
 姫は、神聖魔法を傍目から眺めていた事は何度かあったのだが、実際に体験するのは初めてであった。
 まるで柔らかな羽に包まれているような、温かくて少し懐かしいような感覚にとらわれる。
「立ち話もなんですから、お掛けなさい」
 法王の言葉に促され、姫と賢者の二人は接客用の長椅子に腰を下ろす。法王自身も机を挟んで二人の正面に腰を下ろした。
「猊下、早速ですが現状はどうなっているのですか?」
「今のところは聖歌隊のお陰か特に被害はでておらぬ。下位魔族が少々増えた事位か…。しかし、聖なる湖が枯れたというのにこの程度で治まるはずがないのだ」
 法王の顔に刻まれた皺が余計に深みを増したように見えた。
「そうですね。私も思いのほかこの国が乱れていないので少し不信に思っていました。上位魔族が関わっている事はほぼ間違いないでしょうし」
「うむ。そこで何か手がかりは無いかと過去の文献をひも解いておったのだが、驚くべき事が解ったのだ」
「と、いいますと?」
 フォレストの問いに法王はこう答えた。
「今から遥か五百年前にも同じように、聖なる湖が枯れた事があったらしい」
「それは、初耳ですね」
 姫も賢者も思いもよらない言葉に驚きの色を隠せない。
「仮にもここは聖地とされている所。そのような歴史は表に出ないのが常というものだ」
 法王は苦笑した。いつの時代、どの国でも表に出ない隠された史実は存在するという事なのだろう。
「確かに。…それで何か手がかりが掴めたのですか?」
「ああ。その文献によると、やはりその時も上位魔族が絡んでいたようだ。いや、湖の復活の方が優先であるな。枯れた湖を再び潤すために『聖杯』の力を借り、天空の巫女が祈りを捧げるとどこからとも無く湖に水が戻ってきたというのだ」
「聖杯、ですか。それは現存する物なのですか?」
 法王はゆっくり頷く。
「この地より南のヴァレリアという街に昔と変わらぬ輝きで保管されている」
「水の都と名高い街にあるとは流石というべきか。なるほど、道理でヴァレリアは一年中水が枯れることも無く凍ることも無い訳ですね。聖杯の力だったわけですか」
「うむ。しかし聖杯は選ばれた者にしか扱う事が許されないのだ。今日まで何十人と候補者を送り込んだのだが、皆その資格はなかったようだ」
「そうですか。それで私をお呼びになったわけですね」
「おぬしならきっとこの地を救ってくれるだろうと信じている」
「私のような若輩者を買いかぶり過ぎです。どこまで期待に添えるか解りませんが尽力致します」
「フォレスト殿、かたじけない」
「いえ。それより猊下、そろそろ暖をとらせて頂いても良いでしょうか?私の姫君が凍死しそうなので」
 フォレストは苦笑しながら、横でずっと震えを我慢している姫を気遣って言った。
「これは申し訳ない。すぐに部屋を用意させよう」
 法王の指示で、白い法衣に身を包んだ女性の先導で程よく暖められた部屋に、二人は案内された。
 侍女が立ち去ると姫は不満げに賢者に言った。
「誰が凍死寸前なのだ」
「誰でしょうねぇ〜」
 言いながらフォレストは姫の手を取る。
「…氷のように冷たいじゃないですか。凍傷にでもなったらどうするんです。こんなになるまで我慢して…」
 フォレストは呆れたように言って、一回り大きいその手で姫の両手を優しく包み込む。
「貴殿の手が暑苦しいだけだ」
 と言ったものの、フォレストの手から伝わる温もりが気持ちよくて、姫は手を振りほどこうとはしなかった。
「そうですか、出すぎた真似を致しました」
 フォレストはパッと姫の手を放す。とたんにひんやりとした空気に寒気を覚える。
「あっ…」
 そして、心をよぎる一抹の寂しさ。
「あの…フォレスト…」
 姫は弱々しい声で自分の守り手の名を呼ぶ。
 どうして、たったこれだけの些細な行為で自分はこんなに不安になるのだろう。
 だって今まではこんな簡単に放したりしなかった。私は彼を怒らせてしまったのだろうか。
「なんですか、姫」
 いつもの微笑みでフォレストは聞き返す。
「手を……握っていてほしい…」
「え?よく聞こえませんでした」
「手を、握っていて欲しい」
 少し大きめの声で言う。
「なんですって?もう少し大きい声でお願いします」
「手を握っていて欲しい」
 姫は先程より更にもう少し大きな声で言ったのだが。
「窓の音がうるさくてよく聞こえませんが」
 姫は更に大きい声で言った。
「手を握っていて欲しい」
「手を、なんですって?」
 フォレストのしつこい問いに少々腹が立ってきた姫は怒鳴るように言った。
