「茨の刻印」・8




 フォレストは細長くしなやかな指で、姫の華奢な顎を取る。
 彼の青い瞳にはどことなく憂いの色が浮かんでいる。
「ちょ、フォレスト」
「動かないでください。消毒します」
 姫は落ち着かず視線を戸惑うように辺りに彷徨わせる。
 そういえば彼をこんな間近で見るのは初めてだ。
 海のように深く青い瞳に銀色の睫毛が影を落としている。適度な高さを持った鼻はすっと筋がとおり、厚くも薄くも無い唇はほどよく引き締まっていた。
 男の人を綺麗と感じるのは、失礼な事なんだろうか?
 それに、何だか鼓動が早まってるのはどうしてなんだろう。
「消毒って、何を?」
「……思い出すだけでムカつきます…」
 そう言うと、賢者は姫の左頬を濡れた布でごしごしと力強く拭いたのだった。
「痛っ、痛っ、痛いぞフォレスト!」
「ちょっとくらい我慢なさい。薄皮が一枚むけるくらいには拭かないと!全くもって許せません。私より先に…いえ、王が姫にキスした事が問題なのです」
 それはそうだが、こんなに怒るフォレストは初めて見た。
「悪気があったわけではないのだから、そんなに怒らずとも良いではないか」
「…では私が今ここで姫にキスしてもよろしいのですか」
「なっ!何故そうなるのだっ」
 姫は頬を薔薇色に染め、フォレストの手を取り払った。
「そんな警戒せずとも何も致しませんよ。いつ人が来るかも解りませんしね」
 姫はため息をつくと、長椅子に腰を下ろす。
 二人が通された部屋は白い岩の壁で出来ており、床には豪華な刺繍が施された絨毯が敷き詰められていた。
 二人をもてなすにはあまりにも広すぎて、豪華な部屋であった。
 柱や机なども大理石をそのまま削って華美な装飾を施したものばかりで、シャルキーヤの豊かさを象徴していた。
 フォレストがぽつりと呟く。
「姫が一番良くご存知のはずです。我が王家の口付けの重要さは」
「解っている…」
 王族のキスは神聖なもの。重要な儀式があるときにしか行われない、神の意思の代行であり象徴でもある。遥か昔から続いてきた汚してはならぬ伝統。
 儀式以外でそれが許されるのは、生涯の伴侶を得た時のみである。
 それ以外でこの行為を行えば不貞の烙印を押される事になるのだ。
 それほど王家のキスは神聖なものとされているのだ。
 それは、愛という概念を最も重要視しているからでもある。
 他国が一夫多妻制という所が多い中、この国、イルアーナだけは昔から一夫一婦制を通しているのである。
 生涯の伴侶意外とキスを行わないという誓約は、二人を縛る愛の鎖でもあるのだ。
「最悪の事態にならなければ良いのですが…」
 フォレストはこの先予想できる幾つかの良くない未来を憂え、痛々しい表情で言った。
「え?」
「只の戯言です。忘れてください」
 賢者はいつものように笑顔を作った。
「貴殿はいつも訳の解らない事ばかり申しておる。私を子供だと思って馬鹿にしているのか?」
 姫はむすっとして言った。
 フォレストは姫の前へしゃがみこみ、姫の手をとって言った。
「我が姫をどうして子供扱い致しましょうか。私はただ、いつも貴方を大切に思っているだけです」
「解っている…」
 アイアリアの時もいつも一足先に危険を察知して、回避してくれていた事でもそれは明白で。
 だけど、いつも肝心な事は何一つ話してもらっていないような気がして。
 時々。フォレストはとても優しくて、それでいて少し悲しそうな瞳で自分の事を見ている事があるのだ。何か言いたそうにしているのに、聞いても「なんでもありません」と答えるだけで。
 ふいに、フォレストが立ち上がった。
「気分転換に少し外を歩きませんか?魔族の現れた現場へは明日行く事になってますから。姫も珍しい国に来て色々見て回りたくはないですか?」
「い、行くっ! 行きたい」
 姫は十七歳らしく瞳を輝かせる。ここへ着く前からずっと街中を歩いてみたいと思っていたのだ。
 さっそく外へ出ると、フォレストがヴェールを持ってきた。
「日差しが強いですからね。それにここでは私達は目立ちますから」
 フォレストも頭に長い布をかぶって細い紐のようなもので頭の周囲を囲み固定している。
 姫は頷いてヴェールを頭を覆うように被る。
 特に目的地も決まっていないので、二人は通りを適当にふらつく。
 行き交う人々は皆活気に溢れていてとても元気だ。笑うと褐色の肌に白い歯がとても眩しい。
 異国の者が珍しい子供達は遠慮なく二人をまじまじと見つめてくる。姫がにっこり微笑むと、子供達は照れて走り去ってしまった。
「フォレスト、グランド・バザールという所に行ってみたい」
「解りました。ここからも近いですしね。うろ覚えですが昔と配置が変わってなければ解ります」
 言うとフォレストは姫の手を取り歩みを進めた。
「ここにも来た事があったのか。貴殿は本当に物知りだな」
「賢者ですから」
 フォレストは優しく微笑みかける。
 二人の様子を見ていた通りすがりの店の主人が、こちらへ何か言ってきた。すると賢者は嬉しそうに笑顔で何か言い返した。
「フォレスト、今何と言っていたのだ?」
 謁見の時は皆、共通語を使っていたので意味が解ったのだが。流石にこの国の民まで共通語が話せるわけでもなく。学者や貴族、魔法使いの家系でなければ他の語学などまず学ぶ事もないのである。当然自国の言葉を使うわけで。
「どうやら私達は恋人同士に見えるようです」
「なっ!」
 姫の頬が一気に赤くなる。賢者はくすくす笑いながらも、入り組んだ路地を迷う事無く歩いていく。
「その…それで貴殿は、何と答えたのだ?」
 姫は賢者と目を合わせるのが恥ずかしいのか、顔を斜め下に逸らして尋ねた。
「頬にちゅっvてしてくれたら教えてあげてもいいですよ」
 フォレストは悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。
「…意地悪だ。私が出来ないと解ってて、いつもそういう事を言う…」
 悔しいので軽く賢者を睨んでやった。
 それなのに。
 目の前を行く賢者は声を上げて笑ったのだ。無礼な。
「もう〜姫ってば可愛い〜v」
 私は怒っているのに、何故彼はこんなに楽しそうなのか。もしかして、私の機嫌を損ねる事に楽しみを見出してる訳ではあるまいな?
 などと考えている内に大広場に出てきた。
 大広場は数え切れない程の鳩と人で賑わっている。ところ狭しと露店が立ち並び活気と喧騒に満ちている。
「ここがグランド・バザールです。民の間では『屋根付き市場』と呼ばれているようですね」
 なるほど、フォレストの言葉どおり、全ての店を覆うように巨大な屋根が付いている。それは何十本という柱に支えられていた。
 露店といい、並ぶ品々の豊富さといい圧倒的な量で姫は軽いカルチャーショックを受けたのだった。
 果物一つとっても、箱詰めされたみずみずしい物が十箱ほど並べられていたりする。チェリーにイチゴ、リンゴ、バナナ、スモモ、オレンジなど様々な種類が豊富に揃っている。
 それ以外には、宝石などの貴金属や骨董品、絨毯、皮革製品、陶器、銅細工、衣類、鞄類等々、多種多様にわたる。
 適当に露店を巡っていると、ふと、姫が立ち止まる。立ち止まった先は銀細工がたくさん並べられていた。
「何かお気に召したものがありましたか?」
「気に入ったわけではないが…何故か気になる…」
 そう言って、姫は数ある銀細工の中から、ブレスレットを手に取った。
 蔦のような模様が掘り込まれ、一箇所だけ黄水晶がはめ込まれている。一見特に何も変わったところは見受けられない。
 特に気に入った訳でもないのに、姫にはどうしてもそれを手に入れなければならない気がした。
 あまりにも姫が熱心にブレスレットを見詰めているので、フォレストは姫の為にそれを買った。
「それほど気になるのなら姫がお持ちになるのが良いのでしょう」
「すまない。恩に着る」
 フォレストは姫の左手首に銀のブレスレットをはめてやった。
 その後二人は適当に街中を彷徨い、夕刻には城内へ戻ってきたのだった。

