「茨の刻印」・5




 大陸有数の鉄の生産地「アイアリア」
 アイアリアは四方を山に囲まれ、豊かな鉱山に恵まれて三百年ほど昔から鉄鋼業で栄えている街である。
 いや、栄えていたと言った方が正しいか。
 ここ一年半程の間に鉄の生産量が大幅に減少していったのだ。
 それまで、岩肌を掘れば普通に採れていた鉄鉱石の量が徐々に減ってきたのである。
 本当に微々たる減り方であった為、鉱夫達も初めの頃は全く気がつかなかったという。
 それが、三ヶ月、半年、…一年経った頃にはもう、それまでの産出量の半分にまで減少していた。
 何故、鉄鉱石の産出量が減るのか、疑問が解けぬまま、鉱夫達は一心不乱に岩肌を削り続けるしかなかった。

 …あの忌まわしい生き物に遭遇するまでは。

*          *          *


「いよいよ初仕事ですね、姫。何だかわくわくしませんか?」
 自分より頭一つ分高い位置から、若い男性の声がした。
「わくわくだなどと、不謹慎な。依頼主は困っているのだぞ」
 菫色の瞳に非難の色を浮かべて、姫は銀髪の賢者を睨みつけた。
「だって姫と二人きりだし、デートみたいじゃないですか〜♪」
 フォレストの能天気な言葉に姫は思わずよろけた。
「貴殿は…」
 言いかけて、姫はため息をつく。
 実際に会うまではとても「蒼の賢者」を尊敬していたのだけれど。
 サンクリット大陸全土の治水事業の偉業を数年で成し遂げ、戦時には有能な参謀でもあり、博士号も数知れず。
 彼に操れぬ魔法は無いと言われるほど魔力にも秀でている。
 人柄は品行方正で慈悲深く、常に青から青緑系の衣服を着ていることから「蒼の賢者」と呼ばれるようになった偉大な人物。
「貴殿は本当に『蒼の賢者』なのか?」
 姫は後ろの青年に問うた。
 今、一緒にいる人物は、自分と二人きりでいるのを喜んで仕事の事などどうでも良さそうで。
 はっきり言ってただの優男にしか見えない。
「『蒼の賢者』でなければ、姫の側にいる資格はないのでしょうか?」
 心なしか、フォレストの声に張りが無いように聞こえた。
「誰もそのようなこと申しておらぬ。貴殿があんまり浮ついているから確認しただけだ」
 姫は思っている事をそのまま言った。
「そうですか〜。それは良かった……」
 それは後ろの賢者の納得いく答えだったらしく、彼は嬉しそうに微笑んだ。
「さて、そろそろアイアリアに着きますよ」
 フォレストが言うように、眼下に街が見えてきた。
 そう、二人は今、空にいるのである。例の如く、フォレストの騎獣グリフォンで移動しているのだ。
 なにせ王都からアイアリアまでは歩くと軽く三日はかかってしまうのである。
 数分後、二人は無事、アイアリアに到着した。
「二年ぶりだというのに、きちんと道を覚えてて偉いですねぇ、グーちゃんは」
 フォレストはグリフォンの頭を優しくなでてやった。
「ぐ、グーちゃんって…」
「グリフォンだから、グーちゃんです。覚えやすいでしょう?」
 そういうと目の前の賢者はにっこり微笑んだ。
「そ、そうだな」
 姫は力なく笑い返した。
 なんて安直な名前をつけるんだろう。あんなに威厳のある生き物なのに。
 犬ならイーちゃんとかになるんだろうか…。
 ………。
 初めてフォレストの名付けの感覚の鈍さを知った瞬間であった。
「どうかしましたか?」
 フォレストが不思議そうに尋ねてきた。
「い、いや、別にどうもしないぞ。では依頼主の元へ急ごうではないか」
 姫は街の入り口へ歩き始める。フォレストも後から続く。
「おや、随分寂しくなりましたねぇ、あのアイアリアが…」
 街に入るなりフォレストがしみじみと言った。
 彼の言葉は尤もだった。普通の街と比べると遥かに活気がなく無機質な雰囲気が漂っている。
 通りを見渡すと、鍛冶屋に武器屋、防具屋、製鉄所、そして民家がある。
 しかし、通りには猫はおろか、人っ子一人いない。
「姫、どうやら心しておいた方が良さそうです」
 フォレストが落ち着いた声で言う。
 いつの間にか彼の右手には扇が握られていた。只の扇ではない、鉄製の扇である。
「うむ」
 姫もフォレストの言葉に警戒を強めた。
 二人は辺りの様子を伺いながら歩みを進めてゆく。
 どの店も開け放たれたままで、店の主はいなかった。路上には乾燥した赤黒い染みが点々としている。
「この有様から想像すると、私達が来るこの三日間のうちに、下位魔族達が鉱山から人里まで鉄を求めて降りてきたんでしょう。わざわざ自分で探すよりあるものを奪った方が早いですからね。それも単独ではない。アイアリアの人々はどこかへ逃げざるをえなかったのでしょう」
 店の中には食べこぼしたと思われる鉄くずが、まばらに散らばっていた。
「もう少し、早く来ていれば…」
 姫は街の人達に申し訳ない気持ちになった。