「だから、さっきから手を握って欲しいと言っているのだっ!」
 するとフォレストは満面の笑みで答えた。
「はい、よく出来ました」
 そこに至って初めて自分がからかわれている事に、姫はやっと気がついたのだった。
「なっ!わ、わざと聞こえないふりをしていたのか!」
 姫は細い眉を吊り上げて賢者を睨んだ。尤も効果はないのだが。
 そんな姫を尻目にフォレストはとても楽しそうにこう言った。
「だーって姫からこんなお願いされるのって滅多にないですし。どうしても私に手を握って欲しいみたいなので、握って差し上げます」
 どうしても、の部分を強調するのも忘れない。
「もういいっ!」
 姫は頬を薔薇色に染めて拒絶した。
「いいのですか。では遠慮なく握らせて頂きますね」
 フォレストはにっこり微笑んで姫の手を両手で包み込んだ。
「そっちのいいではなく、要らんと言ったのだ!」
 姫はフォレストから離れようと一生懸命、手を振りほどこうとするのだが、意外にもびくともしない。
「姫ったら照れちゃって可愛い」
 よくよく考えてみれば、フォレストがあんなにあっさり引き下がるはずが無かったのだ。
 今までの彼の数々の所業を見てきたのに今ひとつ認識が足りなかった。
「こんなに冷たくなる迄我慢しなくても、ひとこと言ってくだされば途中途中で暖をとりましたのに」
 フォレストは姫の手を血行が良くなるように揉みほぐしながら言った。
「こんな非常時にのんびりとそんな事をしてられないではないか」
「それとこれとは別です。私の最優先事項は姫ですから」
 言いながら、フォレストは少し温まってきた姫の手の甲に軽く唇を押し当てる。
「まっ、またそういう事をなにくわぬ顔で…」
 不意に口付けられた事もあってか姫は動揺を隠せない。
「靴も脱いで下さい。もう指先の方は感覚さえないのでしょうから」
「わかった」
 姫はベッドの上に腰を下ろし、編み上げされた靴の紐を解いていく。雪で湿っていた為中々上手く解けない。
「貸して下さい」
 見かねたフォレストが器用に紐を解いていく。あっという間に靴を脱がされ足が露わになる。
 ほぼ陽に当たることの無い足は雪のように白く、華奢なものであった。
 あまりにも華奢な足を見てフォレストは一瞬たじろいだ。
「ううむ、触られている感覚もないぞ…」
 フォレストが丁寧に丁寧に血行を解すように姫の足を揉みほぐしていく。
「そうですか?かなり強く押してるんですけどね」
「そうか」
 ふと窓の外を見ると雪が先程より多く降っていた。夜になれば更に冷え込むだろう。
 また足が冷たくなってしまうな…せっかくフォレストが温めてくれているのに。
 自分だって寒いのに、良くこんな冷たいものに触る事が出来るよな…。
 どうしてフォレストはこんなに私に過保護なんだろう。やっぱり私が王女だからなのか?
 それとも…茨の刻印を宿しているからなのか。
 雪が辺りをうっすらと白に染め上げた頃、じわじわと足に感覚が戻り始めてきた。
 何だか少しくすぐったい。
「だいぶ温まってきましたね」
「うむ。ってフォレスト、くすぐったいぞ」
「あー、くすぐってるって解りました?」
「本当にくすぐってたのか…」
 姫の言葉に賢者はにっこりと微笑んだ。
「お陰でだいぶ楽になった、ありがとう。貴殿は寒くないのか?」
「寒いに決まってます。でも心は温かいですよ。姫と二人きりですしね」
「…ばか者…」
 賢者の言葉に姫は照れ隠しか、そっぽをむいてしまった。
 手足だけでなく顔まで熱くなってしまったようだ。
「寒くならない内にお風呂を済ませてきてはいかがですか?」
「そうだな。では、ちょっと行ってくる。貴殿もちゃんと温まるのだぞ。風邪など引かれたら大変だからな」
「なるほど、その手がありましたね」
「え?」
「私が風邪を引いたら姫に看病して欲しいですねぇ〜」
 フォレストは何かしら勝手に想像してうっとりした表情で言った。
「…苦い薬を大量に飲ませてやろう。では、また後でな」
「姫のいけず〜」
 フォレストは一人寂しくその場に残されたのだった。
 そして、聖地の夜(といっても白夜なので日は沈まないのだが)は、只ただ静かに透明な張り詰めた空気の中で過ぎていくのであった。



TO BE CONTINUED...
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*神聖魔法の表記が決まらず英語(苦笑


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