「茨の刻印」・6




 人の臓物のようにグロテスクな肌。それの目はギラギラとまとわりつくように、悪意と憎悪を二人にぶつけてくる。
 普通の人間なら恐ろしさのあまり、発狂するか、その場で気を失う事だろう。
 姫の精神状態もそれに近い状態にあった。
 下位魔族達は、フォレストの作った結界により阻まれ、結界を破ろうと鉄をあらん限りの力で投げまくっている。しかも数十匹の魔族がいっぺんに二人めがけて投げてくるのだ。
 鉄の集砲火が二人を襲っていたが、結界は非常に頑丈らしく傷一つつかない。
 こんなにも激しい悪意と憎悪を味わうのは人生で始めての事だった。魔族の激しい怒りが姫を圧迫していた。
 攻撃が当たらない怒りからか、下位魔族達は更に咆哮をあげる。醜い表情がますます醜悪になり非常に見目怖ろしい。
 姫の顔面は蒼白、呼吸が浅くなり、額からは嫌な汗が滲み出てくる。
 眼前の多数の異形から目を逸らしたくとも、それすらままならない。
 いっその事気絶してしまえれば楽なのにと姫は自分を呪った。
 魔狩人になったからには、どんな困難が待ち受けようと乗り越えるつもりだったけれど。
 今は目の前の異形が怖ろしくてたまらない。逃げたい。一刻も早くここから立ち去りたい!
 けれど、蛇に睨まれた蛙の様に微動だに出来ないのだ。
 数十匹の異形の目が彼女を恐慌状態に追いやる。
 姫は自分が魔狩人となった事を、この時海よりも深く後悔したのだった。
 ふっ、と目の前が暗くなった。
 ついで、背後からふんわりと抱きしめられる。
 フォレストが左手で姫の目を覆い隠し、右手で姫を包み込んだのだ。
「大丈夫です、姫。大丈夫ですから」
 賢者は姫の耳元で優しく語りかける。
「貴方の力を持ってすれば赤子の手を捻るようなものです。何も怯える必要はありません。貴方には指一本触れさせませんから」
 姫は反射的にフォレストの右手にしがみついた。大事なものを両腕で抱え込むようにしっかりと握り締める。
「螺旋宮で戦ったときの事を思い出してください。一瞬で彼らを倒した時の事を。大丈夫です、貴方ならできます。私の姫君」
 まるで睦言を囁くように、フォレストの声は甘い。
「焦らなくていいんです、ゆっくり、少しずつでいいんです。少しずつでいいですから、魔力を解放する事に集中してください」
 賢者の手は少しひんやりしていて目に心地よかった。先程よりはだいぶ気持ちが落ち着いてきている。
 不思議だ…。この手の存在がこんなに安心できるなんて。握っているだけでなんと心強いことか。
 姫の体からほのかに淡い紅水晶色のオーラが立ち上り始めた。
「そう、少しずつ…そうです。上手ですよ」
 その間にも、下位魔族達の攻撃の手は緩まない。中には素手で直接結界に殴りかかっている物もいる。
「とても綺麗です。溢れる魔力も。…貴方も」
 言いながら、フォレストは姫の紫銀の柔らかい髪に頬を埋める。魔族など眼中にないようだ。
 姫の魔力はみるみるうちに結界から溢れるほどに解放された。
 その余波を受けた数匹が、ギャ!と鈍い悲鳴を上げて後退する。魔力が触れた部分から湯気が立ち上り、氷が溶けるように彼らの皮膚が溶けたのだ。
 その光景を見た他の魔族達は、一目散に部屋の隅っこへ逃げた。
「姫の魔力は彼らにとって硫酸のようなもの。そもそも貴方の敵ではないのですよ」
「ああ…」
 姫はいつもの冷静な自分を取り戻していた。
「もう大丈夫だから、手をどけてくれないか。前が見えない」
「御意」
 フォレストはゆっくりと姫の眼前を覆っていた手をどけた。右手はそのままだったが。
 姫の視界には、先程とは打って変わって、酷く怯えた下位魔族達の姿があった。
「一瞬で終わらせる」
 言い終わると同時に、魔族達を中心にして床に彼らがすっぽり収まる大きさの魔方陣が出現した。
 それは淡く紅水晶色に発光している。魔力のかけらが粉吹雪のように舞い、醜悪な魔族と完全なる対をなしていた。
 姫の菫色の瞳にひときわ強い光が宿る。
