「全くキリがねーな…」
少し苛立ちの混ざった低い声で男は言った。彼の足元には魔族の残骸が転がっている。
男が剣を鞘に戻そうとした、その時。
青年の背後、砂中から砂色の魔族が飛びかかってきた。
しかし、彼は振り向かずそのままの体勢で後ろに剣を薙ぎ払った。
魔族はあっけなく上下に両断され、ぼとりと砂の上に落ちた。
「小賢しい真似してんじゃねーよ、クソ魔族が」
青年は鷹を思わせる鋭い瞳に侮蔑の色を浮かべ、吐き捨てるように言った。
彼の髪は血のように赤く腰まで垂れていて、剣士の様な姿をし、頭にはターバンと呼ばれる長い布をぐるぐる巻きにしている。そして手にしている剣は普通の剣ではなく、刀身の反り返ったファルシオンと呼ばれる曲刀であった。
「只でさえクソ暑いのに余計な運動させやがって」
それもそのはず。この地はサンクリット大陸の遥か南、砂漠の国シャルキーヤである。昼間は摂氏五十度近くにまで気温が上がり、夕刻には十数度にまで下がる。
この青年にも顕著に現れているが、国民の肌は褐色で他国の者より総じて体が大きめである。
シャルキーヤは油田に恵まれ、その収入により大変潤っている大国であった。
しかし、この大国の王は若干二十三歳であった。が、その政治手腕は特筆すべき物であり、気さくな人柄もあいまって民からの信頼もとても厚かった。
ふと、青年の後ろで誰かがため息をつく音が聞こえた。
「まもなく会議が始るというのに、いらっしゃらないと思えばまたこちらにおいででしたか」
青年より赤味の少ない茶色の髪の男性が、呆れたように言った。
青年はそれに反応して鼻で笑った。
「また遅刻記録が更新されそうですね…確か次で五十四回目です」
「てめーいちいちそんな事数えてんのかよ、相変わらず根暗な奴だな」
青年は竹を割ったようにからからと笑った。それに相手の男性は少し気分を害したようだ。
「ジェイド様。いくら貴方がお強いとはいえ、その御身は貴方だけのものではないのですから。もしもの事があったらどうなさるおつもりですか」
「そん時ゃ、お前が王になれ!それで問題なしっ!」
そういってジェイドと呼ばれた青年は豪快に笑ったのだった。
「冗談でもそのような事おっしゃらないでください、『陛下』」
ジェイドの眉がぴくり、と引きつった。
「陛下って呼ぶなつってんだろーが!堅っ苦しいのは嫌いなんだよ」
そう、他でもないこの赤い髪の青年こそが、大国シャルキーヤの若き王ジェイドであった。
「どうやら王としての自覚が不足しているようですので」
「ちっ。文句があるなら魔族に言いやがれ」
それにしても。とジェイドは思う。
最近の魔族のこの異常な多さは一体どうしたというのだろう。一掃してもまた数日後には砂色の魔族がはびこっているのだ。どこかに巣でもあれば叩き潰してやるのだが皆目見当がつかない。
「お前はこの事態をどう考える?」
王は従者に問う。
「やはり専門家に任せるのが一番かと…」
「やっぱ考える事は一緒か。この会議が終わり次第、至急、螺旋宮に連絡を取れ」
「御意」
満足げに従者は王に向かって恭しく頭を垂れたのだった。
* * *
「なんなのだ、先程から…」
姫は不快さに耐えられず声を漏らした。
「どうしました、姫」
「なにやら、行きかう者達が私達をじろじろ見ている気がするのだが」
そう、螺旋宮に足を踏み入れてから目に付く者すべてに見られているのだ。
自分は何か悪い事をしてしまったのだろうか?
