「どうぞ」
部屋に戻ると、フォレストが水を用意してくれた。
「ありがとう」
姫は軽く水を口に含む。
「いきなりの事でびっくりしたでしょう。姫に危害が及ばなくて良かったです。しかし、一刻も早く依頼を済ませてここから去った方がいいですね」
「ん?」
何故だ、と姫は瞳で訴えた。
「この城には、先程の騒ぎで解るとおり謀反を企んでいる者がおりますから。危険です…」
それに、と賢者は口に出さず心の中で思う。
あの王の側にいつまでも姫を置いておきたくない、と。
「でも、陛下はずっと命を狙われたままなのだろう?何か私達に手伝える事はないだろうか?」
「これは、シャルキーヤ国内の問題であって私達が無闇に関わる事では無いかと。厳しい言い方かもしれませんが、自らの身辺整理も出来ぬ者に王たる資格は無いかと存じます…」
「フォレスト…その言葉。多少、耳に痛いぞ…」
「え?」
フォレストは少し驚いた表情で言った。
「私は、ここでは全くの無力だと思い知らされた。貴殿がいなければ、この国の民と会話すらまともに出来ぬ。貴殿のように機転も利かぬし、聡明でもない。魔力しか役に立たない人間なのだと…」
本当に。ここでの私は人より魔力が多いだけの、只のか弱い娘だ。
今になって思う。自分などが魔狩人になるなどおこがましいにも程があるのではないか。
この莫大な魔力も、己の精神的弱さの為に行使出来なくなる事もある。
何故、「茨の刻印」が私に宿ったのか…フォレストの様に名実共に兼ね備えた者にこそこの刻印は相応しいではないか…。何故…私なのだ…。
それは、姫が今日まで自問してきた解けない問いであった。
フォレストは俯いたまま黙り込んでしまった姫の隣に腰を下ろす。
「貴方には唯一無二の魔力が宿った事がプレッシャーになっているんですね。それは貴方が刻印の重大さをきちんと把握しているという事です。何も気に病む必要はありません」
そう言ってフォレストは姫に優しく微笑みかける。
「そう、だろうか…?」
姫の問いに賢者は笑顔で肯定する。
「もし、心無いものに刻印が宿っていれば世界は破滅の道を辿るでしょう。私はこの力が姫に宿って良かったと思いますよ。それに私がついてますから大船に乗った気でいればいいんです」
「そう、か…」
言い終わらない内に、姫の菫色の澄んだ瞳から涙が零れ落ちた。
「すまぬ。異国の地に来て精神状態が不安定なようだ…」
フォレストは姫の頭を優しく自分の胸元に引き寄せた。
今日までずっと、この姫は一人で悩んできたのだろう。自分でも持て余すほど強大な魔力をその身に宿している事に。
その誇り高い心と強情さ故に、誰にも弱音を吐くことも出来ずに。
刻印が宿った事の賞賛ばかりで、姫の苦悩に気付く者はいなかったのだろう。
「大丈夫ですよ…」
フォレストは優しく姫の頭を撫でている。
その手があまりにも優しくて、姫の瞳からは自分の意思とは関係なく後から後から涙が溢れて止まらなかった。
不思議だ。この人は、いつも欲しくてたまらない言葉を私にくれる…。
そうして、フォレストは姫が泣きつかれて眠りに落ちるまで、その頭を優しく、あやすように撫で続けていたのだった。
* * *
翌日。
姫と賢者の二人は、ジェイドの先導で魔族が出没するという北の遺跡付近にやってきていた。
足場が悪いので、フォレストがずっと手を引いてくれているのだが、どうにも気恥ずかしい。
不覚だった。私としたことが、あの程度で泣いてしまうとは。
自分より一回り大きな手。この手が眠りに落ちるまで自分を撫でていたのを覚えている。
暖かくて優しい手。
「うわっ」
考え事をしながら歩いていたら、地中から飛び出している石に気付かず転びかけた。
「大丈夫ですか」
バランスを崩した姫を難なく支え賢者は微笑んだ。
「これくらい平気だっ」
自分の予想に反して言い方がきつくなってしまった。それでもフォレストは、にこにこと微笑んでいるのだが。
「お姫様だっこした方が手っ取り早いんですけどね〜」
「ば…っ、そんな恥ずかしい事出来るかっ!」
姫は居心地が悪いので、前方を歩く王に話題を振る事にした。
「そういえば、陛下。昨日の女装した踊り子の件はどうなったのですか?」
「ああ、あれか。魔族に操られていたらしい」
振り向かずにジェイドは言う。
「どう見ても正気じゃなかったから、みぞおちに一発ぶち込んでみたら口から使い魔を吐きやがったのさ。踏み潰したら砂になっちまったけどな。全く頭にくるぜ。俺の民をコケにしやがって」
ついでフォレストが口を開く。
「陛下、今、砂になったと…おっしゃいましたね?魔晶石は残らなかったのですか?」
「ああ、砂だけだ。それがどうかしたのか、蒼の賢者」
「使い魔であろうと、仕留めれば後に魔晶石が残る。これだけは自然の摂理です」
「何が言いたいんだ、フォレスト」
「おそらく、この魔族は少なくとも中位の者。使い魔、正しくは自分の魔力の一部を送り込み操る事が出来るのでしょう。魔晶石が残らないという事はそう考えて間違いないかと。そして…」