*          *          *


 部屋へ入ると、数名の侍女達が待ってましたとばかりに二人を取り囲んだ。
「な、何だ?」
 姫が不安そうに問うと、侍女達はこう言った。
「陛下が歓迎の宴を開くとおっしゃいましたので、お召しかえを」
 数刻後、異国の衣装に身を包んだ姫と賢者の姿があった。
「…これは、これは…姫は何を着ても似合いますねぇ。とても…綺麗です」
 フォレストはお世辞ではなく心の底からそう思った。
 裾広の袖の上着に華麗な装飾を施されたドレスがとても良く似合っていて。そのドレスの上からは幾重もの薄い長衣が羽織られており、姫の繊細さを引き立てている。
 頭上にはティアラと一体化した薄いヴェールが飾られていて、まさに異国の姫君といった感じであった。
「そういう貴殿こそ、陛下よりよっぽど王様らしく見えるぞ…」
 側近が着ている服と同じような物なのに、着る人間が違うとここまで違って見えるものなのか。
 見知らぬ者に王だと名乗ってもばれない気がするぞ、フォレスト。
 コンコン、と扉を叩く音がした。
「宴の準備が整いましたのでおいでください」
 侍女達が入り口で出迎える。
「お腹も好いた事ですし、行きましょうか、姫」
「うむ」
 差し出された賢者の手を取り、姫は部屋を後にした。