「当然と言えば当然ですね」
フォレストには解っているらしい。
「…説明を要求する」
自分だけ解らないのは何だかとても悔しいのである。
「この間のアイアリアの件があったでしょう。その噂があっという間に大陸全土に広がったせいで、姫は一躍時の人となったというわけです。それほど、アイアリアを救った功績は大きかったのですよ」
アイアリアが平和になり、再び鉄の流通が始ると国の財政も潤うのだ。
「そうだったのか…」
「加えて、ここ螺旋宮で五人居るか居ないかと言われる、とても希少な金位の魔狩人ですしね。さながら天然記念物といったところでしょうか」
フォレストはくすりと笑う。
それに、こんな可憐な少女が魔狩人であるというのも注目を浴びるには十分であった。
柔らかそうな薄い桜色がかった滑らかな肌に、明け方を思わせる菫色の澄んだ瞳。
紫銀の長い髪は歩くたびにさらさらと揺れ、甘やかな香りを放つ。
小さめの桜色をもう少し濃くしたような唇からは、鈴の音を鳴らすような声が発せられる。
体つきも同じ年頃の娘と比べると、とても華奢な方である。
男なら誰でも守りたいと思わせる雰囲気が姫には漂っていた。
そうこう言っている間に二人は螺旋宮の統括者、フォルゼンの部屋へ到着した。
室内へ入ると、フォルゼンが正面を向いて座していた。
「お呼び立てして申し訳ない。急な依頼が入ったのでな」
かけたまえ、と促され二人は応接用の椅子に腰掛ける。
「それは構わないが、急な依頼とは何なのだ?」
姫が尋ねると、フォルゼンは申し訳なさそうに語り始めた。
「さっそくで悪いのだが、南のシャルキーヤまで行ってもらいたい。最近頻繁に魔族が出没して手を焼いているらしいのだ。まだ経験の浅い姫に遠くまで出向かせるのは心苦しいのだが…向うからのたっての願いなのでな。私も無下に断ることは難しい」
何故なら、大国シャルキーヤは螺旋宮の後援者の中でも一番大手だからだ。螺旋宮の運営はもちろんボランティアではない。各国の共同出資によってまかなわれており、シャルキーヤはその半分近くを提供しているのだ。
「それは、シャルキーヤが姫を指名してきたという事ですか?」
「ああ…あそこの王は好奇心は人一倍だからな」
賢者には、何故シャルキーヤが姫を指名してきたのか解ってしまい、不機嫌になった。
アイアリアの一件を聞きつけた王は、茨の刻印を持つ姫に興味を持ったのだろう。
王という立場上、安易に国を離れる事が出来ない為、他にいる金位の魔狩人には目もくれず姫を指名してきたのだ。
「この貸しは高いですよ、フォルゼン」
珍しく賢者から笑みが消えている。
「解っている…」
場の空気が重くなった。しかし、姫にはその事が解らない。
「二人とも黙りこくってどうしたのだ?早くシャルキーヤへ行った方が良いのであろう?城へ戻るぞ、フォレスト」
姫はすっと立ち上がった。
「姫…」
フォレストは躊躇いがちに姫を目で追った。そしてのろのろと立ち上がる。
「フォレスト?」
一体どうしたというのだ…。いつもなら、真っ先に行動するのに。
「そうですね、一度城に戻って支度してきましょう」
そう言ったフォレストは、もう、いつも通りの彼に戻っていた。
* * *
「ジェイド様、お願いですからどうぞお召しかえを…」
侍女達は心底困り果てていた。間もなく螺旋宮からの使者が来るというのに、いつもの剣士装束のまま、この大国シャルキーヤの主は長椅子に呑気に寝そべっているのである。
「めんどくせえの」
ついで、ふあぁと大きな欠伸をひとつ。品位の欠片も無い。
「謁見にまで遅刻すれば五十五回目になりますね。こちらから指名しておいて、遅れていくのは我が国の品位を疑われますのでご容赦ください。件の姫君は大変美しい方だと聞いております。そんな剣士同然の姿で謁見に望まれては姫もさぞ落胆なさる事でしょうねぇ」
「カリス様」
助け舟が出たことに侍女達はほっと胸をなでおろす。
カリスと呼ばれた青年は、王の側近の一人であり最も信頼されていた。唯一、王に対し何でも言える人間でもあった。