「姫の責任ではありません。いずれ同じ結末を辿っていたでしょうから」
「そう思うことにする」
「例え街の人達に責められるような事があっても、私がお守りしますから」
 大丈夫です、とフォレストは優しく微笑んだ。
 その瞳があまりにも優しくて、頼りがいのある強い光りも宿していて。
 姫は一瞬引き込まれそうになった。
「でっ、でも、それでは貴殿が…」
「姫は大船に乗ったつもりで堂々としてればいいんですよ」
 その時何かが空を切る音がした。
 次の瞬間金属同士がぶつかる音がして、姫の眼前は鉄扇で遮られていた。
「おやおや危ない」
 ちっとも危なくなさそうにフォレストが言う。
 姫の足元には、鉄くずが転がっていた。
 フォレストが扇を閉じると十メートルほど先の物陰に異形の者が見えた。
「姫に物を投げつけるとは無礼な」
 彼がとっさに鉄扇で遮らなければ姫に直撃していたであろう。
「な…」
 姫は一瞬何が起きたのか解らなかった。フォレストの一言で全てを理解したのである。
 鶏の卵ほどの大きさの鉄くずだ。当たればどうなっていたことか。
 下位魔族は、自分に分が悪いと悟ったのかその場から逃げ出した。
「まだ、殺しませんよ。追いかけましょう、姫」
 姫の手を取り走り出すフォレスト。
「わわっ!」
 バランスを崩しそうになりつつも、体勢を整えて姫も走る。
「フォレスト?」
 彼が何を考えているのか全く解らない。
「あの下位魔族を追えば、彼らの根城へ辿り着くかと。知能が低いですから仲間の元へ戻るはずです」
「あ!」
 やっと彼の考えている事がわかった。
「店の物はほぼ食べつくされていましたからね。店よりも多くの鉄のある所は何処だと思いますか?」
「…製鉄所か」
「ええ。予想通りに行けばそこへ着くはずです」
 たったこれだけの短い間に、ここまで状況を冷静に判断し無駄なく行動出来るとは。
 それに先ほどの素早く落ち着いた身のこなし…。
「貴殿は本当に賢者なのだな」
 姫は少しだけフォレストを見直した。
「いえいえ、只の通りすがりの美青年です」
「すまぬ。前言撤回だ…」
「姫〜」
 フォレストは情けない声で姫を非難した。
 下位魔族はそんな二人を尻目に、ある建物の中に入っていった。どの店よりも一回りほど大きい建物であった。
 入り口の上のほうに、製鉄所と解る鉄製の看板がぶら下がっている。
「予想通りに動いてくれて楽ですね〜。では早速突入しましょう」
「うむ」
「この街の大きさと日数から考えて、ざっと二、三十匹はいるでしょうね」
 製鉄所内に入っていくフォレスト。
「なっ! そんなに!?」
 姫は思わず引き返したい衝動にかられた。過去数匹の下位魔族なら倒した事はあるが、二桁を相手にして大丈夫なのかという、不安が先に立ってしまう。
「大丈夫ですよ、私が先頭を歩きますから」
 フォレストは姫に左手を差し出す。姫は戸惑いながらも、彼の手を取った。
 製鉄所内は静まり返っている。下位魔族達がやったのか室内はとても散らかっていた。
 水の入った桶がひっくり返り床は水浸しになっているし、長く大きい何かを挟むような物や、細長い棒のような器具が転がっていた。
「酷いな、泥棒が入った後みたいだな」
 思わず姫の口から感想が漏れる。
 奥へ奥へと進んでいくにつれ、下位魔族独特のしゃがれた耳障りな嫌な声が聞こえ始めた。
 そして、目の前を歩く賢者が最も彼らの声が聞こえる扉の前で立ち止まる。
「この声、三十匹くらいはいますね」
 下位魔族に悟られぬよう小声で言う。
「準備はいいですか? 開けますよ?」
「う、うむ」
 そして賢者は勢い良く扉を開け放った。
 姫の眼前におぞましい光景が広がっていた。
 赤く不気味な目を爛々と光らせた小人ほどの下位魔族が、さながら地獄の餓鬼のように部屋一杯に居座り、鉄を食んでいる。
 土色のぬめった肌に、不釣合いなほど大きな赤い不気味な目。
 とがった指先は三叉に分かれて、足も同様。鼠のような尻尾まで生えている。
 それが部屋中に蠢いていることのおぞましさといったらない。
 あまりの気持ち悪さに吐き気が催してきそうになる。
「ひっ…」
 姫は異様な光景に圧倒され恐怖に支配された。冷や汗が額を伝う。
 招かれざる客に気付いた魔族達は、一斉に二人に注目し、自らが食んでいた鉄を投げつける。
「む」
 フォレストは素早く結界を張る。鉄は結界に阻まれ床に転がった。
「姫、大丈夫ですか? 気をしっかり持ってください」
 横の賢者はこの状況においても全く冷静である。
「あ…」
 いったん恐怖に飲まれてしまった姫は、上手く言葉を紡げない。
 今は立っているのがやっとの状態なのだった。




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