「美しい…」
 姫に聞こえないほど微かな声でフォレストは呟いた。
「痛みを感じずにあの世へ逝けることに感謝せよ!」
 次の瞬間、魔方陣から上へ向かい光の帯が立ち上り、室内は強烈な光に包まれた。
 そして、先程まで下位魔族達が群れていた部屋の隅には三十個の魔晶石が残されていたのだった。
「お見事です、姫」
 姫の髪に頬を埋めたまま賢者は姫を称えた。
「貴殿のお陰だ、礼を言う」
「私は何もしてませんよ、結界を作る以外には。姫が頑張った結果です」
「恐怖に囚われた私を元に戻してくれたではないか。感謝する」
「言葉より態度で示して欲しいですねぇ、そういう事は」
「どうしろと?」
 すると賢者は笑いながら答えた。
「なに、簡単な事ですよ。ほっぺにちゅーvってしてくれればそれで」
「なっ!」
 姫は慌てて賢者から離れようとしたのだが、それを察した彼にしっかりと抱きとめられてしまった。
「はっ、放せ、無礼者っ!」
「さっきは謝辞を述べておきながら、今度は無礼者扱いですか。悲しいですねぇ」
 フォレストは楽しくて仕方がないようだ。姫を見つめる瞳は優しい色を浮かべている。
「貴殿は王家の者のくちづけがどのような意味を持っているか、解った上で言っているであろうが!」
 姫は精一杯の力を振り絞って、フォレストの腕から逃れた。
 すかさず魔晶石を集めに部屋の隅へ向かい、あらかじめ用意しておいた巾着袋にそれを収める。
「さっきは自分から私の腕にしがみついてきたのに…」
「あ、あれは不可抗力だろうがっ」
 駄目だ。彼と居るとどうしても自分のペースが乱れてしまう。彼と出会ってから私は怒る事が増えた気がする。いや、増えた。
 恥ずかしい思いも嫌というほど味わったし、もしかして彼は私の疫病神なんではないだろうか。
「どうしました?」
 いつの間にか、賢者を見つめていたらしい。
「なんでもない。依頼は済んだし戻ろうではないか」
「そうですね」
 二人は元きた道を戻っていく。入り口付近まで来たところで、フォレストは何かに気付いた。
「姫、お待ちを。私が先に出ますから呼ぶまで出てこないように」
「え…」
 言い残しフォレストはさっさと入り口から出て行った。仕方が無いので姫は大人しく待つことにした。
 数分後、外で金属同士がぶつかり合う激しい音がした。が、それはすぐに止み、フォレストが戻ってきた。
「お待たせしました。もう大丈夫です」
 外へ出ると、短剣や棒切れが路上に転がっていた。そしてすぐ側には片手を押さえてうずくまっている男達が5人いた。
「フォレスト、わけが解らないのだが」
「おそらく、彼らはアイアリアの住民でしょう。姫が放った魔力を発見してここまで様子を見に来た、と言ったところでしょうかね」
「なるほど」
 5人の男達の中の一人が口を開いた。
「あんた達何者だ?ここで何をしていた?」
 未だ痛む手の甲をさすりながら男は尋ねた。
「手荒な真似をして申し訳ありません。魔族と間違われて殴られるのは嫌ですからね。私達は螺旋宮の方から来ました」
 フォレストは微笑する。
「あなた方はアイアリアの住民ですね?」
「あ、ああ。その通りだ。今まで近くの洞窟に隠れてたんだが、いきなりここから眩しい光が立ち上るのが見えたから、見に来たってわけだ」
 その時別の男が口を開いた。初老の男性である。
「わしゃ、あんたの顔どっかで見たことがあるぞ…。おお、そうだ! 蒼の賢者様でねぇか!?」
 フォレストにっこり微笑んで答えた。
「そういう名前で呼ばれることもあります」
「とんだご無礼を〜!」
 男達は口々にそう言って土下座した。
「頭を上げてください。偶然の事故だったんですから。それより、街の皆さんはご無事なんですか?」
「はい。魔族達が大勢で襲って来ましたが皆で近くの洞窟へ逃げることができましたです、賢者様」
「それは良かったです。早速ですがそちらへ案内して戴けないでしょうか」
「そりゃもちろんです! 行くぞみんな」
 男達は街の入り口の方へ歩いていく。