「姫、か…」
ジェイドは呟いた。
姫。なんと甘美な響きであろうか。風の噂では、透き通るような白い肌に紫銀の長い髪と菫色の瞳をした美しい姫だと聞いている。
「よし、着替えるぞ」
類稀な美姫に合うためなら着飾るのも悪くない。
それから数刻後、若き王は時間通りに謁見の間へと向かったのだった。
謁見の間は通称「青薔薇の間」と呼ばれている。
部屋全体が青で統一され、青色の薔薇をモチーフにした細かい壁画と文字のような美しい装飾が施されている。
自然の光がまんべんなく入るように設計された窓のお陰で、室内は淡い水色の光りに包まれている。
何て綺麗な部屋なんだろう。
姫は素直に感動した。今まで見てきた中でも最高と言っても良いほど繊細で、品が良く美しい部屋だった。
初めて訪れる外国で新しい事ばかりで新鮮だった。
ここに来るまでも見渡す限り砂、砂、砂。砂漠を見慣れていても、本場はやはり違うと感じさせられた。
それは住んでる民にも言えた。自分達とは全く異なる、日に焼けた褐色の肌と茶色の髪。皆随分と体つきも頑丈に見えた。皆、強い日差しから身を守るように、頭に布を巻いたりヴェールを見に着けたりしている。
「姫、王が来ましたよ」
フォレストの言葉に、慌てて頭を下に下げる。
王は鷹の紋章を象った豪華な椅子に腰掛け、一呼吸置いて言った。
「我がシャルキーヤまで、遠路はるばるご苦労であった。面をあげよ」
姫は言われるまま、ゆっくりと頭をあげた。
初めて目の当たりにするシャルキーヤの王は、王というよりも盗賊の首領が似合うと思った。
そして琥珀色の鋭い瞳が鷹のようだと思った。
「陛下におきましては、この度魔族の被害に遭われたとか……」
姫の言葉は途中から王の耳に入らなくなった。噂どおりの美姫を目の前にして王は言葉を失っていた。
ぼーっと見とれている間に、姫の会話は済んだらしい。慌てて彼は言葉を取り繕う。
「自己紹介がまだであったな。私はシャルキーヤの王、ジェイドと申す。そなた名は何と申す?」
「ティナローザと申します」
「ティナローザか。俺のことは陛下ではなくジェイドと呼べ。堅苦しいのは苦手だ」
「なっ」
先程までの威厳がなくなり、ジェイドは年相応にニヤリと笑った。
彼の横では、側近のカリスがしまったという風に右手を顔に当てている。
どうやらこれが、王の本来の性格らしかった。
ジェイドは玉座から立ち上がると、姫の方へ真っ直ぐに歩き出す。
ななな、なんかこっちに向かってくるのだが。
姫は予想外の王の行動に不安になる。尤も姫の表情は一見いつもと変わらないのだが。
ジェイドは姫の目の前に来ると膝をつき、その華奢な顎を捉える。王の背後で「へ、陛下っ!」と側近達の慌てる声が聞こえたが、本人には聞こえていないようだった。
「歓迎するぜ、ティナローザ」
そう言って、ジェイドは姫の柔らかな頬に唇を押し当てた。
ジェイドを除く、その場に居る全員が絶句した。いくら彼が堅苦しいのが苦手だとはいえ、このような出来事は初めてであった。
「これにて謁見終了とする!」
王は勢い良く立ち上がり、何事も無かったの如くその場から去って行った。
大変なのは後に残された者達である。皆、慌てて姫に駆け寄り、一様に王の非礼を詫びる。
しかし一通り謝罪を終えると、皆口々に、「やるときゃやるんですよ」だの「いざという時は本当に頼りになるんです」というような事を口にする。
性格に少し問題はあるが、臣下からとても好かれているのだなと姫にも解る。
「気にせずとも良い。次からは気をつけて頂ければ…」
正直とても驚いたが、必死に謝られると怒る気にもなれない。姫とは対照的に横にいる賢者は極寒の空気を纏っているが。
「本当に気をつけて頂きたいものですね。時と場合によっては忠告が指導に変わるかもしれません」
フォレストはにっこりと微笑んだ。
そして。
その場に居る全員が、凍った。絶対に怒らせてはいけない神の逆鱗に触れたのだと誰もが理解したのだった。