 姫と賢者の二人が宴の場に現れると、どよめきが起こった。
 おとぎ話から抜け出してきたような美しい二人組みに誰もが目を奪われ感嘆の声を漏らしたのだった。
 その場に居た男達は可憐な姫にうっとりと見惚れ、女達も品の良い賢者に見蕩れていた。
 部屋の奥の真ん中の大きな柔らかそうな座椅子に王はゆったりと腰をすえ、胡坐をかいている。
 姫と賢者の二人は、王の右隣へ案内された。
「見違えたぞ、ティナローザ」
 姫が腰を下ろすなり、王――ジェイドは言った。とても上機嫌である。
「お褒めに預かり光栄でございます」
 姫は至極冷静に答える。
「もう少し砕けた物言いをしてくれた方が嬉しいんだがな。まあ、いっか。主役が揃ったところで、そろそろ始めるとすっか」
 王は酒の入ったグラスを手に持ってすっと立ち上がり、言った。
「今夜は異国の姫君を歓迎して、宴の場を設けた。皆心から楽しんでくれ。ちっとくらいなら無礼講も構わんぞ。乾杯!」
 あちこちでグラス同士がかち合う音が聞こえる。皆思い思いに酒を飲み、用意された料理に手をつける。場の中心では踊り子が衣をなびかせ舞っている。
 ふと、ジェイドは姫の手首につけられているブレスレットに目がとまる。
「随分シンプルな物を身に付けているな。望むならもっと良い物をやるぞ?」
「いえ、これは少し訳があって…フォレストに買って貰ったのです」
「どれ」
 ジェイドは姫の手を取りまじまじとブレスレットを見つめる。
「柔らかいな…」
 そう言ってシャルキーヤの王はその手にキスをした。思わず姫はびくついた。
 それを見ていたフォレストは王から姫を引き剥がすように、自分の方に抱き寄せた。
「僭越ながら、陛下。あまり軽々しく姫に触れなきよう」
「蒼の賢者ともあろう者が嫉妬か?」
 ジェイドは含み笑いをしながら言った。
「私の事をご存知とは光栄ですね」
 対するフォレストも薄い笑みを浮かべている。
「イルアーナでは身分違いの恋はご法度だと聞いているが?」
「失礼ながらおっしゃってる意味が解りません。私は賢者として姫をお守りしているだけです」
「それにしては随分過保護な気がするが」
「陛下におきましては昼間の件がございますれば。私も慎重にならざるを得ません」
 お互いに一歩も譲らず、笑いを浮かべたまま二人は睨みあっている。
 間に挟まれた姫はどうして良いのか解らず、とりあえず適当な言葉を紡ぐ。
「ほ、ほら、フォレスト。踊り子が綺麗だぞっ」
 姫の言葉に賢者は何事も無かったかのように王から視線を逸らし、踊り子に目をやる。
 彼にとっては王よりも姫の方が最優先事項だからだ。
「ええ、綺麗ですね…おや?」
「どうかしたのか?」
「いえ、なんでもありません。おそらくそういう趣向なのでしょう」
 踊り子はひらひらした薄い衣を幾重にも纏っていて傍目には解らないが、フォレストには女装の男性だと解ってしまったのだった。
「飲み物のおかわりは如何ですか?姫」
「うむ、お願いする」
 そして、宴もたけなわとなり皆がほろ酔い気分になってきた頃。
 ヒュッ! と何かが空を切る音がし、続いて皿が割れる音が響いた。
 そして、その側には短剣が落ちていたのだ。一気に場の雰囲気が緊張に包まれた。
「あの踊り子です! 逃がさないでください!」
 フォレストは素早く指示を出す。控えていた衛兵たちが踊り子を追いかけていった。
「借りが出来たな」
 ジェイドが言った。賢者は踊り子が自分に向けて放った短剣にいち早く気付き、とっさに料理皿を投げてそれを塞いだのだ。
「女装の踊り子がいるのは不自然だと思っていましたので…陛下が無事でなによりです」
「流石は蒼の賢者と言ったところか。とりあえず礼をいう」
「恐悦至極に存じます」
 賢者は王に頭を垂れた。
 ジェイドはさほど驚いた様子も無く、ふう、と短いため息を付いて言った。
「なにやらきな臭い匂いがするとは思っていたが、まだ謀反を企む輩が居たとは驚きだ。なあ、カリス?」
「なあカリスじゃありませんよ、全く。呑気なんですから」
 王の右腕的存在のカリスもさほど慌てた様子も無く答える。王が王なら臣下も臣下である。
 全く慌てる様子が無い。むしろ慣れているといった感がある。

 こうして、怪しい雲行きのまま二人を歓迎する宴はお開きとなったのである。



TO BE CONTINUED...
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*緊張感の無い王と側近(苦笑



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