 そして、姫と賢者は無事依頼を終える事が出来たのだった。
 同日夕刻には、アイアリアに城から食料が支給された。アイアリアの住民達は一昼夜、不意に襲ってきた魔族によって飲まず食わずだったのである。
 後に、アイアリアの街を救った功績は高く評価され、あっという間にサンクリット大陸全土に広がる事となる。

 ――――――魔を払う美貌の姫によって救われたのだと。


*          *          *


 白亜の宮殿マイティール城の東側には宮廷魔道師や画家等の部屋が配置されている。
 当然フォレストにも一室が与えられており、他の魔道師等の部屋より遥かに上質の部屋であった。
 そのフォレストの部屋の扉の前で、立ち尽くしている人物が居た。
 他でもない、姫であった。
 扉をノックしようとしては、途中で手を止めて…を五、六回は繰り返しただろうか。
 なにやら浮かない表情である。
 因みにアイアリアの依頼が終わってから二日後である。
 姫は思い切って扉を叩こうとしたら、ふいにそれが開いた。
「お、驚かせるな、いきなり」
 姫は目の前の賢者に言った。
「先程から、姫が居るのが解っていたのですが、中々入って来る気配が無かったので。どうぞお入りください」
 フォレストはいつもの笑顔で姫を招きいれた。
「う、うむ」
 応接用の長椅子に姫と賢者は対面して座った。
「姫が私の部屋を訪ねてくるとは珍しいですね」
「あ、ああ」
 フォレストに聞きたいことがあるのだが、どうやって話したら良いのだろう。
「緊張してるんですか? 何か悩み事でも? 私でよければ何でも聞きますよ」
「で、では聞くが。貴殿のようになるにはどうすれば良い?」
「それは具体的にどういうことでしょう」
「…私は、弱い。アイアリアの件で解ったのだ。確かに魔力だけなら自分でも凄いと思う。でも、いざ大勢の魔族を目の前にした時私は…」
 何も出来なかったのだ。怯える以外、何も。魔狩人ともあろう者が、魔族を恐れていては話にならないではないか。
 私に比べてフォレストは、どんな状況でも常に冷静で無駄が無かった。
「貴方は、聡いかたですね。もう少し愚かであっても良いのに」
「え?」
「何でもありません。そうですね、アドバイスとしては常に冷静でいる事ですかね」
「そうか」
「よく言うでしょう? 試合などでも冷静さを欠いたほうが負けると。あれと同じです」
「そうだな。だが常に冷静でいる事は難しい事だな…」
「徐々に身に付けて行けばいいんです。焦らずとも。その為に私がいるんですから」
「だがそれでは…」
 フォレストに頼りきりになってしまうのではないか。
「姫は金位の魔狩人とはいえ、まだ新米なんですから肩肘張らずに楽にしてればいいんですよ」
「でも、貴殿が居なければアイアリアを救う事は出来なかった」
「今の私の一番の喜びは何だと思いますか、姫」
「貴殿の喜び?」
「ええ」
 姫は数分考えた後、こう答えた。
「私を怒らせることか?」
「貴方の中の私のイメージはそういうものだったんですか?」
 フォレストは苦笑する。
「いつも貴殿が私を怒らせるような事をするからだ」
「私の喜びは、姫と共に有り頼られる事です。貴方の為に出来る事全てが私の喜びなんです」
 本当に幸せそうに賢者は優しい表情で姫を見つめて言った。
「そ、そうか…」
 姫は何だか頬が熱くなってきて、フォレストから視線を逸らした。
 何故だろう。何だか恥ずかしいような、いたたまれない気持ちになってくる。
「ですから、姫は今のまま、願わくばもう少し甘えて戴けたら嬉しいです」
「わ、解った。努力する」
 姫の言葉に思わずフォレストはくすりと笑ってしまった。
 甘えるという事に、努力すると返答が来るとは思わなかったからだ。実に姫らしいというか。
「私は何か可笑しい事を言ったか?」
「いいえ。姫があんまり可愛かったので、つい」
「やっぱり貴殿の考えてる事は解らぬ…」
 そうして、二人の穏やかな午後は過ぎていったのであった。



TO BE CONTINUED...
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*ちっともラヴ度があがりません・・・(苦笑



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