ハロウィンの夜に
夕刻になると昼間の温かさも影を潜め、窓からひんやりとした風が入ってくる。
フォレストは姫が風邪を引いては困ると思い、そっと窓を閉め、カーテンを引いた。
「という訳で、今年もハロウィンがやってきたようですよ」
「何が『という訳で』だ。そのようなものはこのイルアーナには無いと言っているだろう」
姫はやれやれと、訳の解らない事を言う賢者を訝しげに見る。
「そう言われましてもあるものはありますし、ほら、画面の前のお嬢さん方にご挨拶してください」
「何? 画面? 何の事を言っているのかさっぱり解らぬ。用が無いなら私は自室に戻るぞ」
全く、自分から私を呼び出しておいて、来たら来たで訳の解らない事を言い始める始末。
フォレストの考えている事はやっぱり時に訳が解らない。
姫は踵を返し、扉を開ける。
いや、開けたはずだったのだが……。
視界に入ったのは、大量の南瓜の提灯と魔女や吸血鬼、狼男などに仮装した人々だった。
「……えっと」
瞬時に思考を巡らせようとしたのだが、訳が解らずとりあえず、姫は…ぱたん、と扉を閉めた。
頼りなげにその菫色の瞳はフォレストを見やる。
「今日は何か仮装パーティーでもあるのか?」
「ですから、先ほどから申し上げてます。今夜はハロウィンなのだと」
姫の問いにフォレストはいつもの微笑を向ける。
「…では、その、ハロウィンというのは何なのだ?」
「仮装してお菓子を貰うイベント」
「は?」
「…というのは半分冗談ですが。正しくは、万聖節の前夜祭で、十月三十一日に行われるものだそうです。元は古代ケルトの祭で、死者の霊や悪霊、妖魔や妖精が横行する日とされ、ハロウィンと聞いて真っ先に思い出すであろう仮装は、家のまわりを徘徊する悪霊たちが、その姿を見て驚いて逃げていくようにするためだったとか。”Trick or Treat!”(何かくれないといたずらするぞ!)と言われたら”Happy Halloween!”と返すようです。以上、説明終わり」
「…ええと、つまり『トリック・オア・トリート!』と言われたら『ハッピーハロウィーン!』と返せば良いのだな」
「で、その時に現在ではお菓子をあげるそうです」
と、フォレストは机の上に予め用意してあったお菓子の入ったバスケットに手を置いた。
その時、とんとん、と扉を叩く音がした。音の位置からして身長の低い子供だろう。
「早速来たようですね」
フォレストはバスケットを持ち扉へ歩み寄り、扉を開く。するとそこには、魔女の仮装をした幼い少女が期待の眼差しで立っていた。
「とりっく・おあ・とりーと!」
少女は笑顔でそう叫んだ。
「Happy Halloween!」
お決まりの言葉を口にしながら、フォレストは少女にお菓子を手渡す。すると少女は満面の笑みを浮かべて、ばいばーいと走り去っていった。
これを始め、さほど時をおかず子供達が扉を叩き、お菓子をあげるという行為が繰り返され、姫も気付けばすっかり順応して決まり文句と共にお菓子を子供達に配っていた。
そうして徐々に扉を叩く音が減っていき、気付けば子供が寝る時刻をとっくに過ぎていた。
「…そういえば、大人も混じって仮装していたな。楽しそうだった」
「来年まで待てないようでしたら、仮装パーティーでも開いてはどうですか?」
「あはは、それも楽しそうだな。……あ」
姫はお菓子の入ったバスケットに一つ残ったお菓子に気付く。
「フォレスト、Trick or Treat!って言ってみてくれないか」
「ん? Trick or Treat!」
姫は最後の一つをフォレストに手渡して言った。
「Happy Halloween!」
フォレストは満足げに言う姫に優しい視線を向けた。
「…では姫も言ってもらえますか?」
「うむ。Trick or Treat!……ってもうお菓子ないぞ?」
「ふふ、それが良いんじゃないですか。お菓子なんてあげませんよ。さあ、どうぞ、お好きに」
フォレストは両手を広げる。
「いや、あの…?」
お菓子を貰えない姫は予想外の事にあたふたする。
「いたずら出来るものなら遠慮なくどうぞ?」
フォレストは艶のある笑みを浮かべ甘い声音で囁くようにそう言うと、姫の右手をそっと手に取る。
「そ、そなたまた私をからかっているな……」
語尾に覇気が無いのは瞬時にこみ上げてきた羞恥の為だろう。
そんな目で見られたら恥かしさのあまりどうにかなってしまいそうだ。それなのに逸らす事が出来ないなんて!
フォレストの瞳に捕われたまま身動きもままならないと言うのに、心臓だけはどんどん早鐘を打っていく。
「どうかな。あなたがしないのなら、私が悪戯しますよ?」
言いながらフォレストは姫の右手の甲にそっと口付ける。
「…っ」
触れた唇が思いのほか熱くて姫は一瞬体をビクリと震わせた。
いざとなったら全てにおいて上回っているフォレストに、私など敵うはずも無い。どうしよう…どうしたらいいのだ……。
身の危険を感じた姫は知らず後ずさろうとしていた。
「まだ逃げようとしますね……いい加減慣れてくれても良いものを。フォレストさん傷ついちゃうなぁ」
「うわっ」
すいっと腰に手を回され気付いた時にはしっかりとフォレストに引き寄せられていた姫は、色気の無い悲鳴を上げる。
流石にもう逃げようとはしなかったが、密接したことで両頬は薔薇色に染まっていた。
「フォレストは…時々、強引、だな…」
恥かしくはあったが、姫はフォレストを睨みつつそう告げた。
「そうさせているのは、他でもないあなたなのですがね」
フォレストは姫の耳元でそう囁いて、首筋に軽くキスを落とした。
フォレストの熱い吐息が耳朶をくすぐり、触れた唇が気持ち良くて思わず声が出そうになった姫だが、必死にそれを堪える。
「強情……」
フォレストは苦笑する。姫の必死な様子が堪らなく愛しくて、余計に苛めたくなるのだ。
姫の顔を上向かせると、その澄んだ菫色の瞳はうっすらと艶やかに潤みを帯びていて。
フォレストはそっと顔を寄せ、桜の花弁のような唇に自分のそれを重ねる。
そんな二人を闇色の空から、真珠色の月が淡い光を放ちながら優しく見守っていた。
終わり
2006/10/31up......