「使い魔を潰された事で、そいつに魔力が戻り俺の暗殺が失敗したって事が解った訳だな」
フォレストの言葉を引き継ぐようにジェイドは言った。
「ええ。ですから陛下はお戻りを。案内はここ迄で結構です」
フォレストは静かに言った。
「ふん、面白い冗談だな。蒼の賢者」
ジェイドは立ち止まる。
「陛下の身が危険だと申し上げているのです。無闇に魔族が出現する場所に近づかない方が良いかと」
「阿呆、カリスみたいな事抜かしてんじゃねぇよ。どっちみち、その中位魔族だか何だか知らんが、そいつを仕留めない限り命狙われたまんまだろーがよ。お前達二人も危険な事に変わりはない」
「それが私達の仕事ですから」
「引かねーぞ、俺は。奴らにはきっちりオトシマエつけてやらねーとな。大体、王である俺が魔族を目の前にして引き下がれるか!」
ジェイドは正面からフォレストを見据える。
「…全く、姫といい陛下といい、王族には強情な方が多いんでしょうかね。解りました。後から恨み言は受け付けませんよ、陛下」
「望むところだ」
ジェイドはニヤリと笑った。再び歩みを進める。
「――――『炎の魔剣アルシェイド』の力も見てみたいですしね」
フォレストはジェイドの腰に下げられた、黒い鞘に収められた曲刀に目をやる。
「ほう、知っていたか」
「さわり程度には…」
「魔剣だったのか。初めて見る」
姫は生まれてこの方、魔剣を見たことが無かった。無理もない。魔剣事態希少な物であり、滅多にお目にかかれないのが常である。
「大した事ぁねーよ。剣の中にペットが居るってくらいでな」
「ペット…」
大した事あると思うのだが。それってつまり、剣に何かが宿っているという事になるのでは。
姫はまじまじと魔剣を見つめながら思ったのだった。
「炎の精霊、サラマンドラが宿っているのですよ」
すかさずフォレストが解説する。
「サラマンドラって、あの触れただけで大火傷するっていう、あれか!?」
姫は動揺を隠せない。そんな伝説上の生き物の名をこんな身近に耳にするとは思ってもいなかった。
「そんな大したモンじゃねーよ。只のでっかくて赤い火トカゲだ」
ジェイドにかかると炎の精霊も火トカゲ扱いになるようだ。
「と、着いたぜ。この辺だ」
ジェイドの言葉に、辺りを見回すと数多くの魔晶石が散在している。おそらく数百個単位であろう。
「んー今日はまだ沸いてないみてーだな、下位魔族は」
前方を見渡せば、どこまでも砂の海が広がっているのみだ。風一つ吹く事無く辺りは静寂に包まれていた。
ジェイドは黒い鞘から深紅の刀身をすらりと引き抜く。
「もし、現れたら気をつけろよ。保護色なばかりか砂ん中に潜ってたりするからな」
「解った」
ジェイドの言葉に姫は警戒心を強める。
ふと、砂埃が舞い上がる。
次の瞬間、信じられない光景が広がった。
「なっ…なんだこれは」
姫は驚嘆の声を上げる。
その眼前には数十匹の砂色の体をした、蛇のような生き物が出現していたのだった。
「どうやら歓迎されてるみてーだな。宜しく頼むぜ、相棒」
ジェイドの言葉に反応するように赤い刀身が輝きを増す。不敵な笑みを浮かべ彼は剣を身構える。
「姫、心してください」
「うむ」
フォレストの言葉に、姫は魔力を解放していく。姫の周囲は瞬く間に薄紅水晶色のオーラで包まれる。
「先手必勝ってか」
ジェイドは一番近くにいた砂色の魔族に一撃を浴びせた。すると、剣にまとわりつくように炎が現れていて、攻撃を喰らった魔族を中心に数匹の魔族へ、炎が意思を持っているかの如く分かれていった。
その炎を浴びた魔族は一瞬で魔晶石へとその姿を変じたのである。
「凄まじい破壊力ですね…」
フォレストの言葉にジェイドはフン、と鼻をならした。
「ま、これくらいの雑魚なら数分で片付くからそこで傍観しててくれ」
そう言う間にも次々に炎に焼かれて魔族達は魔晶石へ変化を遂げていく。
しかし、それだけでなくジェイドの剣捌きも目を見張るものがある。実に無駄の無い流れるような動きで、けれど正確に急所を突いている。
「はい、終了」
息一つ乱さず全ての魔族を倒し終えると、ジェイドは剣を鞘にしまう。
「あっけなさすぎますね…」
フォレストがそう言い放った瞬間。
砂の礫が姫めがけて砂中から物凄い勢いで放たれた。
しかしそれが姫を貫く事は無く。例によってフォレストの結界に阻まれていたのだった。
「ソレを返せ、小娘」
どこからともなく聞こえる声。それは少し次元を隔てたような女性の声であった。
姫は声の主を確かめようと辺りを見回すが、それらしい者はおらず。
「姫、あそこを」
そう言って、フォレストが指差した先は。
先程、砂の礫が飛んできた辺りで。徐々に砂が盛り上がってきている。やがてそれは大まかな人型を取り、美しい女性の姿へと変化した。
その肌も瞳も髪も、全てが砂色の美しい女性。しかし、彼女の纏う空気は尋常ではない。
明らかに人と異なる、禍々しい空気をその身に纏っていた。
そして、彼女はもう一度、感情のこもらぬ冷たい声で言った。
――――――――ソレを返せ、と。